花はいつも誇らしく

大豆

コスモス

「ん。」


玄関先でぶっきらぼうに差し出された花束。

今日も彼、野中晃士(ノナカコウシ)はたらふく飲んできたらしい、顔がいつも以上に真っ赤だ。


「なんですか、これ?」

「…別に」


それだけ言うと、彼は千鳥足で寝室へと歩いていく。


「うわっ、お父さん酒くさっ!」


すれ違った娘の優衣に嫌な顔をされたが、それを無視し彼は寝室のドアを閉めた。


「あれ、お母さん何持ってるの?」


私が手に持っている花束を見つけた娘が、不思議そうに聞いてくる。


「さぁ。私も分からないの。お父さんが急にくれたの。」

「ふぅん…

あ、分かった。絶対昨日の事気にしてるんだ!」


娘が、ニンマリと笑った。


「良かったね、お母さん。」


娘がニコニコしながら私を見つめる。

私はなんとも言えない、むず痒い気持ちになって花束に視線を落とした。

赤や黄色や白。

鮮やかな花の中に、ぽつんとひつとつだけ、ピンク色の秋桜がいた。


「コスモス…」

「あ、本当だ。でも、なんかこの花束にあってないよね。」

「えぇ、そうね。」


ピンク色のコスモスは、たった1輪だけ。

肩身が狭そうな感じで、花束の中に埋まっている。


「まるで、私みたい…」

「え?何か言った?」


ボソッと呟いた言葉は、娘には聞こえていなかったようだ。


「いいえ、なんでもないわ。

さ、この花、花瓶に移しましょ。」

「明日にしたら?」

「お花も、早くお水が欲しいかもしれないから。」

「ふぅん。まぁいいや、私寝るね」

「えぇ、おやすみ」


大きな欠伸をして、娘は自室へと戻っていく。

それに続き私もリビングへと向かった。

せっかくなら、お気に入りの花瓶にいれよう。

そう思い、クローゼットの奥に仕舞っていた蒼色の花瓶を引っ張り出す。

少し埃を被っていたが、拭くと綺麗に光った。

満足して、持っていた花束を丁寧に生け変える。

だけど、どうしても1輪の秋桜だけはほかの花たちと一緒にはしたくなかった。

どこか、この花だけ浮いていて、違和感を感じるのだ。

仕方がないので、秋桜だけは別の花瓶に移す。


「ふふ…」


2つの花瓶をテーブルの上に置いて、私は椅子に座る。

豪華な花束の隣に、ポツンとある秋桜。

それを見ながら、私は思わず笑ってしまった。

花束なんて今まで買ってきたことなんてなかったのに…

よっぽど昨日のことが堪えてるのね。

彼と夫婦になって16年。

初めて貰った花は、どこか心をくすぐった。

それにしても、この秋桜だけは何か気になる…

別に何の変哲もない秋桜なのに、私は妙に心惹かれていた。

それを何もするでなくただじっと見つめていると、ふいに眠気が襲ってきた。

そして、花の良い香りがリビングを包む。

まだ22時だと言うのに珍しい。

寝室に行くのも面倒くさい…

私はゆっくりと、瞼を閉じ、夢の世界へと落ちていった。



キーンコーンカーンコーン

懐かしいチャイムの音が聞こえる。

これは高校の時のチャイムだ。


「起立、礼!」

「ありがとうございました。」


そう、授業終わりには日直の号令がかかって、皆でお礼を言うの。

懐かしいわ。


「早く行かないと購買売り切れちゃうよ!」

「待って!財布取るから!」

「早くしてよー」


昼休みはいつも購買が戦場だったらしいのよね。

私はお弁当だから知らなかったけど。


「……え?」


ザワザワとうるさいクラスの中、私は1人席に座っていた。

目の前の机には数学の教科書とノート。

その隣には高校2年生の時にお気に入りだった筆箱。


「…え?」


黒板には「平成10年6月7日 日直 山村」と書いてある。

山村と言えば、いつもおちゃらけていた男子だ。

いや、注目すべきはそこではなく、日付。

今日は確か令和3年だったはず…しかも季節は冬だ。

そして何より、この服。

間違いなく、23年前に卒業した高校時代の制服だ。

私は若干パニックになりつつも、少し前のことを思い出す。

そうだ、私リビングで寝ちゃったんだわ。

てことは、これは夢…?それにしても、やけにリアルな夢ね…

自分の頬をつねってみるも、確かに痛みがあった。


「しーほー。ご飯食べよー」


明るい声と共に現れたのは、高校時代一番仲の良かった津村 恵理子だった。

ショートカットの髪に、よく日焼けした肌。

笑った時にみえる八重歯が特徴的な彼女は、どかっと、私の前の席に座った。


「恵理子…」


目をパチパチさせて、私は恵理子を見つめる。

あの頃のままだ。

今も時たま連絡は取っているが、二人とも住んでいることろが離れているため、中々会うことができない。

高校時代の恵理子を見て、懐かしさで涙が出そうになった。


「何?食べないの?」


怪訝そうに私を見つめる恵理子。

私は、いいえ。と首を横に振って、お弁当箱を出す。

そのお弁当箱も、懐かしさで溢れていた。

さらにその中身に私はまた涙が出そうになる。

そうだ、お母さん、毎朝5時から起きてお弁当作ってくれてたんだ…

唐揚げに、卵焼き。

ミニトマトにブロッコリー。

彩を考えられ、愛情たっぷりのお弁当。

昔はなんとも思ってなかったけど、今見るとありがたさでいっぱいになる。


「志保ー。固まっちゃってどうしたの?」

「いいえ。なんでもないわ。」

「なんでもないわ?」

「え?」

「志保、どうしたの?いっつもそんな喋り方だっけ?」


恵理子にそう言われて気がついた。

そうだ、私は今女子高生。

普段の話し方は少しおばさん…いや、大人すぎるのね。


「い、いっつもこんなのじゃなかったかしら?」

「かしら?」

「あ、なかったっけ?」

「…うーん?」


心底不思議そうな顔をしながら、恵理子は自分のお昼ご飯を食べ始める。


「あ、そういえば、さっきの数学さー」

「う、うん。」


数学…確か一番得意な科目だったわ。

恵理子の話に相槌を打ちながら、私は箸をすすめる。

それと同時に、本当によくできた夢だと感心した。

目の前にいる恵理子も、教室の中のざわめきも、このお母さん特製の唐揚げも。

全てが現実のように感じたから。

きっと神様がご褒美をくれたのね。

目が覚めたらあの人のシャツ、綺麗にアイロンがけしてあげよう。


…そんな呑気なことを考えていた私だったが、この現状は、夢ではなく現実だと気付いたのは、トイレに行った時だった。

ご飯を食べ終えた私は、安心したのか、急に尿意を催した。

尿意がきた。と言うことは、そろそろ目が覚めるかしら?

私はいつも、寝ている時尿意を感じると、必ずトイレの夢を見る。

そして、必ずトイレについたとたんに目を覚ますのだ。


「恵理子、私トイレに行ってくるね。」

「あ、うん、行ってらっしゃーい」


笑顔で見送ってくれる恵理子。

相変わらずの笑顔に、私は少し寂しくなる。

もう少しでこの懐かしい夢ともさようならね…

教室を出て、トイレまでの廊下をゆっくりと歩く。

それにしても、本当によくできている。

ここまで鮮明なのね。

そんなことを思いながら、私はトイレへ入る。

さて、そろそろか…

しかし、待てど暮らせでど一向に目は覚めない。

え、どういうこと?

と、軽くパニックになる。


「ねえ、入らないの?」


と、見ず知らずの子に言われ、私は急いで個室に入る。

しかし、全く目が覚めない。

どういうこと?これ、夢じゃないの…?

ますますパニックになる。

そのせいですっかり尿意も引っ込んでしまった私は、ゆっくりとトイレの個室のドアを開ける。


「わっ!大丈夫?顔色悪いけど?」


先ほどの女の子が、私の顔を見てそう言った。


「あ、はい…大丈夫…」


足取り重くトイレを出て、教室に戻る。

まさか…これは現実…?

つまり、これは、タイムスリップというやつなの…?

でも、そんな…まさか。

だって、どうして…

私があまりにショックな表情をしていたからだろうか。

教室に入ると、恵理子がびっくりした顔で駆け寄ってきた。


「志保!?どうしたの!?大丈夫!?」

「え、あ、えぇ。うん、大丈夫…」

「いや、大丈夫じゃなさそうだけど!?」

「だ、大丈夫。」


ただ、頭の整理が追いつかないだけ。

心の中でそう呟き、私は重い足を引きずり、自分の席についた。

まさか、こんなことが現実にあるの?

だって、私はしがないただの主婦で…

ありえないわ、絶対。

そうよ、これは夢よ、夢。

…だけど、夢にしては生々しすぎるわ。

そうだ!

私はふと思いつき、筆箱の中からボールペンを取り出した。

そして、それを思いっきり、自分の手に突き刺す。


「…っつ!!」

「志保!?何やってんの!?」


目の前には、恵理子がいた。

私の右手にあるボールペンを取り、自分のポケットに入れる。

どうやら、ずっといたみたいだけど、私は全く気が付かなかった。

ジンジンと痛む手。

恵理子が「あぁ、あぁ。」と言いながら、私の手をさする、その温もり。

間違いない、これは現実だ。


「志保、本当に大丈夫?」

「大丈夫じゃないかも…」


夢でないと自覚した瞬間、私の頭は真っ白になった。

これから一体、どうしたらいいの…?

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