第37話 転機
普通学校に部外者がやってくる場合は、事務室で許可証を受け取らないといけない。さらにその許可証を貰うには、生徒の家族であってもいくつかの手順を踏まなければならない。
そんな面倒くさい手順を踏まなくても、学校に入ることのできるイベントが学校にはいくつか存在する。そのうちの一つが、『文化祭』である。
クラスで一つ出し物を決め、それを学校の中や外に向けて披露する。また、部活や有志でチームを組んで、体育館での出し物を行う。演劇やバンドなどはその代表例だろう。どんな媒体であれ、高校の代表的なイベントとしての認知度は高い。
そんな文化祭のクラス実行委員の俺は、自分のクラスの出し物がしっかり行えるように管理しなければならない。俺のクラスはタピオカジュースを販売する。準備はそこまで難しくなく、土曜日の文化祭初日も安心して迎えられた。
文化祭は土日の二日間。日曜日の午後は、体育館全員集合なので、日曜日の正午まで頑張れば、俺の仕事は終了だ。
朝から集まり、ジュースなどの準備を始める。
文化祭を楽しみにしていたクラスメートも多く、皆朝から気合が入っている。自分が指示を出せば、しっかりとその任を完遂してくれる。上に立つものとして、これほど頼れる存在達はいない。
とある都合で、最近調子が悪いので、指示出しだけの仕事は本当にありがたい。
「前みたいに、ちょっと表情が険しいね」
「……寝不足だ」
ここ三日間、全然寝られてなかった。
以前のような悪夢で引き起こされたものではない。
「始まるまで一時間あるし、休んだ方がいいんじゃない?」
「準備をほとんど終わったし、そうさせてもらおうかな」
「うん」
琴葉も心配してくれているのか、いつもみたいにはしゃいだりしない。
本当は文化祭を楽しみたいのだろうが、今の俺の表情から騒いだらダメだということを察してくれたみたいだ。俺は椅子から立ち上がり、琴葉たちクラスメートに任せて教室を出た。
「さて」
文化祭の最初は、全生徒体育館に集まり、始まりのセレモニーが始まる。
その時間までに体育館に集まればいい。だから、それまでは自由にさせてもらう。とは言いつつ、俺がこの時間にやるべきことは決まっている。
「一年生の教室は、と……」
賀平が今日来ているかどうかの確認を、一年生の教室までしに行く。
あの日店長から賀平の住所を教えて貰い、その後何度も訪問した。
結果、一度も彼女の声を聴くことはなかった。居留守を使われているのか、それとも家にいないのか。何も分からないまま、時間だけが過ぎていく。
幸い、この町で事件が起こったという知らせはない。
だから、彼女が無事である可能性は十分にある。
ただ、彼女が見つかっていないだけで実は、なんていう可能性もあるが、考えないようにした。
賀平の部屋でも会えず、もしかしたらこの文化祭に来ているかもしれないという小さな希望をもって一年生の教室に向かった。
「制服喫茶……?」
賀平のクラスは、制服喫茶というものをするらしい。
女子生徒が制服を着て接客をするというものらしい。男子生徒もチラホラ見えるが、そのほとんどが裏方だ。一部女生徒の制服を着ている男子生徒も見受けられる。まあ、これも高校生のおふざけということで。
中を覗いて、賀平がいるかどうかの確認をする。
ただ、小さな希望は軽々と打ち砕かれることになる。
教室の中には、賀平の姿は見えなかった。
「結局だ……」
頭を掻きながら、俺は一年生の教室を後にする。
賀平を助けたいと思って、賀平の住所まで聞き出したのに、結局会えないのなら意味はなかった。無理矢理扉をこじ開けるのは、もちろん犯罪だから。これからどうするべきかを悩みながら、ここ数日過ごしている。寝不足はそのせいだ。
「答えは出なくて、それに寝不足とはな……」
頭が妙にクラクラする。
ちょっと気分を優れない。
悪夢に悩まされていた時とは、微妙に違う。
特に頭が、重くて、痛い。
頭の中の何かがずっと引っ掛かっているような感覚だ。
どこに言っても、文化祭の熱と喧騒で身体には悪い。俺は逃げるようにして、ある場所まで向かっていく。
いつも通りの、落ち着ける場所へ。
「物凄く、酷い顔をしてるわね」
「……それは何を見て、言ってるんですか?」
「ご想像にお任せします」
文化祭だが、疲れてない教室はいくつかある。
ここは、図書室。本来入室禁止の場所であるが、九井先輩はいつも通りここで本を読んでいた。
「先輩は、出し物に参加しなくていいんですか?」
「私は特別。一応準備は手伝ったから、安心して」
「今日もずっとここにいるつもりですか?」
「今日も……? まるで去年一昨年の私も同じようだった、と言いたげな言葉使いね」
「違うんですか?」
「ご想像にお任せします」
先輩の向かいの席に座る。
先輩は相変わらず本を読んで、俺はその姿から目を背けていた。
「そういえば、またあの本を買いましたよ」
「そう? 読めてるの?」
「ぼちぼちですかね」
2,3ページは俺の中ではボチボチの範囲に入る。
「柊木君にとっては、5ページ読めれば上々よね」
「なんでそんなポンポンと、俺の考えていることを……」
「女の勘よ」
恐ろしすぎた。
「君は、ここにいたらダメな役回りじゃなかったの?」
「琴葉とかに任せてます。準備は簡単ですし」
「そんなもの?」
「先輩のクラスは何を出すんですか?」
「知らないわ」
「準備に携わってたんじゃないんですか?」
「言われたことをしてただけ。出し物に興味ないし」
「先輩らしいというか……。仕事人ですね」
「別に、悪を成敗する気はないけどね」
こうしたいつも通りの会話を先輩としていると、なんだか落ち着いてくる。
図書室が、他の教室とは違って静かなのもまた良い雰囲気だ。
始まる時間まで、ここで仮眠でも取っておこうか……。
「まだ話す力は残ってる?」
「……先輩の望むがままに」
「元気そうね」
「そう見えます?」
「賀平さんの話なんだけど」
先輩は問答無用で話を進める。
本来なら呆れる表情を見せるところだが、話の内容が内容だ。
俺は目を擦って、先輩と向き合った。
「賀平さんのことについて、調べたの」
「先輩が?」
「これでも心配してるの。琴葉さんも、そうよ」
「俺の知らないところで、会ってたりしたんですか?」
「たまたまが重なったりしてね。大体図書室だけどね」
「そうだったんですね」
「ちょっと前から、賀平さんの様子がおかしいことに気づいていてね。以前言ったように、彼女の噂の一件もあったし。最近に至っては、連絡すら取れないの」
「はい。だから俺も色々動いていたんですが」
「あなたが動いていたのは知っていた。だから私はそもそもの原因を調査しようとしたの。身体動かすのは柄じゃないけど、頭動かすのは得意だから」
「あ、ありがとうございます」
「噂、覚えているでしょう?」
「はい。賀平が炎上しているかも、って話ですよね」
「そう。そんなこと表には情報として出ていないから、調べるのに苦労したの」
「……それで、何か分かったんですか?」
「賀平さんのファン、かもしれない人が作っている情報サイトが見つかったの」
九井先輩はポケットから自分のケータイを取り出した。
その画面を俺に見せる。
そこに映っていたのは、よく見るネットニュースをまとめている情報サイトだった。そのページの題名には、恐らく賀平のSNS上の呼び名と『ストーカー被害』という文字が書かれていた。
「これは、一週間前の記事ね。ちょうど賀平さんの顔を、あまり見なくなった時期と合致するわ」
「ストーカー被害とか……」
そんなテレビの中のお話が、俺の身近の人が出会っているということに驚きを隠せないでいる。多少の有名人ならばそれぐらいはあるもんだろうとテレビのニュースを見ながら軽く思っていたが、いざ直面すると驚きと怒りが湧いてくる。
「今回のストーカー事件ね、ファンが起こした事件じゃないの」
「へ?」
「一定数存在する、アンチによって引き起こされた事件らしいのよ」
アンチとは、ファンの対極に位置する。
特定の人物を嫌い、陰口を叩き、嫌がらせをするような人々だ。もちろんそれぞれ尺度があるので、ただ嫌っているだけの人もいる。ただ世の中には行き過ぎるやつもいるものだ。今回の一件も、そういった行き過ぎたアンチ行為で引き起こされたものだったらしい。
「賀平さん関連の記事は、これ一つ。それでも、事の重大さには気づいた?」
「あいつへのコメントには一定数のアンチは存在してたし、多少は慣れていたと思うんですが……」
「人には、踏み込んではいけない領域がある。それは柊木君も知っているでしょう?」
「…………」
「それをネットでは、軽々と踏みにじってくる。そんな人達も一定数いるのよ」
「今回の一件は、賀平に相当な傷を負わせている……」
「相当どころか、致命傷だと思うけどね」
「…………」
一体、賀平は何をされたのだろうか。
賀平の投稿に群がるアンチコメントも、もちろん彼女の中で蓄積していったのだろう。そして最後の一撃と、彼女は何かしらの致命傷を負った。
俺とも、店長とも、連絡が取れないほどの精神状態にある。
首吊り自殺があったなんてニュースはどこにも流れていない。そもそもまだそこまで行っていないか、まだ見つかっていないだけか。
ここにきて、先輩の情報はとてもありがたい。
「あなたにはあなたの仕事があるでしょうけど、その……」
「賀平のことは任せてください。何とかしてみます」
「任せるわ」
九井先輩はケータイを再びポケットに入れて、本を読み始める。
素っ気ないように見えて心配している。先輩の優しさで、賀平の核心には迫ってきていると思う。ただそれでも、まだ彼女と連絡が取れていない以上、対処の仕方が見つからない。どうやったら、賀平と連絡が取れるのか。どうやったら、賀平と会うことができるのか。その答えを店長が知らない以上、俺が知る由もない。
「そろそろ行かないと……」
「そうね。そろそろ開会式の時間ね」
「先輩は行かないんですか?」
「あなたのクラスの出し物だけ、見に行くわ」
「それは、ありがとうございます」
俺は椅子から立ち上がり、開会式の会場体育館を目指す。
「ねえ」
扉を開いた直後、九井先輩から呼び止められる。
「これからの考えはあるの?」
「……実は何も考えはないです」
「そう。難しい問題だしね」
九井先輩は少し間を置いて、
「思い切りというのも、大事だと思うよ」
「……分かりました」
そんなアドバイスを俺に送ってくれた。
「……あの時みたいにね」
俺が図書室から出る間際、そんな声が九井先輩の方から聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます