第35話 無愛
店長が話し始めたのは、賀平結愛という少女の昔話だった。
店長は、賀平結愛の母親の腐れ縁のような人だったようだ。
幼馴染とは言わなかったが、それに近い関係。
この町で共に過ごし、高校卒業を期に店長は進学し町の外へ行った。そこをキッカケに、賀平の母親と疎遠になったようだ。
そして、町はずれのスーパーの店長を任され、この町に再びやってきて彼女と再会した。
再開した彼女は、酷く変わり果てていた。
左手の薬指には、指輪が付いていた。それを見つけて、彼女が知らないうちに結婚していたことを知った。少しの時間彼女と会話をして、多くを語ろうとしない彼女の言葉の中で、彼女がどういった状況にあるのかを知ることになる。
彼女が結婚した相手は、普通の男だった。
どこにでもいるサラリーマンだった。
だが、人当たりもよく、彼女にもしっかり優しくする男だった。
そんな二人はたまたま出会い、付き合い、そして結婚するに至ったらしい。
最初は仲睦まじい夫婦だったらしい。一人の娘を授かり、誰もが考える夫婦生活を送っていた。ただ、それはある日突然変貌することになる。
男が勤めていた会社の汚職事件が判明、その犯人として男の名前が挙がったようだ。
男は無理矢理退職させられ、借金も追うことになる。
男と女、そしてその娘。三人は古いアパートに引っ越し、男は日雇いの労働を毎日して、女は娘の世話をしながら、日々を生き抜いていくことになった。
少し前までは普通の生活だったのが、ある日を境にどん底へと突き落とされる。
毎日の過酷な日々は、男と女を確実に蝕んでいく。
娘が二歳になってから、男は働くことを段々とやめていく。
毎日だったのが、週五日に。そして、週一に。最終的には月に一回働けばいいような状態にまで落ちていく。そんな苦しい生活から逃げるように、男は酒を浴びる。やがて妻であるはずの女に暴力を振るうようになった。
アパートにも姿を見せることも少なくなり、次に変わったのは母親の方だった。
母親は内職やパートを最初は行って、少しずつお金を貯めていた。
だがやがて父親と同じように、仕事の数は減っていき、やがて貯めていたお金をギャンブルに費やすようになった。
たまたま立ち寄り、たまたまお金が増えて、たまたま娘と良い食事を味わうことができた。今までの過酷な生活を考えれば、ギャンブルにハマる理由は十分だった。
ギャンブルに勝てば、娘に生活できるぐらいの食料を渡し、ギャンブルに負ければ、またギャンブルへと向かう。そういったサイクルの中、少しずつ彼女も部屋に訪れる回数も減っていく。
娘が三歳を過ぎた辺りから、そのアパートの部屋にいるほとんどが娘だけ。
最低限生きていける食料だけの生活で、生活能力もあるはずもない。
部屋にはゴミが増えていく。
娘以外誰も姿を現さない部屋で、ジッと扉を見つめる娘。
娘はまだ幼い。
彼女の記憶の片隅にあるのは、父親と母親の笑顔だった。
彼女の願いは、「父親と母親の笑顔が見たい」だった。
父親と母親の愛情は、日を追うごとに薄れていく。
ただ、娘の愛情は、いつまで経っても変わらない。
どうしたら父親と母親は笑ってくれるだろうか。
そんなことを考え続けて、扉の前にジッと座り込んでいた。
冬も明ける時期に、店長はどうにかしてその家族の住むアパートの場所を突き止めた。すぐにそこへ向かい、部屋の扉を開ける。
そこにいたのは、ゲッソリとした女の子。
名前は、『賀平結愛』。
俺もよく知るその女の子を抱きかかえ、まずは彼女に暖かい食事を提供した。
三歳の拙い言葉、店長はゆっくりと彼女の話を聞いていた。
店長が驚いたのは、あんな状況にありながらも、彼女は嬉しそうに両親について話していることだった。酒に明け暮れる父親、ギャンブルに飢える母親、普通の家庭から見れば最低な両親だったはず。なのに、彼女の口から悪い言葉の一つすら出てこなかった。
そして何度も何度も、「笑顔が見たい」と笑みを浮かべるのだ。
店長はその女の子を育てる決心をする。
そのアパートに置き手紙を置いて、賀平結愛を自分の手で育てるようになる。
幼稚園にも通わせ、小学校にも通うようになった。
あの地獄のような生活が嘘だったかのように、少女は沢山の人達に明るく振舞っていた。嬉しいような悲しいようなそんな複雑な感情を抱いていた、と店長は言った。
その複雑な感情をなぜ抱いてしまったのか。
その理由を、中学校に入学して数日後に見つけることになった。
中学入学を祝い、少女に買い与えたケータイで、少女はSNSを始めた。
ずっとSNSと向かい合い、段々と色んな人に見られるようになっていく。
働いている間の休憩時間で、店長はよく彼女と話をするらしい。
その時に、SNSに挙げている写真を見せてもらったらしい。
その写真に写る彼女の笑顔を見て、店長は妙な違和感を覚えた。
そしてすぐに店長はその違和感に気づいた。
その写真に写る彼女の笑顔は、
初めて彼女と話した時に、
「お父さんとお母さんの笑顔が見たい」と
そういった自分に見せた笑顔と
同じだったからだ。
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