あまたある産声の中で‼~『氏名・使命』を奪われた最凶の男は、過去を追い求めない~

最十 レイ

序章

第1話 産声

 大海原に一人、墜ちていく男がいた。

 その海は暗く、光が届かない場所。

 何も聞こえず、生き物は見当たらない。

 底などまるで見えない、そもそも底があるのかも分からない。

 そんな大海原に、ただ静かに墜ち続けていく男を、救い上げる者がいた。

 

 その存在の見た目を一言で言うならば……死神。

 

 黒く暗い装束に、人間なのか別の生き物なのか、判別できない骸骨の様な顔。

 しかし、暗闇のようでいて何処か煌々と輝くものを感じさせる曖昧な存在は、手で触れるでもなく沈んでいく男を自身の下へと引き寄せる。


「ククク……こいつ、中々面白い死に方をしたものだな……システムも良好……こいつは再利用した方が楽しめそうだ」


 そう語ると死神は手をかざし――


「お前の『氏名・使命しめい』を貰っていく。せいぜい楽しめ……新たな人生を……」


 ――生命の光が亡骸に注ぎ込まれ、その男は新たな命と共に……産声を上げる。



【待っていたぞ……お前が来るのを――】


 





 ガチャガチャ……ガラガラ……


 何かが体の至る所に当たり、居心地の悪さを感じたオレは、徐々にその意識を覚醒させる。


「いっ、痛ぇ~……何だここは……」


 目覚めるとその場所には、大量にゴミが置かれていた。どうやらオレはゴミ捨て場で寝ていたらしい……まるで酔っ払いのおっさんのようであるが、決して酔っているというわけではなかった。

 

 オレは体を起こしながら辺りを見回し、今が夜であることを確認する。

 何処かの街のようだ……ぼろい酒屋が建ち並んでいて、喧騒がそこらかしこにあり、ガラの悪そうな者たちが酒を呷り、ある者はオレの方を訝し気に見ていた。


「何だ……このチンピラの巣窟みてーな場所は?」


 お世辞にも治安のいい場所のようには見えないが、遠くの方を眺めるとここからでも分るほどの立派な城が散見されて、どうにもアンバランスな街という印象を受ける。

 

 オレは再び辺りを見回すと、ガラス張りの店が目に入り、ようやく自分の姿を視認する。


 そこには黒髪に白髪が少し混じっていて、目の下にクマがあるという、何とも人相の悪い男が立っていた。それにボロボロで短くなったマントを羽織り、随分と草臥れた野戦服を着崩している……オレってこんなんだっけか?

 

 訳も分からず呆然と立ち尽くしていると、この街に不釣り合いな高貴さを感じさせる、藍味を帯びた墨色のドレスを身に纏う美女が近づいてきた。


「何か、お困りですか?」


 その美女は小首をかしげながら、オレへと輝く笑顔を浴びせた。


 めちゃめちゃ可愛いやんけ……好きになったわ。


【単純な奴だな……】

 

「えっ、あっ、いやっ……」


 あたふたと戸惑っていると、美女は再び笑みを浮かべ――


「大丈夫ですよ。貴方様が来ることは分かっていましたから……さあ、参りましょう」


 ――そう言いながらオレの手を強引に取って歩き出そうとする。


「あ、はい――って、ちょっと待った! えっ? 何この状況? どういうこと? っていうか誰? 何がどうなってんだ……」

「覚えて……らっしゃらないんですか?」

「覚えてって……えっと~……え? なんでしたっけ?」

「昨日、あれだけのことをなさったのに……」


 眼前の美女は艶めかしく、自身の体を撫で回し始める。


「ええええっ⁈ 嘘っ⁈ オレ何しちゃったの⁈」


 待て待て! 何だ⁈ エロいことでもしたんか⁈ いや、流石にこんな美女に何かしたってんなら覚えてんだろ! 思い出せオレ! 思い出せ――

 

 即座に昨日までの記憶をフル回転させた瞬間……オレは不可思議な感覚に襲われる。

 

 ――あれ……オレ昨日まで何してたっけ……? っていうか……

 

「まあ、噓ですけどね」

 

 頭の中に渦巻く謎の思考を、美女は小悪魔めいた笑みで中断させる。


「嘘かよっ! 期待させんなよ!」

 

 弄びやがって……好きになっちゃうだろうが。


【それしか言えんのか】


「いや、そんなことよりアンタ誰だ? ここは一体、何処なんだ……」

「これは失礼を……わたくしの名はエリザベートと申します。そして、ここは『マリオネッタ』という名の国で、私はこの土地で領主を務めている者に御座います」


 エリザベートと名乗るその美女は、両手でスカートの裾を軽く持ち上げ、優雅にお辞儀して見せる。


 マリオネッタ……? しかも、こんな若い子が領主って……


「それで貴方様のお名前は? ここへは何をなさりに?」

「いやぁ……それが全然覚えてなくって……」

「フフッ、そうでしょうね……ですが、ご安心ください。それも踏まえて、わたくしの屋敷でお話ししますから」


 エリザベートは更に笑みを浮かべつつ、山の麓に建つ真白い屋敷を指し示す。


「さあ、それでは参りましょうか」


 まるで思考の隙を与えぬかのように、その細くて柔らかい綺麗な手で、オレの腕を強引に引いて歩こうとする。


「あ、あぁ――って、ちょっと待ったあああっ‼」


 一瞬オレは丸め込まれそうになったが、手を振りほどいて冷静に思考する。


 いやいやいや、おかしいだろっ⁉ こんな美女がいきなり現れて『貴方様のことをお教えします~』なんて絶対、怪しいっ‼ この女……オレを騙そうとしてんじゃねーのか⁈


 動物的本能が危険信号を告げていたオレは冷静にその女を観察する。

 

 金色の綺麗に巻かれた長い髪、吸い込まれそうな碧い瞳、華奢な肩、ふくよかな胸、引き締まった腰、ふくよかな胸、すらっとした足、ふくよかな胸、胸、胸……うむ、素晴らしい発育だ! 異常なし!


【何処、見てんだ】


「どうかなさったのですか?」


 まるでオレの視線を感じ取ったかのように、エリザベートは前屈みで胸を強調する。


「あがっ……!」


【情けない面だな……】


 ――ハッ⁈ いかん! 騙されるところだった! いくらオレがモテないからって! いや、あんまり覚えてないけど!


「それで……どうなさります? 行くんですか? わたくしと行動を共になさるんですか? それとも屋敷まで同行しますか?」


 エリザベートは魅惑のポーズで更に誘惑を敢行する。

 

 オレは考えた……選択肢が一つしかないような気がしたが、もう一度冷静によく考えた。この記憶があやふやな状況……女の怪しい言動や行動……己の中に流れる危険信号……そして、おっぱい……これらを総合するとオレの中には、自ずと一つの答えが導き出されていた。そしてオレは意を決し……目の前のこの怪しい女に、ガツンと言い放ってやった!



「行きます!」


 

 その笑顔はあまりにも満面であった。


 オレの親指は自分の意思に反し、勝手にサムズアップしていた……まるで下心を隠せていないかのように。


 そんなこんなでオレは、エリザベートの屋敷へと、お呼ばれすることとなった。


 だが、言っておく! これはオレが何者で何処から来たのか……それを確かめる為の物語の序章であり、致し方なく心を鬼にして行かなければならないということを。


 そう……決して、おっぱいに……惑わされたわけではないということを……



【めちゃめちゃ惑わされてんだろ】

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