『異転会』 ~令和30年の日本と世界と仏教をSF風味で。オンラインサロンのパイで包んで香ばしく焼き上げました~
松岡ヒロシ
第1話 令和三十年 川崎
最初に断っておきますが、これはSFです。
SFであるからには、サイエンスなフィクションです。よってここに
「この物語はフィクションです。実在する国、人物、団体、宗教など、一切の関係はありません。」
この定型文を記します。
大昔の人類は、暴力の支配するこの世界に、事あるごとに絶望を繰り返していた。
そして多数の弱者は、そんな世界のルールに耐えていた。心の底から秩序ある世界を切望していた。
混沌の世界の中で、正しい秩序を最初に人類に与えたのは宗教だった。
宗教の発生という人類にとっての大革命。
その前までの人類は、道具を器用に使う猿、多くの言葉を操る猿だった。大昔の人類は猿と大差なかったのだ。
今だって猿と大差ない、という意見はごもっともだが、その意見はひとまず置いておこう。
大昔の、地球上の各所に散らばった人類の、力が支配する無秩序な人類の社会、とも呼べないような小さな社会で、最初に善悪というものをしっかりと定義したのは宗教だった。
嘘をついてはいけません、盗んではいけません、殺してはいけません、隣人を愛し、神に感謝を忘れず、うんぬん。
宗教は社会の中でその力を増し、力を得た全知全能の神は、人類の質問に何でも答えを与えた。人類の神への問いかけは留まることを知らず、人々の問いかけに神の使いとしての神官は、時に真面目に、時に気まぐれに、時に夢で見た内容を答えた。
人類は神に様々な質問をしたが、厄介な質問ナンバーワンは「死んだらどうなりますか?」だった。
死を恐れる人類に対し、神は天国と地獄の存在を教え、輪廻転生を教えた。
極楽浄土に行きたければ、天国に行きたければ、悪いことをしてはいけません。
悪いことをすれば、死んだあと地獄に行きます。
地獄に行ったものには永遠の苦痛が待っています。
良き来世のために今は善行を重ねなければいけません、徳を積まねばなりません。
命は循環するのです。生まれ変わるのです。
此れすなわち、輪廻転生です。
そんな人類と宗教との長い歴史の中で、西暦2043年。不思議の国の日本では、異世界転生を目標とした宗教が生まれていた。
その異世界転生をコンセプトとした新しいスタイルの宗教は、徐々に不思議の国の日本で広まりつつあった。
川崎
「修生様、こちらです。おはやく」
「この先にボートが用意してありますので」
「はいはい、しかしここは・・・」
「だいぶ臭いますね」
「風向きのせいかと思いますが、いや、満潮の時間ですので・・・」
「確証のない時は無理して答えなくてもよいですよ」
「すみません。匂いの原因はよくわかりません」
「東北の津波の時も、ひいた後の匂いは長い間臭かったと聞きます」
「なるほど、そういうことなんでしょうね」
低いビルの間を通る狭い道を抜けると、先に水没した街並みが見えた。水深は浅く、深い所でも膝上、あるいは腰ぐらいまでだろうか。
川崎の土地は海面上昇の影響を受け、満潮の時間は多くの範囲が海水の侵入を許していた。
国は対応に追われ、海岸沿いに高い堤防を建設中。道路は盛土などで海水の侵入を防ごうとしていたが、主要な幹線道路すら作業は間に合っていなかった。
アスファルトで舗装された緩やかな下り坂の、道路の先の波打ち際、といってもその先も道路なのだが、高台から下る道路はまっすぐに水の中へと消えていた。海からの風にチャプチャプと小さな水音を立てている。
三人の袈裟を着た僧侶が下り坂の波打ち際までおりてきて足を止めた。横には小さなアパートがあり、二階から一人の女性が手を振っていた。
袈裟を着た僧侶たちに対し、アパートの二階から丸顔で目がクリっとした女性が小さくプルプルと手を振っていた。
「ポムポムさんですか?」
「はいはーい、上がってきてくださーい」
「かたじけない」
「キャー、しぶい! 202号室、はやくー」
三人がアパート横の鉄の外階段を上ると、真ん中の部屋の扉が開いていた。
中を覗き込むと紺の消防の服を着たガッチリした体格の男性が待っていた。その後ろに先ほどの女性がバタバタと座布団を持って走っているのが見えた。
「いらっしゃいませ。少しだけここでお待ちください、もう少ししたらボートが来ますので」
「ありがとうございます」
「ポムポムさんの旦那さんですか?」
「はい、ダーポムです。ささ、お上がりください」
小さなアパートの一室だった。部屋に入るとコタツの周りに真新しい座布団が三つ用意され、使い古された座椅子が壁に避けられていた。
「挨拶が遅れて申し訳ない。浄光寺の修生(しゅうせい)です」
「福龍(ふくりゅう)です」
「光鈴(こうりん)です」
「これはご丁寧に。よく存じております。佐々木義信です、こちらは妻の千恵です」
「ささ、座ってください、お茶でいいですか?」
「どうぞ、お構いなく」
三人は二人のもてなしに感謝してフカフカの座布団に座らせてもらい、茶を飲みながら少しの間、雑談をした。
暮らしぶりを聞き、悩みを聞いたが、ポムポムとダーポムの生活は今のところ安定しており、今すぐどうこうという問題は無さそうだった。
しばらく話していると窓の外からエンジン音が聞こえてきた。
「ボートが来たようです」
そう言ってダーポムが窓の外に身を乗り出し、大きく手を振った。
窓の下にはエンジン付きのオレンジのゴムボートが見えた。それをダーポムと同じ消防の服を着た男性が操縦している。
「シンヤさーん、すぐいくからそこで待っててくれるぅ」
「よっくん、そろそろ水が引き始めるから早めにー」
「はいよー」
「では、いきますか」
下とのやり取りを聞き、修生の一言で三人は立ち上がった。
「あ、記念写真だけいいです?」
ポムポムがスマホを操作し、それを窓にペタリと貼り付けながら言った。三人は快くそれに応え、アパートの壁をバックに五人で記念撮影をした。
「なるべくネットに上げないようにお願いしますね、上げるときはサロンオンリーとレベル3のコピーガードを。絶対に二週間以上たってから」
「はーい」
「必ず守るように」
「はい」
三人は追われる身、狙われる身だった。それは深く考えれば理由は明らかで、三人が善の存在として目立ちすぎているからで、理解する気のない者からすればそれは、偽善者、詐欺師、悪徳宗教、そんなふうに扱われた。
人は皆、信じたいものを信じる。
「良いことをしてる人らしいよ」
「実は裏では悪いことをしてるらしいよ」
実際のところどうなのか、それは問題ではない。信じたいほうを信じる。勘で。
真実を知るすべもなし、調べるにも確固たる情報もなし、実際そこまでして調べる気もないのだ。勘、人は楽なほうを選ぶ。
そして、勘であれ何であれ、自分の中で一度決めた善悪は、そう簡単には変えない。何か負けた気がする、からなのだろう。
「では行きましょう」
ボートに乗るためにアパートの階段を降りると、物陰から若者が三人あらわれた。
「やっぱりじゃん」
「ほんものじゃん、うけるー」
「マジで見たんだっていったべー」
三人の若者の手にはそれぞれ武器が握られていた。金属バットを持った男が二人にゴルフのアイアンを持った男が一人。
それを見て福龍と光鈴が前に出て、修生を守る陣形を取った。
福龍は170センチほどの身長でがっしりとしている。
光鈴は160センチほど、女性の中でも線の細い部類に入る。そう、女性だ。
二人は並んで無手で構えた。その構えまでの所作ひとつをとっても見る人が見れば、二人がかなりの使い手、何かの武術の熟達した技を身に付けていると解るのだろうが、三人の若者にはそれが解るはずもなく、首をコキコキと鳴らしたり、武器を握った手首をクルクルさせたりしている。
「なんだか、二人に守られているこの陣形は、水戸の御老公みたいですね。残念ながら印籠は持っていませんけどね」
二人の後ろで守られている修生は、二人よりも背が高い。180に少し足りないぐらいだろうか、なで肩から伸びる首が細く長いので、実際よりも身長はさらに高く見える。
「お三人方、改心する気は無いのですか?」
「するかバーカ」
修生の問いかけは案の定、足蹴にされた。
「負けたら改心を考えてみて下さい」
「ざけんな!」
叫んだ一人が三人の中で一番小柄な光鈴に、手に持ったバットを振り上げた。バットは袈裟切りの軌道で光鈴の肩をめがけて力いっぱいのスイングで振り下ろされた。
避けられない、間に合わない、当たる!
その瞬間、バットの「ブォン!」という音よりも大きい音量で袈裟の「ヴァサッ!」という音がした。
光鈴はそれを残像を残すかのごとき一瞬の動きで躱していた。
光鈴に躱されたバットは虚しく空を切り、アスファルトにガツンと当たった。
光鈴は躱した動きから流れるように相手のバットを握った手を掴み、相手の手首をくるっと回す。するとバットはいとも簡単に相手の手から落ちた。落ちたバットは、カランコロンと空しい音を鳴らしアスファルトに転がった。と同時に光鈴は相手の手首を捻り上げ、相手の体を福龍のほうへと向ける。そして手を離した。
「ダンッ!」
大地を踏む足音にしては大きすぎる音が空気を震わせた。光鈴によってその体を無防備に福龍の前にさらされた若者の腹に、福龍の肘鉄が深く突き刺さていた。
「ガハッ! グァヒッ!」
呼吸もままならない大きな、生まれて初めて感じるであろう強烈な痛みに、彼は腹を抱えたまま地面に崩れ落ちた。
あまりにも一瞬の出来事に他の二人は体が固まってしまっていたが、崩れ落ちる仲間を見て武器を握りなおし、慎重に距離を詰めてきた。
「負けたら改心する約束ですよね」
「そんな約束してねえよ」
「あれ? しませんでしたっけ」
「ふざけんな!」
二人が同時に武器を大きく振り上げると、その一瞬の隙に福龍と光鈴は二人の懐まで距離を詰める。そして武器を振り上げている手の肘あたりを裏拳で強く外に払った。その払った左手を引くと同時に右手の拳がみぞおちに深く突き刺さる。ショートレンジから打ち出された拳は、見た目の何倍も強く相手にダメージを与えていた。寸勁。強烈な衝撃に、二人は膝から崩れ落ちた。
うずくまる三人に修生が声をかける。
「負けたら改心する約束、考えてみてください。それと、病院いったほうがいいです。骨にヒビが入ってる可能性、ありますよ」
うずくまる三人は何も答えられなかった。
「それから、今の出来事は動画で保存しましたので、警察とかは止めましょう。めんどくさいですし、正当防衛でこちらに優位ですので」
「修生様、行きましょう。ボートが待っています」
「そうでした。急ぎましょう」
三人は急いでボートへと向かった。
「武器は良くない。手加減ができなくなる」
福龍がうずくまる三人にアドバイスを投げた。
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