ゴーブの守る谷 18
◇ ◇ ◇
ようやくまともに剣を振ることができるようになった。
訓練用の木剣を小脇に抱えて、クールは両手のひらを見下ろした。
最初のうちは、両手が豆だらけになって、それはもう痛くてしようがなかった。
それはセイも同様だったのだが、ふたりは懸命に剣を振った。
一日も早く、立派な騎士になるために。
クールの手を取ったファリースは、薄く笑った。
「随分皮が固くなったな。だいぶ剣がなじんできた手だ」
セイが無言でファリースを見つめる。言葉はないが、紫色の双眸は期待に満ちている。
青年はセイの頭をひと撫でした。
「お前もな、セイ」
クールは目を丸くした。
あ、いいな。おれも。
でも、最初にほめてもらったから、それを口にするのははばかられて、クールは我慢した。
手のひらを見るふりをしてうつむくクールの頭もひと撫でして、ファリースは視線をめぐらせる。
ファリースにとっては何気ないひとつひとつの仕草が、クールとセイにとっては宝物に等しかった。
彼は毎日毎日、ふたりの心の奥にある宝箱に、極上の宝石より輝いていて、最高級の毛皮よりあたたかいものを、惜しげもなく詰め込んでくれるのだ。
「クール、セイ」
ふたりは瞬きをした。ファリースは広場で鍛錬中の騎士たちを眺めている。
「オグマの騎士にとって、もっとも大切なものが、なんだかわかるか?」
振り向いたファリースに、クールとセイは順番に答えた。
「えと……、つよいこと!」
「まものをたおすこと」
ファリースは苦笑した。
「ふたりとも、はずれだ」
えっと目を丸くするふたりに、青年は穏やかに言った。
「いいか、ふたりとも。強くなることも、敵を倒すことも、確かに大事だ。だがな、もっと大切なものがある」
それは。
「守るべきものを、守ることだ」
もし、敵を前にしたときに、守るべきものがいたならば。
オグマの騎士は、守るべきものを守らなければならない。
たとえ、手足をもがれていても。
たとえ、命の炎が残りわずかであったとしても。
立ちあがれ、守るために。
必ず立ちあがれ。
それこそが――――。
どくんと、心臓が鼓動を刻む。
鼓動は、命の証。
この胸の奥深く、魂に刻んだ想いが、ある。
◇ ◇ ◇
まるで中身のない人形のように跳ね飛ばされたディーラの体が、渦の中で引き裂かれる。
ヘレテはそうやって、命をぎりぎりまでもたせて、嬲り殺すつもりなのだ。
レイミアの金切り声と、ようやく手足の痺れが消えかかったセイの怒号が轟く。
セイのロッドの先端が輝きを放つ。
だが、術が完成する前にヘレテによって力場が粉砕される。咄嗟に守りの壁を築いて難を逃れたセイは、視界のすみに掠めた光景に息を呑んだ。
セイの視線に気づいたダンが背後を振り返り、瞠目する。
「ク……」
全身傷だらけで息も絶え絶えだったはずのクールが、剣を支えに身を起こそうとしていた。
瞬くことを忘れた彼の双眸は、相棒でも妖魔でもなく、渦の只中で翻弄されているディーラに据えられていた。
どくんと、心臓がはねる。
――…クール
心臓が、鼓動を刻む。
――立ちあがれ、守るために
刻まれたのは、誓い。胸の奥深くに。
――必ず、立ちあがれ
たとえ、手足をもがれていても。たとえ、命の炎が残りわずかであったとしても。
――それこそが、オグマの騎士と神との間に交わされる、唯一無二の誓約だ
よろめきながら、血を吐きながら。
全力で、彼は立ちあがった。
重い剣を両手で構え、激しい呼吸を繰り返しながら、クールは雄叫びをあげる。
「うおぉぉぉぉぉ…っ!」
血のしずくを振りまきながら、クールはヘレテに突進していく。
その気迫に、フィオールの四肢と呼ばれる妖魔が、ほんの一瞬呑まれた。
英雄から受け継いだ剣が一閃する。
ヘレテの左腕を切っ先が薙いだ。
確かな手ごたえが伝わってくる。
闇の眷属は悲鳴をあげて飛び退った。ぱっと散った血飛沫の量が傷の深さを物語っている。
魔力の渦が散開した。落ちてくるディーラを、本体に戻ったロセスが受けとめる。
押さえた指の間から滴り落ちる鮮血は、人間のそれとは違い不透明な青色だった。
ヘレテはクールを凄まじい目で睨んだ。
「……オグマの…騎士…!」
クールは肩で息をしながら、ヘレテに勝るとも劣らない眼光を返す。
「俺は、クールだ…っ!」
女は唇の端だけで笑った。
「そう…クール…。死に損ないのディーラより、遊び甲斐がありそうだ」
細長い瞳孔が、ぎらりと光る。
「この傷が消えたら、会いに行くわ。待ってなさいな、クール」
ヘレテは視線を滑らせた。
「それと、我が神フィオールの息子もね」
瀕死のディーラに治癒の術をかけていたセイが、かっとなって怒鳴る。
「誰が……っ!」
ヘレテは哄笑しながら姿を消した。
魔力が完全に消えたのを確かめて、クールはそのままくずおれた。
「クール!」
駆け寄ったダンがクールを抱き起こす。よく動けたものだと思わず感嘆するほどに、彼は気力も何もかもを出し尽くしたあとだった。
「クール…!」
ディーラに術をかけていたセイが腰を浮かしかけるが、離れるわけにはいかないと思いとどまる。
そんなセイに、祖母のロッドを握ったレイミアが言った。
「おばあちゃんは、私が。あなたはクールを」
セイは驚いて目を瞠ったが、レイミアはロッドを掲げて癒しの神の名を唱えはじめている。
彼女にディーラを任せてクールの許に向かうと、ダンが自分の上衣を裂いて傷口を縛っていた。
「ディーラは…、ああ、そうか」
泣きながら祖母を癒しているレイミアの姿にすべてを諒解し、ダンはセイにクールを任せる。
セイの手にしたロッドの水晶が、暗くなりはじめた森を照らした。
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