ゴーブの守る谷 7
もっとも、特に知りたいとも思っていない。
オグマ騎士団はフィオールの敵。いずれ全滅させなければならない邪魔者たちだ。
大切なのはそれだけで、ほかにはなにも感じない。
ふいにフィルガスは立ち止まった。
背後から鞭が飛んできた。彼の顔をかすめてローブを裂いた鞭は、風を切りながら戻っていく。
フィルガスは振り返らずに口を開いた。
「親愛なるヘレテ。何の用かな?」
音もなく現れたのは、邪神の腹心のひとりだった。
人とほぼ同じ姿をしているが、邪神の眷属たちは尖った耳と猫のように細い瞳をしている。
ヘレテは妖艶な美女だった。フィルガスと同じ黒いローブの隙間から豊満な肢体が覗く。肌にぴったり張りつき体の線を際立たせる衣は、彼女がその手で引き裂いた翼竜の黒革で作られている。漆黒の髪はゆるく波打ち、腰まで届くほど長い。
ヘレテはその肉体で、人間の男を何人も
そうやって死者が増すほどに、彼女の持つ毒々しい凄みは増していく。
衣と同じ革の長靴の踵を鳴らしながら、ヘレテはフィルガスの背にしなだれかかった。
「ねぇ。しばらくおとなしくしててくれない?」
「なぜ?」
見事な肢体を押しつけられても、フィルガスはまったく動じない。
ヘレテは凄絶に笑った。
「ディーラの居場所がわかったの。誰にも邪魔をされたくないのよ」
「へえ。どこにいるんだい?」
正面を見たまま、フィルガスは薄く笑って問いかける。ヘレテの瞳がぎらりと光った。
「トーリー島ですって」
◆ ◆ ◆
翌朝、最低限の荷物を持ったダンが神殿から出てくるのを認めて、クールは手を振った。
「ダン!」
クールに気づいたダンは驚いた様子で駆けて来る。
「なんだ、騎士団からはきみらが行くのか」
クールとセイも、ダンと同様最低限の荷物を持った旅姿だ。
「ということは、次の谷の番人はクールとセイ?」
ダンの問いにセイが首を振る。
「違う」
「俺たちは、本当の後任がくるまでの、暫定配属」
ダンの肩にとまっていたロセスが本来の姿に転身する。その姿はアードよりも大きい。
「全員私の背に乗りなさい」
アードが声を上げる。
「えっ。セイとクールは僕が…」
だが、それをダンがさえぎった。
「アード。トーリー島までは距離がある。交代しながら向かうべきだ」
アードは物言いたげにセイとダンを見やる。セイは思慮深い目で頷いた。
「ダンの言うとおりにしよう」
「……はぁ~い」
しょんぼりとうなだれるアードを、クールが後ろから捕まえた。
「たまには楽していいってことだろ。ロセス、よろしくな」
にかっと笑うクールに、ロセスは穏やかに応じた。
「ええ、そのとおりですよ、クール」
三人と一羽をのせたロセスは、大きく翼を羽ばたかせて飛び立った。
出発してから程なくして、ダンが口を開いた。
「トーリー島のことは、どこまで聞いてる?」
クールが答える。
「小さな村があって、島民は五十人くらいだってことくらいかな」
「じゃあ、俺がどうして行くことになったのかは、聞いてないのか」
クールとセイが頷く。
「ミルディンには、後任が来るまで谷の番をしろ、とだけ言われてる」
「ダン、谷ってなに?」
表情の乏しいセイが問う。ダンは少し言葉を整理するように時間を置いてから答えた。
「トーリー島の北半分に、険しい岩山が連なっているんだ。その狭間にあるのが、ゴーブの谷」
セイがはっと目を見開いた。一瞬遅れてクールも反応する。
「ゴーブって…地の精霊王の?」
炎の精霊王ジン。水の精霊王ニクサ。風の精霊王パラルダ。そして地の精霊王ゴーブ。
四大精霊の王たちには、それぞれの力がもっとも強く現れる場所があるのだ。
地の精霊王ゴーブの力は、トーリー島の谷に現れる。
セイの手にしたロッドを、ダンはついと指差した。
「そのロッドの先端にはめられた石。それは水晶なんだが」
セイとクール、アードの視線がそこに集まる。光を受けて輝く透明な水晶は、セイの魔力に応じて凄まじい力を発揮する。
「それは、ゴーブの谷で採れたものだ。水晶は大地の力の結晶。ダーナの加護を確実に得るために、地の精霊王ゴーブがドルイドたちに与えたものなんだよ」
セイは、ロッドの先にはめられた水晶にそっと手を触れた。
彼にとって、これは「エルクのロッド」だった。ファリースが自分にと言ってくれた。エルクとファリースふたりの形見のようなもの。
「このエリンを邪神から守るために、神々と精霊王たちはたくさんの加護を俺たちに与えてくれている。でも、実際に手にできるのは、この水晶だけなんだ」
ジンも、ニクサも、パラルダも、力を与えてくれる。だがそれらは形として存在しているわけではない。
「そうなんだ…知らなかった…」
感心するクールに、ダンは苦笑した。
「クール。きみだって持ってるじゃないか」
「え?」
ダンは、クールが腰に佩いた剣を示す。
「騎士の剣を鍛えるのはジンの炎だ。そこには炎の精霊王の力が宿っている」
ジンの。
クールの脳裏に、ファリースに瓜二つの、炎の精霊王の姿が浮かんだ。
そうして、思う。どうしてジンは、ファリースに似ているのだろう。
ああ、逆だ。ファリースがジンに似ているのだ。
精霊王はこの世が誕生したときから存在している。それは神々と同じくらい長い時間だ。
しばらく神妙な面持ちをしていたクールは、ふと気づいて顔を上げた。
「そういえば、ダンはどうしてトーリー島に?」
セイが無言でダンを一瞥する。アードも興味津々といった体だ。
ロセスの翼が風を叩く。
ダンは彼方を見ながら答えた。
「谷の番人ディーラを、説得するためだ」
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