前日譚 ずっと焦がれていた場所を 3

 前を行くファリースの背を、クールは泣きそうな顔で追った。

 怒っているように見える。嫌われてしまったのかもしれない。どうしよう、どうしよう。

 自分は村を捨ててきた。いままで情けで置いてやったのだと言ってはばからない村人たちを振り切って、ここに来た。ここ以外にはいくあてがないのだ。なのに。

 謝らなきゃ。でも、いったいなにに。

 一方、セイもまた必死でファリースを追っていた。

 背が高いからか、速い。彼は普通に歩いているつもりだろうが、自分たちはついていくのに必死だ。

 だが、そんなことをもし言ったら。

 いいや、それ以前に、もし口を開いたら。言葉をひとことでも発したら。

 村人たちの冷たい眼差しが脳裏をよぎる。


 ――妖精の取替子チェンジリング…!


 恐れと嫌悪のない交ぜになった声が、耳の奥にこびりついて離れない。

 唯一セイを受け入れてくれた祭司は亡くなり、あの村にセイの居場所は失われた。

 居てもいいと言われる場所。ここでなら、それを作れるかもしれない。それが唯一の希望。

 だがそれは、騎士になるまでは到底かなわないだろう望みだ。

 魔物に通じるという瞳は隠せない。だからせめて、疑われることのないように、不用意に言葉を発さないようにしなければ。

 必死でファリースを追っていたふたりは、横の扉が開いて大きな台車が出てくるのに気づかなかった。

 そこは武器庫だった。

 台車の荷台に積まれた盾や武器で、中年の武器庫番には長身のファリースしか見えていなかった。

 ファリースが通過したのを確認した武器庫番は、ハンドルをぐっと押した。武器庫番の胸の高さまで積まれた荷は重く、車軸がたわみよろよろする。

 車輪のきしむ音を聞きつけてセイは視線をめぐらせ、ぐらぐらしながら突進してくる台車に目を剥いた。


「わあぁっ!」


 その声に、髭をたくわえた武器庫番は青くなった。荷の陰に誰かがいる。

 慌てて台車を止めようとするが、重量のある台車はすぐには止まれない。咄嗟に進行方向を変えようとハンドルを掴む手に力をこめた。

 重心がずれる。荷の重量を支えきれなくなった車軸が歪み、台車のバランスがくずれた。

 思わず立ち止まったセイめがけて、武器がなだれのように落ちてくる。


「っ!」


 足が動かない。セイは反射的に目をつぶって両手をかざす。


「セイ…っ!」


 クールは夢中でセイを突き飛ばした。セイはそのままカートの斜め前に転がる。

 一方のクールは崩れてくる盾が落下するだろう場所に膝をつき、うずくまって頭を抱えた。無駄な足掻きだが、そうせずにはいられない。

 気づいたファリースが振り返る。

 盾の下敷きになりかかったクールと、いままさに起き上がろうとしているセイの姿が視界に飛び込んだ。


「…っ!」


 目を剥いたファリースが何かを叫ぶが、クールには聞き取れない。

 すべてはやけにゆっくりと進んでいるように思えた。

 金属がぶつかり合う音が耳朶をたたき、鼓膜をつんざく。

 がらがらと派手な音を立てて、盾や武器が床に散らばっていく。

 それらが跳ね回り、転がる騒音が回廊に反響した。




「……?」


 頭を抱えていたクールは、いつまでたっても自分の上に何も落ちてこないことを訝った。

 そろそろと顔を上げる。

 盾や武器が、クールをよけて散らばっていた。

 唖然とするクールに、ファリースが駆け寄ってくる。

 クールは反射的に身を強張らせた。

 怒られる。殴られる。

 無意識に腕をかざして顔をかばう。その腕を、ファリースが掴んだ。

 びくりと体をすくませるクールの耳に、信じられない声が飛び込んできた。


「怪我は!? どこも痛くないか!?」


 クールはびっくりして、息をすることも忘れて顔を上げた。

 目の前に、ファリースの血相を変えた面差しがある。


 ――なにをやってるんだ、この役立たず!

 ――どうしてくれる、おまえひとりで元に戻しておけよ!

 ――クール、薪割りはどうした……!


 幾つもの声が聞こえる。大嫌いな声が聞こえる。


「クール? 大丈夫か、クール!」


 ――クール!

 ――クール!

 ――クール!


 同じように、名を呼ばれているのに。

 この違いはなんなのだろう。

 ファリースを見つめていたクールは、ふいに顔をくしゃくしゃにした。


「……っ」


 怒鳴られるのが嫌だった。殴られるのが嫌だった。

 それを誰にも言えなかった。

 言っても誰も助けてくれないことを、クールは知っていた。


「クール、どこか痛むのか」


 この声を、クールは知っている。

 村の子どもたちに、彼らの両親が向ける声。

 心から心配する、あたたかな声だ。

 クールは顔をくしゃくしゃにしながら必死で口を開いた。


「ご…ごめ…なさ……」


 ファリースは怪訝な顔をした。


「なぜ謝る?」

「っ⁈」


 クールは驚いてファリースを見た。

 そこに、真っ青になった武器庫番が駆け寄ってきた。


「すまんっ! 怪我はないか!?」


 途端にファリースは眉を吊り上げた。


「何をやっている、前方不注意だぞ」

「ほんとにすまん! 大丈夫だったか坊主!」


 クールは呆然としたまま、なんとか頷いた。

 武器庫番はほっとした様子でファリースを見た。


「あんただろ、ファリース。風の精霊を呼んだな。さすが」


 ファリースは肩をすくめるだけでそれには答えない。


「ちょっとこの子を頼む」


 武器庫番にそう告げたファリースは、身を起こしたままの体勢で固まっているセイを顧みる。

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