妖精の取替子 13

 オーブ越しにその光景を見ていたダンは、ロイドとジェインが息を呑む音を確かに聞いた。


「ファリースの、仇…?」


 茫然と、クールの言葉を繰り返す。


「では、十年前にファリースを殺したのは、この…」


 黒いローブの男が。

 思わずオーブに手をのばしかけたダンの耳朶を、愕然としたうめきが叩いた。


「ばかな…!」


 ダンとともにオーブを凝視していたミルディンが青ざめてあえいでいる。


「ミルディン?」


 怪訝そうに眉をひそめたダンは、次に発されたミルディンの言葉に当惑する。


「この男…、なぜこれほどに似ているのだ」


 ダンは目をしばたたかせた。


「似ているって…、いったい誰に…」


 言いさして、ダンはふと思い至った。


「まさか…」 


 信じられない思いでオーブを顧みる。そこに映し出される黒いローブの男の面立ち。

 邪悪をそのまま笑みの形にしたような表情。その顔の造作。

 よく似た顔を、ミルディンと同じようにダンも見たことがある。

 オーブに映るものとは対極の、穏和な目許、常に優しい笑みに彩られていた相貌。

 十数年前だ。ダンはまだ十歳の子供だった。祭司見習いとして神殿に上がったばかりの頃だった。

 憧れの英雄とその対のドルイドが回廊を歩きながら話している姿を、偶然見かけた。あまりにも驚いて、咄嗟に柱の陰に隠れてしまった。

 エリン最強の剣と盾と遭遇した僥倖に、その晩は眠れないほど嬉しかったのをいまもはっきりと覚えている。

 あのエルクの面差しに、黒いローブの男のそれが確かに重なるのだ。

 かすれた声がダンの唇からこぼれる。


「ファリースと、対の誓約を交わしていたドルイドの、エルク…?」


 ひやりとしたものがダンの背を撫でた。昔、年老いた師から聞いた話が、耳の奥でこだまする。


 ――エルクには、チェンジリングにあって行方知れずの弟御がいるそうだ。名は確か……


 オーブの中でクールが叫ぶ。


『フィルガス!』


 ダンは驚愕して目を見開いた。


 ――フィルガスというそうだ


「…フィルガス……」


 あまりのことに目眩を起こしたミルディンは、がくりと片膝をついた。


「ミルディン、しっかり…!」


 支えようと手をのばしたダンの顔も、すっかり血の気を失って紙のように白くなっている。

 老ドルイドはロッドを握り締めると、苦渋の面持ちでうめいた。


「なんということだ…! ファリースを手にかけたのは、お前の弟だったのか、エルク……!」




     ◆     ◆     ◆




 フィルガスの魔力が叩き落されて衝撃に見舞われる。

 ロッドを真横に掲げたロイドは、魔術でそれを跳ね返した。


「セイ! いま助け…」


 魔力で加勢しようとするロイドだったが、セイにぎっと睨まれた。


「手を出すな!」


 その語尾にクールの怒号が重なる。


「あいつは俺たちの手で倒す!」


 並んだふたりは、それぞれの剣とロッドを握り締めた。


「必ず仇を取る。それが…」

「あの暁に、俺たちが心に刻んだ誓約ゲッシュだ!」


 ふたりがこれまで見せたことのない凄まじい気迫に、さしものロイドも圧倒される。

 思わず足を引いたロイドの背後からワームが飛びかかる。ロイドが振り返るより早くモアの翼で弾かれたワームを、ジェインが一刀両断した。


「気を抜くなロイド!」


 鋭い叱咤にロイドは頭をひとつ振る。


「すまない」


 気を取り直すと、ロイドはワームの群れと対峙するジェインの守りに回る。

 クールとセイはフィルガスに肉薄していた。フィルガスの魔力をセイの魔術が跳ね返し、爆散の威力をものともせずにクールが突進して斬りかかる。

 絶え間なく繰り出される剣先に、フィルガスは小さく舌打ちをした。

 抱えた赤ん坊にちらと視線を落とす。


「邪魔だ」


 吐き捨てると同時に、男は赤ん坊をくるんだ布を沼に投げ落とした。

 飛沫が高く上がった。魔力のかかった布の塊は信じられない速さであっという間に沈んでいく。

 クールは色を失った。


「てめっ…!」


 その横を、駆け出したセイがすり抜けた。


「セイ!?」


 アードの叫びが背をかすめたのを感じながら、セイは赤ん坊を追って沼に飛び込んだ。


「セイ!」


 反射的に後を追おうとしたクールの前に、フィルガスが立ちはだかる。


「余所見をしていていいのかな」


 フィルガスは目を細めると、ローブの下に佩いていた剣を抜いた。


「……!」


 クールは息を吸い込んだ。

 構えでわかる。こいつは―――強い。






 ワームだらけの沼底に赤ん坊が沈んでいく。沈むというより落ちるというほうが相応しい速度に、魔力を駆使してもなかなか追いつくことができない。

 何度もワームの牙にかすめられながら、沼底すれすれでようやく布に手が届いた。

 布の塊はぴくりともしない。布を剥ぐと目を閉じて口を半開きにした赤ん坊の顔が覗いた。

 魔力でアナと自分を包む。水中の酸素を集めて口から胸の中に注ぎ込んでやると、アナはひくっと体を震わせて大量の水を吐き出した。

 激しくあえぐアナを抱きかかえて、なだめるように背を叩きながら、セイは視線を走らせた。

 四方を大量のワームに囲まれている。頭上にも折り重なるようにうごめくワームが群れている。逃げ場がない。

 セイはロッドを握りしめた。


「ジン…!」


 ロッドの先端の宝石が光を放つ。が、急激に弱まって消えてしまった。


「そうか…水の中じゃ…」


 炎の精霊は召喚できない。強い魔力を持っていればそれも可能だろうが、いまのセイでは無理だ。

 セイは頭上を振り仰いだ。ワームたちが旋回している。四方を囲むワームたちも一定の距離をとったまま動かない。

 魔力が尽きて息がつづかなくなるのを待っているのだ。




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