飼殺の檻・九と一つの呪いの話

@arkfear

一章

一日目・昼①

 ───ステンドグラスから淡い光が差し込んでいた。


 その光は、もはや元の形がどんなものだったのか一目で判別できないほどに風化してしまった、十字架だったハズのモノをおぼろげに照らしている。

 その十字架の影に隠れるように、片膝を付いて熱心に祈りを捧げる一人の少年の姿があった。


 年の頃は十代後半くらいといったところ。

 ところどころが跳ねている焦げたような茶色の髪は、それが癖毛なのか寝癖なのか一見しただけでは判別できない。代わりに、健康的に焼けた肌やほどよくついた筋肉は、少年が畑仕事を日々の食のかてにしているのだろうということを容易に想像させた。


 微動だにせず、ただただ静かに祈りを捧げ続ける少年。

 ───彼がみじろぎをしたのはそれから五分ほど経ち、教会入口の扉が開く鈍い音が耳に届いてからのことであった。



「随分と熱心だねぇ?

祈る神様も祈る仏様も、みーんな居なくなっちゃったってのにさ」



 少年が立ち上がりつつ視線を背後に向ければ、扉を開き教会の中に入ってきていたのは修道服を着た一人の女性だった。

 その服装──修道服に注目すれば、彼女がここのシスターなのだろうという推察がつく。……右手にかじりかけのパンを持ったまま(時おり口元に運んでかじりつきながら)こちらに歩いてくることや、ベールを頭に被らず、代わりに彼女の長い髪を結うのにその布が使われていることなど、大小さまざまな問題点から目を背けるのであれば、と言う注釈がつくが。



「……少なくとも、真っ当なシスターが口にだすセリフじゃないな、それは」



 呆れ混じりの小さな苦笑を少年が返せば、当の本人から返ってくるのは「いーのよ、なんてったって私はエセだから」という愉しげな声。


 ───サラ。

 それがこの、綺麗な黒い髪と黒い瞳・そしてそれらと真反対の白い肌と、少し野暮ったさを感じさせる黒縁のメガネが目をく、いつもたのしげに笑っている女性の名前だ。








 外見から年齢の判別はつかないが、頻繁に少年へ姉貴面をして見せているあたり、少なくとも20を迎えてはいるだろう。……まぁ身長差だけ考えれば、多くの人が少年の方を『兄』だと答えるだろうが。


 その話題から分かる通り、彼女の身長はさほど高くはない。

 目測でギリギリ150を越えているか否か。彼女の身長はそのくらいのものだろう、というのが少年の見立てだ。

 対する少年が170をゆうに越えているだろうことから、身長による年上・年下の勘違いは町の人々からのお決まりの出来事と化している。


 ……もっとも。

彼女と少年、二人の普段の落ち着きようやら性格やらを比較した結果として、少年のほうを『兄』と見ているものがいないとはとても断言できないわけだが。


 話を彼女の容姿に戻すとして。

 その顔は綺麗、というよりは可愛らしいほう。愉しげにころころと変わる表情や後頭部で犬の尻尾のように揺れるポニーテールとあわせて、彼女の年齢を更に幼く見せているところがあるのは否定できない。……そのわりに体型そのものは普通に大人の女性、といった感じなので少年は時々モヤモヤとした気分を味わうことになるのだが。


 なお、そうしてモヤモヤしたときは決まって彼女の残念な性格が露呈して全部霧散することになるので、恐らくこれでいいのだろうな、とも思っている少年なのだった。


 さておき、神父一人しか聖職者が居なかったこの町にふらりと現れた彼女は、かれこれ三ヶ月ほど、この寂れた教会でシスターとして働いている。……こうして、神父が不在の時に掃除に来る程度には、だが。

 逆に言えばそのくらいのことがまともに見えるほどに彼女が不真面目・不信心であるのだという証拠でもある。


 実際、彼女がこの教会で行うことといえば、周囲の清掃かはたまた町民へ向けた炊き出しか、くらいのものだ。聖職者らしい仕事───例えば礼拝を執り行っているところなどは、この三ヶ月間一度も見たことがない、と少年は言い切ってしまえる。

 それくらい、聖職者としては落伍者もいいところなのがサラという女性だ。


 そんなエセシスター(本人はこの呼称を大変気に入っているらしい。言い出したのは少年)は、右手のひとかけらほど残ったパンをヒョイと自身の口に放り入れると、空いたその手で左手に持ったかごから新しいパンを取り、少年に向かって差し出してくる。



「ま、もうそろそろお昼だし、食前のお祈りも充分したでしょ?

……というわけでほい。

お姉さんからのおごり、味わって食べるがよいぞー」

「……おごりもなにも、おばさんが作ってくれた弁当だろ?これ」



 少年が呆れたようにため息を返せば、サラは「バレたか」と呟き小さく舌を出して、ごまかすように笑うのだった。








「そういえば、神父様はいつごろ帰ってくる予定なんだ?」

「んー……、さあ?近くの村を回ってくるって言ってたから、早くても明日の昼くらいじゃないかな?」



 かごの中に一緒に入っていた水筒からお茶を注いで貰い、一息つく。


 教会外の階段に座って少し早めの昼食をゆっくりと摂っていた少年。

 色とりどりの季節の野菜と、朝に取れた新鮮な卵をボイルして輪切りにしたものを挟んだサンドイッチや、先ほどサラが食べていた少し固めの長いパンを、コーンがたっぷり入ったスープに浸して柔らかくしながらちびちびと消費し。

 傍らのサラと他愛ない会話を楽しみつつ、天気のいい教会周りの森林の景色を楽しみつつ。ぽかぽかとした陽気の中で、眠気を誘う午後の日光浴を楽しんでいた少年だったわけだが。


 ふと、本来この教会に居るはずの───、今はちょっとした用事で外に出掛けている神父のことを思い出し。近くの木陰に座って足を伸ばし、リラックスした様子で陽射しを浴びていたサラに尋ねてみることにしたのだった。


 ところがそうして聞かれた側のサラはと言えば、しばし思い出すような素振りを見せたものの、さして興味も無いのか小さく首を振って話を打ち切ってしまう。

 言い終わったあと、足先を小さく前後させ視線を宙に惑わせるその姿からは、どこかつまらなさげな空気も感じさせた。


 ……まぁ、エセシスターを自称するサラとは違い、この教会唯一の神父たる男は自他ともに認める敬虔けいけんな信徒であり、かつ彼女の自由奔放かつ大胆不敵な行動に、あれこれと注意を促せるような生粋の紳士でもある。

 ──わりと苦手意識があるのかもしれないな、と少年は小さく頷いて階段から立ち上がった。



「……おっと、もうそんな時間か。それじゃ、また夜にね」



 それと同時、少年の行動を見て思い出したように立ち上がったサラは、修道服に付いた細かな草や埃を軽く払い落とすと傍らに置いてあったかごを手に取り、適当な挨拶を置いて走り去ってしまう。

 まるで過ぎ去っていく台風のような慌ただしさに、思わず呆気に取られたような表情をさらしていた少年だったが。

 しばしほうけたあと小さく頭を掻いて「まぁいつものこと、か」と呟き、教会の敷地から出てサラが向かった方向とは逆、自身の管理する畑の方へと歩き始めるのだった。


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