第5記:遊楽

 眼が覚めた。枕辺の時計は「朝の5時」を示していた。予定より1時間早いが、起きてしまうことにした。やることがたくさんあるからである。やること…と云っても、俺の場合「遊び」が8割から9割を占めているが。

 工藤栄一の『その後の仁義なき戦い』の後半を観る(前半は、昨夜、寝る前に観た)。時間が時間なので、イヤホンを使用した。傍若無人の塊りみたいな俺ではあるが、その程度の分別は持っている。


 映画が好きである。好きだが、難解なものは苦手だ。苦手だし、理解できない。どうしてできないかと云うと、頭が悪いからだ。芸術系も駄目だ。途端に眠くなる。暴力系に偏るのは、面白さを求めた結果である。

 退屈な(俺にとってという意味です)映画には、猛烈な催眠(誘眠)効果がある。あの魔的なまでの眠気はどこからやって来るのか?上手に利用すれば、不眠治療に役立てられるような気もする。誤解を防ぐために書いておくが『その後』は眠い映画ではない。工藤監督が手堅くまとめていた。さすがだ。


 鑑賞後、俺は家を出て、駅前商店街へ向かった。空腹を覚えたので、公園の傍にあるレストランに寄った。モーニングセットを頼んだ。数分もしない内にママゴト風の朝食が運ばれてきた。コーヒー飲み放題は嬉しいサービスではあるけれど、大して旨くもない(失礼)ものを、そう何杯も飲めない。


 帰宅後すぐに、1週間分の衣類を担いで、ランドリーへ向かった。雑用も洗濯も今日中に片づけておく必要があるのだった。今日はチェスクラブの日である。そして、明日は「映画まつり」の日である。まったく忙しい。田舎に住んでいた頃は、俺が遊びを追いかけていたが、こちら(東京の隣接県)に引っ越してからは、遊びが俺を追いかけてくれるようになった。その点に限っては、都会向きの人間と云えるかも知れないですね。〔2月12日〕


♞工藤氏は職人系の監督と云っていいのではないかと思う。映画も撮るし、テレビも撮る。どの作品も独特の映像感覚が貫かれていて、まことに魅力的だ。予算的に潤沢でなくても、それなりに画面を作ってしまう。氏の作品ならば「安心して楽しめる」という絶大な信頼があった。巨匠だけでは映画界は成り立たぬ。巨匠気取りはもっと厄介だ。氏のような人が、邦画を支え、厚味を加えていたのだ。そんな氏を慕う俳優さんも多かったと聞く。人間的にも優れていたのだろう。

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