狐の姫君
スコ・トサマ
第1話 父と娘
赤い柱と白い壁が並ぶ横を男が息を切らせて走っていきます。
ここは都の塀の外、牢獄から脱走した罪人が役人に見つかって追われているのです。
黄昏時の夕日が全体的に赤く都を染め上げています。
なんとか塀の外へと逃げ出したのにここで捕まっては意味がない。
牢を抜け出すのに手引きしてくれた仲間は逃げおおせたのだろうか。
走って逃げていると、目の前に一匹の白いキツネが現れ、男の前を走り始めました。後ろを振り返りつつ走る姿から、どうやら男をどこかに案内しようとしているようです。
白い狐は神の使いか
男はそのまま狐を追いかけていくことにしました。するとキツネはふっと土手の下に走りこみます。男も後を追って土手の下へと飛び降ります。
そこには隠れるのに都合のいいくぼみがあり男はそこへもぐりこみました。
追っ手は男を完全に見失い、走り去ってゆきました。
日が落ちて夜になると、キツネが再び男をどこかへ連れて行こうとします。
男は自分を助けてくれたことに感謝し、そのままキツネについいくことにしました。
何か頼み事でもあるのだろうか
森の奥へと導かれていくと、次第に心配になってきます。神の使いではなく魑魅魍魎の類が自分を食べようとしているのではないかと。
ですが、夜の森の中は狐の白い体しか見えず、それ以外の道は全く見えないため、男はついていくしかないのでした。
狐が立ち止まると、そこには森の中に少しできた空間で、月明かりが差し込んできています。
巨大な木々が茂り、いずみが湧き、神聖な雰囲気が満ちていました。
キツネが一本の巨木の下で一声鳴くと周りから4匹の子キツネが現れました。そして、親キツネは木の根元へと男を誘います。
するとそこには女の子の赤ちゃんが眠っていました。
男が驚いていると、
「あなた様は以前、私達を助けてくれました。それで今日はあなたをお助けしたのです。」
と母キツネが喋りました。そして、この女の子を育ててくれないだろうか、という話をするのです。
狐が喋ったことも驚きでしたが、自分が以前救ったことがある、と言う記憶が思い出せず首を傾げていると。
「貴方様が幼き頃です。私もまだ幼き頃、カラスに追われていたのを助けてくれたのです」
そう言われて、なんとなく思い出したような。
あの時は白い子猫がカラスに追われている思っていたが、狐であったか。
男は、どうせ今都に戻っても罪人扱いされるだけだろうから、ここでキツネと子育てするのも悪くないかと思い、この女の子を育てる事にしました。
女の子は母キツネの乳を飲み、子キツネを兄弟とし、男に世話をされてすくすくと育ってゆきました。
それから10年の月日が流れ、女の子は兄弟のキツネ達と森を走り回り、母キツネを母親、男を父親と慕い、元気に育っていました。
「おうい、小雪、ちょっと来なさい」
ある日、いつものように森を兄弟(キツネ)と駆け回っていると男に呼ばれました。どこにいるのか周りを見渡すと、はじめて男と女の子が出会った巨木の根元に母キツネといっしょにいました。
「なんですか父君、母君」
小雪はそう言って二人(?)の元へと走りよってゆきます。周りにつきまとう4匹のキツネもいっしょです。
皆が揃うと男は、
「小雪も、もう十才だ。そろそろ都に行って人間をみるべきだと思う。そこで、次の満月が来るまでに一度、二人で都へ出かけようと思うのだがどうだろう」
と言いました。母キツネも横で頷いています。 小雪はとても喜びました。人間のたくさんいるところを見るのは初めてだからです。
男はこれまでも必要なものを得るために近くの村や集落へは物々交換や毛皮や森の幸を売るために出かけていたのですが、都へは足を運んでおりませんでした。
もう10年経ったことと、男の風貌もかなり変わったことで都に行っても大丈夫だろうと判断したのです。
小雪はいつもの草の蔓で編んだ着物ではなく、近くの村で男が買ってきた女児用の麻の服に身を包み、少し小綺麗にしているのでいつもよりも女の子らしい姿になっていました。狐の母が「人間の女の子みたいだよ」と言って褒めてくれます。
小雪と男は都へとやってきました。たくさんの人とたくさんの建物を見て、小雪は驚きっぱなしです。男以外の人間を近くで見たのも初めてなのですから。
しばらく都を散策していると、男は昔なじみに呼び止められました。
以前、男は官職についていたのですが、そのときの同僚で、10年前に男が脱走するのを手伝ってくれたものの一人でした。
あの時に手伝ったことは皆に知られておらず、そのまま職務を続け今ではだいぶ高い位へとなり、多くの役人を従えて都の治安を守っていると言います。
男が10年前に計画していたことについて話をしようとすると、
「このような人目のあるところではまずい。部屋を借りてそこで今の状況を話してやろう」
と言い、男とそのなじみは、料理屋に入り食事をする事にしました。
男は小雪は外で待っているように、と言い、道向かいにある団子屋でお茶でも飲んでおくようにお金を渡してくれます。
小雪は喜んで団子屋へといき、都へくる前に男から習った通りにお金を支払いそこで休むことに。
都では子供が団子を買いに来ることはよくあるらしく、そのあたりに同じ歳くらいの子供達が楽しそうに団子を食べている姿がありました。
小雪はそんな子供達と話してみたくて溜まりませんでしたが、男から
「あまり会話はしないほうがいい。私の喋り方と都の喋り方が違う場合があるから」
と言われていたので、その様子を遠巻きに見ていることしかできません。
しばらくすると、料理屋が騒がしくなってきました。
小雪は団子屋から料理屋をみると、そこにはたくさんの役人がやってきて、男を取り押さえている姿が。
それは、昔なじみがこっそりと通報していたためです。
昔馴染みは、10年前は男達の考えに同調し、ともに国を変える手伝いをしたいと思っていたのですが、時間が経つにつれ、自分の役職も上がっていき。
今の立場、生活を失いたくないと思い始めていたのです。
そして、何か手柄をあげることでさらに自分の評価を上げようとしているところに男が現れてきてくれた、と言います。
「10年間の利息がついて戻ってきたようなものだ」
と昔馴染みは男に話しかけ、そのまま役人達と去っていきました。
男は捕らえられて、小雪は一人取り残されてしまいました。
小雪はすぐに都の外へ出て、キツネの兄弟と共に森へと帰り、母キツネにこのことを話します。
すると母狐は兄弟のうち、一番すばしっこい一匹に男の様子を見に行かせました。
そして小雪には男の身の上話を語り始めます。
昔、今の政治を司る家と対立する立場にあったために男は重要な官職を追われ、罪人に仕立て上げられ、10年前に脱走し今に至ることを。
元々は国を支える重要な役割を持った知識人だったという話もするのですが、なぜ母狐がそれを知っていたのかは謎です。
そのうち、様子を見に行った兄弟が戻ってきました。
男は脱走の罪も重ねていたため九州へ送られる事になったと言うことを伝えに。
それを聞いて、母キツネは木の根元から一枚の着物を取り出してきました。その着物は小雪が森の入り口に捨てられていた時にくるまれていたものだとか。
「この着物を持って、父君に会いに行きなさい」
母キツネはそう言って手渡しました。 それから旅の準備を整え、小雪はキツネの4兄弟と共に九州を目指して旅に出発します。
小雪はキツネ兄弟と共に九州を目指しますが、人間の作った道は一切通らずに山の中や森を通って向かっていきます。森で生活していたこともあり、森の中の方が慣れているのもありました。
山にある果実や魚を食べ川の水を飲み、夜は兄弟と身を寄せ合って眠り、まったく人と出会うことなく、数日が過ぎました。さすがに何日も歩き通しだと体も汚れてきて気持悪くなるので、たまに川で身を清めたりしながら進んでいます。
あるとき、荷物を岸に置いて、兄弟達と水浴びついでに魚を採っていると、母キツネからもらった着物が入った包みを何者かが取って逃げてゆきました。すぐにキツネの兄弟が追いかけて犯人の足や手に噛み付いて引き倒してしまいます。遅れて小雪もやってきました。すると荷物を取ったのは小雪よりも小さな男の子でした。 キツネを放してから、どうして取ったのか聞くと、
「俺はみなしごなんだ。物を取らないと生きていけない」
と言うのです。
そこで、小雪は自分も親から捨てられて、今の父君とキツネの母君に育てられたというと、男の子は笑い始めます。 キツネが人を育てるもんかと。
するとキツネの兄弟が威嚇の声を上げて周りを取り囲んで脅しをかけたりしました。男の子は急いで謝って、小雪は取られた荷物を持って、先を急ぎ始めます。
するとその男の子は付いてくるのです。 どうせ、みなしごだからどこへいっても自由だし、小雪についていって九州にも行ってみたいと言って。
名前は一太、年は小雪より一つ二つ下のようです。
それから二人と4匹は九州に向かい歩き出しました。一太は火を起す術を持っていたので、それからの旅では魚を焼いたり、焚き火で暖まったりできるようになりました。
小雪は火の起こし方を習っていないと言うと、むしろ一太からは「火を使わずに旅をすることの方がおかしい」と言われてしまったり。
一太と話していると、小雪は自分がかなり一般的な人間としての常識が欠けていることを段々と知っていきます。
都で父君が周りと話すな、と言っていたのはこう言うことか。
そしてそれから1ヶ月が経ち、すこし背の伸びた小雪と一太、それに4匹のキツネは関門海峡へと到着しました。そこは子供が泳いで渡るには流れが急すぎて危険です。そこで九州へと渡る船を探していると、一人の老人と出会いました。その老人は、自分の息子達は戦に取られてしまって、後を継ぐものがいない、と嘆いています。そこで、一太は言いました。
「この子とキツネをむこうへ渡してもらえないか。そうすれば俺がじいさんの跡取になってあげるよ」
老人は喜びました。
そうして、小雪は無事に九州の地を踏む事ができました。そこで一太とはお別れです。
「俺はこれからここで爺さんに船を習って暮らすつもりだから、今度九州から渡りたい時はこの岬で煙を上げてくれよ、そうしたら迎えにくるから」
と言って一太は笑いました。
小雪は再会することを約束し、今までのお礼を言って、父君のいる所へ向かいました。
小雪は一太と分かれた後、父親を探そうと思いましたがどこに行けばいいのか良く分かりません。 なので、近くにいた役人に、都から九州に流された人たちはどこにいるのかと聞いてみると、大宰府にいると教えてくれました。
役人達もまさか都から子供が来たのだとは思わず、近くの子供が好奇心で聞いてきたくらいにしか思ってませんでしたから、気安く教えてくれたのです。
そこで、小雪はキツネの兄弟達とまた山の中を通って大宰府を目指します。キツネの兄弟が他の動物に道を尋ね、それを小雪に教えてくれるので、危険なところを避けて進む事ができました。
盗賊などにも出会うことなく、数日後には大宰府にたどり着きました。
そこで、キツネの兄弟が夜のうちに父君を探して、ついに小さな小屋に住んでいるのを見つけます。
そこで小雪と男は再会を果たすのです。男は大いに驚き、そしてとても喜んでくれました。自分が捉えられた後、小雪がどうなったのか心配だったので、元気な姿が見られて嬉しいと。
そして小雪は母キツネからもらった着物を男に見せました。
すると男の表情が変わります。
何度か着物を前に頷いた後、小雪に言いました。
「小雪はここでしばらく暮らしてみないか。人間に関するいろいろな勉強を身に付ける必要がありそうだからな」
小雪は父君と暮らせるのは嬉しかったので、そのままいる事にしました。 大宰府には都から多くの人が流さされて来ており、華やかさはないものの、教養のある人達が揃っていますので、都の学問を学ぶにはちょうど良かったのです。
母狐のことは心配でしたが、男が「母は普通の狐ではないから大丈夫だ」と言い、母狐もこうなることを予想して着物を渡してくれたのであろうと話します。
そうして、小雪は5年を過ごしました。
小雪は15歳になるまでに様々な人から教えを受け、武芸も、学問も極めてしまいました。都から流されてきた知識人たちは、優秀な生徒には自分の持っている知識全てを教え込もうとするので、毎日毎日新しい先生がついて教えるような状態になり。
森育ちのため身のこなしがいいので剣術などは教えていた者の方が
「もう教えることはない、あとは実践で自分で極めるのだ」
と言う始末。
学問も海外からの知識や大陸からの知識などを海綿が水を吸うようにぐんぐんと飲み込んでいき、太宰府の知識人と対等に議論が交わせるくらいになっていきました。
その様子を見て父君が言います
「もうお前も15だ、都へといってみないか?」
小雪は喜んで行きたい旨を伝えると、父君は書状を手渡して言いました。
「この書状と、お前が持ってきた着物を都の藤原氏へと届けてくれ」
そして、身なりを男にして、女であることを隠してゆくようにとも言われました。
小雪は、今度は都へと戻る旅に出ることになったのです。
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