エトランジェの車窓より

ふじなみ

プロローグ

 灯逗山ひずやま県・大淀おおよど市。日本の中央に位置するこの都市は、血管のように張り巡らされた高速列車によって全国各地へ行き来することが可能になっている。また、西端に位置する麗水れいすい、北東に位置する小渡おわたりと提携した鉄道会社組合によって、この三区間内であれば、一年間自由に行き来できるパスポートも発行されている。


 これらの鉄道は通称カスケードと呼ばれ、徹底された車内環境と車窓から見える素晴らしき景色の数々は、日本のみならず世界でも絶賛されるほどだ。


 一ノいちのせ陽太ようたは窓枠に肘をついてもたれかかりながら、そう得意げに説明する大学生の会話を聞いていた。


 「さらにその年間パスには一年間で乗った回数が記録されていて、回数に応じてランク付けがされるんだ」


 視線を隣に向ければ、席を回転させてボックス席のようにしている男の四人組が目に入る。


 そのうちの一人がシルバーのカードを取り出し、男たちに見えるように掲げた。


「お前らは年パスすら買わないだろうが、俺は今年で累計三か月もこの列車に乗ったんだ。おかげでランクはシルバーさ。席を予約するときに優遇してもらえるんだぜ」


 他の男たちが各々「へー」やら「すげえ」など気のない返事を返す中、内の一人がこう質問した。


「ランクってシルバーだけなのか?ほら、ゴールドとかプラチナとかありそうなもんだろ」


 カードを持った男はやや機嫌を損ねたように鼻を鳴らすと、カードを裏返した。


「勿論あるさ。だがな、条件はどれも厳しいんだよ。例えばゴールド。累計で半年乗り続ければゴールドになる。それからプラチナ。これは一年間欠かさず乗ればこのランクに上がる」

「一年間も?はは、そりゃ厳しいな」

「だが、その恩恵は計り知れないものなんだぜ。席は最優先、食事もファストフードからフルコースまで頼める。見てろ、俺は絶対プラチナになってやるからな」


 そう息巻く男と、それを見て笑う男たちを一ノ瀬がぼんやり眺めていると、通路にやってきた搭乗員に視線を遮られた。


「お客様。パスポートか乗車券をお見せいただけますか?」


 愛想よく笑う女性の搭乗員に軽い会釈をしてから、ポケットにあるケースを取り出し、それを開いて見せた。


「パスポートですね。毎度のご利用ありがとうございます。ええと、お客様は……」


 手慣れた様子でパスポートに目を通す搭乗員は、カードの背面を見た瞬間に驚きの表情を浮かべた。


「これは……」


 背面が漆黒に塗られたパスポート。先ほどの大学生達の会話には出なかったランク。


「全国でも数えるほどしかいないと言われているブラックカード……。この目で見たのは初めてだわ……」


 嘆息しつつ様々な角度からカードを眺める搭乗員だったが、一ノ瀬の視線に気づくと、咳払いをしてからそれを返した。


「申し訳ございません。この仕事も四年目ですが、初めて拝見したもので、つい……」

「いやあ、全然かまいませんよ」


 言いつつ一ノ瀬は受け取ったカードをケースに仕舞う。名残惜しそうにそれを見つめていた搭乗員は、今度はそれを持っている一ノ瀬に興味を持ったようだった。


「不躾な質問ではございますが、お客様は今おいくつでいらっしゃいますか?」

「この見た目でも大学生なんですよ。歳は二十一です。よく高校生と間違われますが。友人からは童顔だと」


 百七十を辛うじて超えるぐらいの背丈に、肉のついていなそうな体は、おそらく体重六十キロにも満たないだろう。癖のある髪を撫でつけながら穏やかに話す様子は、確かに傍から見れば落ち着いた高校生のように見える。


「それにしても、お若いのによくそのランクまで到達しましたね」


 搭乗員は不思議そうに首を傾げた。


「色々とありまして」


 言葉を濁した一ノ瀬に、搭乗員は潔く身を引いた。


「申し訳ありません。長々とお話ししすぎてしまいましたね」

「大丈夫ですよ。私も楽しかったので」


 搭乗員は嬉しそうに笑うと、胸に手を当てた。


「私この列車が好きなので、プライベートでもよく乗るんです。今後お会いすることがあれば、またお話してもいいですか?」

「ええ、勿論。こちらからお願いしたいぐらいです」


 そうして去っていく搭乗員の背中に一ノ瀬は小さく頭を下げ、再び窓の外に目をやった。列車は都市部を抜け、田園地帯へと差し掛かっていた。

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