第6話 酒の肴は知らぬ花

 一美ひとみが入社してもうじき二ヶ月が経とうとしていた初夏の夜、彼女を含めた六人の新人スタッフをもてなす歓迎会という名目の、ほぼ全スタッフ総勢三十八名による飲み会が開催された。

 この時の事はほとんどうろ覚えだが、特に一美との関係性に変化があった記憶もないので、たまには全部忘れて羽を伸ばそうと思っていた自分がいる。


 しかしこの歓迎会では、壱谷千智いちたにちさとだった俺には知るよしもない展開が巻き起こり、まるで先が読めずに頭を悩ませるのだった。

 


「おぅ、お疲れ二色にしき。早く隣に座れよ!」

 

「お疲れ様です矢野さん。もう出来上がってるみたいですね」

 

「あん?

 まだお前と飲み比べしてないのに、出来上がってるわけないだろ、あぁん?」

 


 閉店時間までの勤務を終え、会場である広めの居酒屋に到着した俺は、早速真っ赤な顔をした先輩準社員に呼び止められる。

 ジョッキを片手に盛り上がっている矢野さんは、のちに社員となって大杉店を引っ張っていく事になる熱血漢だ。

 


「あれぇ? そういや壱谷はまだ来てないのか?」

 

「あー、あいつはなんか準備があるらしくて、後から合流するそうです」

 


 壱谷千智の肉体は、アルコールの分解酵素をあまり所持していない。とどのつまり酒に強くないので、確か今頃はコンビニに寄り、ウコン系のサプリやエナジードリンクを腹の中に詰め込んでるはず。

 しかし対照的に、錬次れんじが酒に呑まれている姿は一度も目にした事がなく、この体になってからは本当に酔いにくくなった。

 

 そうこうしている間に千智も合流し、少し後方の大きな座卓ざたくを囲む隙間に割り込んだ。

 千智と同じテーブルの反対側には一美も座っている。

 


「これでみんな揃ったかな。

 飲み物も行き渡ったところで、改めていくからね」

 


 遅番メンバーの注文が届いたタイミングで、新井店長が立ち上がりみんなの注目を集める。

 


「今日は眠くなる話はなし。

 みんなのおかげで売上は好調だし、ホントにありがとね。

 そして………新人さん、いらっしゃ〜い!」

 

 『いらっしゃ〜い‼︎』

 


 なぜこの乾杯の音頭で意気投合できるのか分からんが、とりあえず腹が減っていた俺はビールジョッキを半分空にした後、大皿にあった唐揚げを口に頬張った。

 


「二色ぃ、お前にはすぐ抜かされそうだよなぁ。

 お前みたいに仕事出来る後輩は怖いな!」

 


 そう言いながら絡んでくる矢野さんは、白い歯を見せてニヤニヤしている。

 元々兄貴分な気質の上、年齢も三つしか変わらないから、これでもなんだかんだ接し易い人だと思う。

 


「そんな事ないですよ。

 矢野さんの教え方が上手いから、俺も千智も急成長できたんですから」

 

「まぁなー! 一二いちにぃコンビは将来有望の出世株だし、大切に育てるさぁ!」

 


 一二コンビとは壱谷と二色をまとめた呼び方だ。

 気が付いたら大杉店の中ではこの呼び名が定着していたが、発生源は恐らくこの人か松本さん辺りだと予想している。


 多少腹が膨れ出し、矢野さんの絡みも鬱陶しく思い始めた頃、視線を移したその先で松本さんと目が合った。

 彼女はすごく変な顔で俺を睨み付けると、ハンドジェスチャーでこちらに来いとアピールする。

 


「どうしたんですか?」

 

「まぁいいから座りたまえよ」

 


 さっきの変顔とは裏腹に、いつになく真剣な声色の松本さんを見て、俺はうながされるまま隣に座った。

 だが直後、ガバッとのし掛かられるように肩を組まれ、耳元に小さめの声で囁かれる。

 


「どうしたはあんただよねぇ。

 いいのかい? あれ。

 三隅みすみさんって結構壱谷くんのこと気に入ってると思うよ」

 


 松本さんが指差す先には酔いで今にも眠りそうな千智と、他のスタッフと話しながらも、優しい眼差しで千智を見つめる一美の姿があった。

 普段活発な一美があんな表情をするのは、付き合い始めた後にしか記憶が無い。

 しかもその視線は過去の俺に向けられていて、まるで第三者の視点で自分の幸せを覗き込んでいるような、不思議な気持ちになっていた。

 


「えぇ、ちょっと、なに笑ってんの? 

 ここ笑うところじゃないってぇの!」

 


 自分でも気が付かなかったが、どうやら俺の口元はほころんでいたらしい。

 これが俺の本当の心なのかもしれないな。

 


「いいんですよ松本さん。

 なんて言うか、今は一美に幸せになってもらいたいんです」

 

「おま、はぁ⁉︎ 呼び捨てって、はぁ? 

 本当にあんたらどういう関係? 

 ……妹か⁉︎ 生き別れの妹なのかぁ⁉︎」

 


 取り乱している松本さんをよそに、俺は一美達の様子を黙って見守っていた。

 しかし正面に座る新人さんの言葉に、激しく動揺する。

 


「松本さんと二色さんって、すごく仲良いですよね。

 実は付き合ってたりとか……?」

 

 『ねぇよ!』

 


 おっとり系の雰囲気で爆弾を落としてきたこの子は、一美と同時期に入ったアルバイトの岸田さん。

 年齢は一美のひとつ上だが、二人とも親しげに話せる間柄だ。

 そして岸田さんの疑念を全力で否定した俺は、不覚にも松本さんとハモってしまった。

 


「そ、そうなんですね。

 じゃあやっぱり二色さんは、一美ちゃんのことが好きなんですか?」

 


 その質問には即答することが出来ない。

 隣からの張り付くような視線はズキズキ刺さるが、ここで俺としての気持ちを告白すれば、経験した残酷な未来を繰り返してしまう気がしたからだ。

 応援してくれている松本さんには悪いが、今の俺は錬次としての回答をするしかない。

 


「気にしてないと言えば嘘になるけど、それは友達としての感情だよ。

 今は好きな人とかいないかな」

 

「本当ですか? 

 二色さんって中性的で綺麗な顔をしてるし、性格もしっかりした大人って感じでモテそうなのに……」

 


 見た目に関しては同意するが、性格はまぁ……、精神年齢アラサーだからそう見えるのかな。


 松本さんは呆れた表情で俺を見ていたが、お手洗いに行くと言って隣の席からすぐに立ち去った。

 すると今度は正面からの眼差しが、えらく眩しくなってることに気が付く。

 


「ほら、俺もまだ二十二だし、結婚焦ってるわけでもないから、今は仕事を優先したいなぁ……みたいな?」

 


 なにモテないOLみたいなことを言ってるんだこのアラサー男は。

 


「うちもお仕事中の二色さんすごくかっこいいと思いますが、普段はどんな感じなのかな? って気になったりしますよ」

 


 うん? なんで岸田さんにそこまで気に入られてるんだろう。

 彼女は一美に比べると人見知りで、こんな風に話せるようになったのはここ最近なんだけど、イケメンは大した事してなくてもやっぱ女の子の気を惹くのか?

 


「普段ねぇ……。

アニメとか映画観たり、本読んで過ごしたりが多いかな。

割とオタクっぽいと思う」

 

「インドア派なんですね。

うちも映画とか好きでよく観るんですが、今は八月に始まるアニメ映画の予告編観てワクワクしてるんです!」

 


 たしかこの年の八月って言ったら、あの有名監督の作品が……

 


「もしかしてあれ? 主人公とヒロインの体が入れ替わって、君は誰? ってなるやつ」

 

「それですー!

 ちょうど夏休み中だし、誰かと行きたいなぁとは思ってるんですが、うちの周りに趣味が合う人が少なくて……」

 


 上映まで二ヶ月以上先だし、俺にとっては過去に観てる映画だと思うと、なんだか色んな意味で気が緩む。

 


「……俺で良ければ一緒に行こうか?」

 


 たぶんちゃんとした笑顔は作れていなかったと思う。けれど岸田さんは本当に嬉しそうにしていて、俺も悪い気はしなかった。

 だってこれは浮気でもなんでもない。

 過去の錬次の恋愛事情は聞いた事なかったけど、またあの未来に繋げるくらいなら、他の恋愛を考えるのもありだと思う。

 そうやって俺は自分自身の気持ちに言い訳を作り、他人事ひとごとみたいに誤魔化すのだった。

 

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