第3話 始まる他人転生お仕事ライフ
翌朝目が覚めると、当然ながら正面に見える天井にはなんの思い入れも見当たらない。
すぐに洗面所に向かい意を決して鏡に喰らい付くが、寝癖とよだれの痕跡があるだけの
「ふぐっ!」
一美がこいつと手を繋いでいる姿が不意に脳裏をよぎり、勢い余って横っ面を拳で殴ると、当たり前だが自身の頬に痛みが走る。
「やっぱり夢でもないのか……」
昨日の帰宅後に家の中を色々調べてみたが、遊びに来た時に使ったゲーム機や映画のDVDを除いて、馴染みを覚える物は見当たらなかった。
ハッキリしたのは、錬次の姿になったのが二〇一六年の一月二十五日で、大杉店がオープンしてからちょうど五日目。
二人ともオープン前のスタッフ募集で準社員として入社し、確か初出勤が十一月半ばのオリエンテーションだったから、俺達の関係も二ヶ月ちょいの時点という事。
つまるところ二十八歳だった
だいぶ冷静に受け止められてきたが、これは流行りの異世界転生ならぬ、同世界他人転生とでも呼べばいいのだろうか。
よりにもよってこの男になるなら、異世界に転生した方がまだ救いもあっただろうに……。
いや待て、この時代だとまだ異世界転生ジャンルは浸透していなかったか?
とまぁそんな限りなく優先度の低い考察まで始めるほど、俺の精神状態にはヤケクソ混じりの余裕が生まれていた。
「今日の錬次のシフトは
同じ職場のよく知ってる人物だった事は幸いで、仕事や日常生活を送る上での、最低限の生きる
今日の昼過ぎからの勤務では、どんな風に錬次を演じながら過ごしてみようか。
「おはようございます!」
「おはようございまーす。あら二色くんずいぶんと早くない?
まだ遅番まで一時間くらいあるけど」
実は俺と錬次の家は一駅分しか変わらないのだが、どうも慣れない場所からの出勤だと気が急いてしまい、早めに家を飛び出してしまった。
「藤田さん、お久しぶりです!
昨日は早退しちゃったんで、今日は誠意を示す為に早めに来たんですよ」
「二日前にもシフト被ってたじゃん。
そのペースじゃ顔合わせる度、毎回お久しぶりになっちゃうよ?」
休憩室で作業をしていたのは、三十代前半で美人奥様と評判の藤田さん。
幼い娘さんがいるので基本的には
この店で二年半くらい勤めた後、産休に入ってそのまま会ってなかったんだよな。
「そ、そうでしたよね。
なんかお会いするの凄くご無沙汰な気がしてしまいまして」
「へんな二色くん。でも良かった。
倒れたって聞いてたけど、めっちゃ元気そうだね」
数年ぶりに見られた、思い出深くて懐かしい人の姿は、本当にあの頃のままで心にグッとくるものがあった。
藤田さんの作業を邪魔しない程度に会話をしながら、昨日の客単価や売れ筋商品などをPCでチェックしていると、またひとり誰かが部屋に入ってきた。
「おはようございます!」
聞き慣れない男の声に、後方を視認するまでは本当に人物を特定出来そうもない。
「
「………はいぃ⁉︎」
藤田さんの発言に耳を疑い、思わず変な声を出しながら全力で振り返ってしまった。
他人の耳で聞く俺の声って、あんな声だったんだ……
「いやぁ、昨日錬次が体調悪かったんで、休みだったらどうしようかと考えてたら、早く来ちゃってました」
「なんか二人ともまじめだねー! 関心関心」
「お、錬次も復活してるじゃん。その後体調どうよ?」
部屋の奥に居る俺に気付いたあいつは、荷物も置かずにこちらに向かって来る。
というかこいつは本当に何者なんだ?
単純に考えれば過去の俺だが、未来と過去の同一の存在が同じ時間軸に居るって、あり得ないだろさすがに……。
「あぁ、心配かけて悪かったな。
昨日は家に帰ってゆっくり休んだから、もう大丈夫だ」
考えれば考えるほど、自分に話し掛けられているこの状況が不気味過ぎて、作り笑いがピクピクと痙攣しているのが分かる。
「お、なにそれ!
パソコンで他店との売れ筋を比較したりもできるのか!
俺にもそのページの開き方教えてくれよ」
しまった。入社したての俺達では、まだこんなデータを気にする段階ではなかった。
しかし見られてしまった以上は仕方ないので、細かい情報の探り方を懇切丁寧に説明していく。
真剣な表情でメモまで取っている壱谷千智の姿には、なんとなくだが身に覚えがあった。
「なるほどなぁ。
これを見ればうちに来るお客様の傾向とかも見えてくるな」
「前もって詳細な情報を知ることで欠品の防止やお勧めの仕方にも活かせるから、満足度やリピート率を上げるためには重要なファクターなんだよ」
俺が
変に細かいところを気にしてしまう俺は、中身の部分を理解出来る丁寧な教え方が一番性に合っていたんだが、まさにそのニーズに応えてくれたのが錬次だった。
「すごくわかりやすかった!
さすがに経験者は考え方や視点が違うな!」
「別に大した事は言ってないさ。
また気になる点があればいつでも聞いてくれ」
俺から見ればまるで同じ顔をした弟分でもできた気分だが、こいつから見れば俺はあくまでも同僚の二色錬次なんだよな。
この一件を
過去の自分自身がそうであったように、錬次から千智へと受け継がれる知識やスキルは、壱谷千智という人間そのものを大きく成長させていく。
なるべく同じ人生を辿らせることで、もしかしたら俺の体も元に戻るかもしれない。
そんなご都合主義的な展開にも淡い期待を寄せながら、因縁のライバルの体に変わってからの時間も刻々と過ぎていった。
「千智、この商品の在庫確認頼めるか?
データ上は在庫上がってるんだが、売り場でサイズ欠品してる」
「あー、それなら確か昨日納入されてるな。
バックルームにあるはずだから、そのまま品出ししておくよ」
俺が俺でなくなり一ヶ月が過ぎた頃、過去の俺は同期で一番よく働くまでになっていた。
接客に関してはまだまだ足りない部分も多いが、商品管理や品出しの手際の良さなら、年単位のアパレル経験者にも劣らない。
なにより力仕事においては若さと腕力が相まって、今の俺よりも遥かに重宝されている。
まぁこの細腕でも女性よりは筋力があるので、コツさえ掴めばなんとかならない事もない。
「二色くん、その商品とマネキン運ぶのはあたしがやっとくからさぁ、君は店頭付近のお客様対応をしておくれ」
前言撤回だ。松本さんの身長は錬次よりもだいぶ低いのに、力仕事の手際が遥かに良くて俺の立つ瀬がない。
頭の中はなんとかなるが、体格だけはどうにもならないからなぁ……
「あ、壱谷さんちょっと!」
「はいはい、なんですか?」
「いえ、二色さんは呼んでないです……なんかすみません」
そして考え事をしていると、反射的にそれまでの名前に反応してしまう。
こればかりは三十年近く
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