婚約破棄おめでとー!

鳥柄ささみ

1 婚約破棄おめでとー!

「ベルーナ・ディボラ嬢! 貴女との婚約を破棄する!!」


 今日はディデリクス王子とベルーナ侯爵令嬢との結婚前パーティー。……のはずが、冒頭の突然の婚約破棄宣言。

 ベルーナはもちろん、パーティー参加者もみな寝耳に水で、先程までのお祝いムード溢れる喧騒から一転、まるで時が止まったかのように一斉に静まり返った。

 だが、当の発言者本人であるディデリクス王子はなぜか得意げな様子だ。


「何か言いたいことはあるか? ディボラ嬢」


 ベルーナがあまりにも長く黙っていたものだからディデリクス王子も業を煮やしたのだろう、彼女に返事をするように急く。

 するとベルーナは、「こほんっ」と軽く咳払いをしたあと、「やったー! よかったー!!」とこの場で大喜びしたい気持ちをグッと抑えながら恭しく頭を垂れた。


「承知致しました、王子」

「はっ、そうかそうか。って、え? ちょっと待て、理由を聞かぬのか?」

「えぇ。こんな大規模なパーティーで、しかも公衆の面前で婚約破棄をされるなど、相当なご覚悟があるとお見受けしました。婚約破棄される身に覚えが私にはございませんが、そのご覚悟を覆すほどの何かを私は持ち合わせてはおりません。ですので、不承不承ながらその宣言を承ります」

「いや、待て、違うんだ! というか、もっと抵抗するなり、縋りつくなり……っ」

「皆様、今日はわざわざお時間を作ってお集まりいただいたというのにこのような結果になってしまって申し訳ありません。私はこの場には相応しくないようなので、失礼致します」

「おい、ディボラ嬢! 待て! くそっ、どうなってる! こんなはずじゃ……っ!!」


 背後で右往左往しているディデリクス王子を尻目に、振り返ることすらせずにベルーナはその場をあとにした。……本当は今すぐスキップして踊り出したい気持ちをおくびにも出さずに。



 ◇



「ぷはー!! 今日は宴よ! じゃんじゃん持ってきて!!」

「行きのあの憂鬱な表情から、随分とまぁ変わりましたね」

「そりゃそうよ! なんてったって婚約破棄よ! 婚約破棄!! あの鼻ぺちゃで目が細くてデブで無駄に態度がデカいマザコンのディデリクス王子と婚約破棄できたのよ!? これで喜ぶなってほうが無理でしょう!??」

「随分な言いようですね」


 従者であるウィクトルが呆れたように言うが、とってもハッピーな状態であるベルーナは普段は気になるそんな彼の態度など、今は全然気にならなかった。


「私の願いが通じたのかしら……! 毎晩星に願ったのよ? どうにかディデリクス王子と結婚しないですみますように、って。例え隣国が攻めてきても、王子が毒殺されても、王子だけ疫病にかかってもかまいませんので! って」

「物騒すぎやしません? その願い」

「だって、それくらい大それたことじゃないと結婚したくないのを叶えるなんて無理じゃない。実際はまさかの本人が婚約破棄してくれるだなんて、予想の斜め上すぎたけど、結果オーライだわ!! ありがとー! ディデリクス王子!!」


 ベルーナは星に向かって乾杯するように杯を掲げる。もうかれこれ何杯目だろうか、最近では婚礼が嫌すぎての胃痛のせいでめっきり飲んでいなかったぶん、その反動とでもいうようにどんどん酒瓶を空けていた。

 元々酒は強いほうのベルーナだが、久々に飲んだせいか顔は赤く熱った様子で、ウィクトルに向ける瞳もどこか熱っぽく、彼はまた呆れたように嘆息した。


「お酒も程々になさってくださいよ? あまり飲ませたとなるとワタシが奥様に叱られます」

「いいのよ、いいの。てか、ウィクトルも一緒に飲みましょうよ! 私だけがはしゃいでるなんて寂しいし! はい、この隣がウィクトルの席〜」

「全く。……奥様に怒られたときの言い訳をちゃんと考えておいてくださいよ」

「わかったわかった。私がウィクトルを無理矢理飲ませたってことにしていいから。はい、ウィクトルも乾杯〜」

「本当、しょうのない人ですね」


 ウィクトルは観念したようにベルーナの隣に座って杯を持つ。それに合わせてベルーナが杯を合わせると、カツンと小気味よく音が鳴った。


「婚約破棄おめでとー!」

「普通はおめでたくないことなんですよ」

「いいのいいの、ウィクトルは相変わらず堅物なんだから〜」


 浮かれながら呷って空っぽになった杯にまた酒を入れる。

 ウィクトルはそんなベルーナに呆れるものの咎めることはせずに、ふと疑問に思ったことをポツリと呟いた。


「でも、何でディデリクス王子は急に婚約破棄なんて言い出したんでしょうね」


 誰もが思う疑問だ。婚約破棄なんて大それたこと、内弁慶なディデリクス王子が普通するはずもない。

 だが、ベルーナには多少の心当たりがあった。


「さぁ? と言いたいところだけど、ちょっと小耳に挟んだことがあってね。先日隣国の王家の婚約でちょっとしたいざこざがあったそうで、王子が姫に婚約破棄を言い渡したら、姫がいやいやって泣いて縋りついて「何が何でも貴方と添い遂げたい」って訴えて、それに感銘を受けた王子がやっぱり婚約破棄を取り消したってのがあったってことがあるらしいのよ。恐らくだけど、それを真似したかったんじゃない?」

「次期国王となる人がそんなアホな理由で婚約破棄します?」

「あー……彼、ミーハーだから。それに、婚約破棄されるようなことやらかした覚えなんて全くないし、あの場でも私のどこが悪いとか理由言わなかったから、多分私の推理が合ってると思うわ。まぁ、まさか私が縋りつくどころかすんなり受け入れたからびっくりして狼狽えてたようだけど、あんな大勢の前で婚約破棄されるだなんて、普通の令嬢だったらメンタルずたずたよ? それを大人しく引き下がって自宅で宴してるんだから、褒めてもらいたいわ」

「いや、それはベルーナ様が図太いだけじゃ」

「何か言った?」

「いえ、何でも」


 通常、あんな大勢がいる公の場であんな恥を晒したら、下手したら自殺者が出てもおかしくない。あくまでベルーナは普通の令嬢と違うからこうして嬉々として宴をしているのであって、その辺の令嬢であれば名誉毀損でとんでもない事態になってたはずだ。

 実際にベルーナが帰ってくるなり両親は「どうしようか、大変なことになったぞ」とてんやわんやですぐさま解決策を見出すべく家を空けていた。恐らくあの様子ではすぐには帰ってこないだろう。


「きっとディデリクス王子は両陛下から怒られて今頃後悔してるでしょうけど、あの人プライドだけはめちゃくちゃ高いから絶対謝ることはしないだろうし、この婚約破棄は完全に認められたでしょうね。さすがの王家もあれだけの人数の前でやらかしたのだもの、きっと覆すことはしないと思うわ」

「なるほど。とんだとばっちりですね」

「そうよ、全く。ま、私としては結婚しなくて済んでラッキーだけどね! ウィクトルも、可愛くて大事な主人が嫁に行かなくて嬉しいでしょう?」

「俺としては嫁に行ってもらったほうが楽できるんですけどね」


 従者の立場から幼馴染の立場に戻ったのか一人称を変えて酒を呷るウィクトル。切れ長の瞳はとても凛々しくて、褐色の肌に施された化粧は彼の整った顔をさらに引き立てていた。結われている黒髪も艶があり、その辺の女性よりも美しく綺麗である。

 これだけの美貌なので数多くの縁談が来ているらしいが、いずれも「お嬢様ベルーナ様の世話がありますので」とにべなく断っているそうだ。そのことでたびたびベルーナにも苦情が来たので彼を説得することもあったが、それでもウィクトルは頑なに結婚することはなかった。

 だからこそ、そんな軽口を言うウィクトルが面白くなくて、ベルーナは彼に寄り添うように身体を預ける。


「そんなこと言って〜、本当は寂しいくせに」

「…………」

「嘘よ、冗談。ごめんなさいね、嫁げなくて。私がとつがないといつまでもウィクトルは結婚できないものね。ダメな主人でごめんなさいね」

「別にそこまでは言ってませんよ。それに何度も言っているように、俺は結婚したいわけではないんで」

「え、何で? あぁ、もしかして……なるほど、そう言うことね。道ならぬ関係でも私は応援するわよ! 同性のほうが具合がいいこともあると言うものね」


 話しながら「なるほど。だから今まで頑なに縁談を断っていたのか」と一人納得するベルーナ。

 そんなベルーナをジロっと冷めた目で見つめるウィクトルは、もう何度目かわからない溜め息をついた。


「……何を勘違いされてるか知りたくもありませんが、違います」

「あら、そうなの? そんなに顔もよくて気が利いて、性格は……ちょっと難ありかもしれないけど、いい旦那さまになれそうなのに結婚しないだなんてもったいないわ」

「悪かったですね、性格に難ありで」

「何よ、他はちゃんと褒めたじゃない。実際、もし私が何のしがらみもなかったら、ウィクトルと結婚したいと思うくらいには素敵だと思ってるわよ」

「性格に難ありなのに?」

「しつこいわね。気に障ったなら謝るわ」


 ベルーナがぶっきらぼうに謝れば、先程まで仏頂面だったウィクトルがふっと表情を緩めた。


「別にいいですよ。自覚はしてるので」

「何よ、自覚あったの」

「えぇ、ベルーナ様限定でね」

「本当、性格悪いわ」

「えぇ、ベルーナ様限定で」


 むぅ、とベルーナが膨れていると、宥めるようにウィクトルに抱き締められる。

 幼少期はよくこうしてウィクトルに抱き締めながらあやされることはあったが、十六となった今ではこうして触れることなど全くなかったため、羞恥でベルーナの顔が一気に色づいた。


「な、何」

「慰めようかと。嫌でした?」

「別に、嫌なわけじゃないけど」

「けど……?」

「もう、何でもないわよ。慰めてくれるんでしょ? 早くして」

「はいはい。注文の多いお嬢様だ」


 まるで幼な子をあやすかのように頭を優しくぽんぽんされる。でもそれが心地よくて、そのままウィクトルに身体を預けたまま、彼にもたれるように身体を寄せた。


「あー、酔っちゃった」

「でしょうね」

「うーん、もう飲めない〜! 世界がぐるぐる回る〜」

「はいはい、ベッドに連れて行くから暴れない」


 さながら酔っ払いの相手をするかのような雑さに、本当に従者なのかと問いただしたくなるが、実際酔っ払いなので大人しくお姫様抱っこで連れて行ってもらう。


「重くなりました?」

「普通、そういうこと言う!?」

「冗談ですよ」

「冗談でも言っていいことと悪いことがあるのよ!」

「そうですね、今日の婚約破棄みたいに」

「本当それ。まぁ説明する手間省けたし、悲劇のヒロイン気取れるからいいけど!」

「相変わらずポジティブですね」

「そこが取り柄だもの。今回の一件で私にケチがついちゃったかもしれないけど、また新しい結婚相手お母様達が探してくれるでしょう」

「もしお相手が誰もいなかったら俺が嫁にもらってあげますよ」

「え!? 本当!??」


 発言に食いつくベルーナをゆっくりとベッドに下ろすとウィクトルが微笑む。そして「おやすみなさい、いい夢を」と彼女の額の口付けた。


「こら、ウィクトル! 今のどういう意味!? 答えなさいよ!」

「酒瓶はワタシが片付けておきますから、ゆっくり寝てくださいね、ベルーナ様」

「もう! そういうときだけ従者のフリして!!」


 結局ウィクトルからそれ以上の言葉は聞けないまま、寝室の扉を閉められてしまった。ベルーナは彼の言葉を脳内で反芻しながら「期待しちゃうじゃない、もう」と布団に潜って不貞腐れる。

 その後紆余曲折あって、本当にウィクトルと結婚することになるとは、このときベルーナは夢にも思わなかった。





 終

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