Lost time Legacy:Reply

アカラ瑳

見習い編

奴隷から娘になるまで

買われました。

 二人を繋ぐ契約の魔法の糸が、空気に溶けて消えた。


「これで契約完了でございます。扱いなどに関する詳細な説明はこちらの案内をご覧ください。そして繰り返しになりますが、隷属魔法の魔力は奴隷から供給する仕組みですので、使い過ぎには十分ご注意を」

「わかった、気をつけよう。街まで馬車を借りられないか? 宿に人を待たせているんだが」

「かしこまりました。すぐに準備いたしますので、少々お待ちくださいませ」

 そう言ってクルリと振り返り、やや小走りで店の奥へと戻っていく男の背を見つめる。小太りしているが、その割には身軽な彼が見えなくなると、そのまま視線をゆるりと横に移した。


 いかにも高級そうな生地の服が目に入る。高い背のせいでよく見えないが、紫と青の混じった美しい色の髪とよく似合っていた。見目麗しい顔立ちに氷のように冷たい表情。恐らく自分を買ったこの男性は、貴族だ。

 奴隷商人からくれぐれも機嫌を損ねぬようにと注意されたことを守り、大人しくしていたのだが、彼の髪にはどうしても既視感を覚える。

 ああそうだ、私がよく見ていた夢の中に出てくる人物と同じ髪の色だ。

 とは言っても所詮夢は夢。それに最近はろくに眠れていないせいもあってか、夢自体を見ることがなくなったから、現在のところうろ覚えのものでしかない。


 とにかく今はそんなことは関係ないと思考を切り替える。

 気配に気をつけながら視線を前に戻し、小さく俯いた。今この男性は私の主人。下手な事をして気分を害するなんて失態は極力避けるべきだ。奴隷の身の私が何かをしでかしたら、最悪その場で殺されるかもしれない。

 それにここの奴隷商人には今までの恩がある。短い人生の序盤からずっと、受けた恩は返すものだと教わってきた。この貴族の心象を気にしていた彼を見るに、この貴族はさぞかし偉い人なのだろう。偉い人に嫌われると商売が大変なことになるというのは、一応わかっている。なので、大人しくこの貴族と奴隷契約を交わしたのだ。

「……」

「……」

 無言のまま待つ。

 商人の慌てふためく声が聞こえて来るのでそちらが気になって仕方がない。

 そう言えば書類の整頓をした時、いくつか別の棚に映したのを思い出した。伝え忘れていた罪悪感でハラハラしていると、数分後何とか魔法陣が描かれた注文書を見つけ出したらしい商人が戻ってきた。滝のような汗が気の毒になったが、今の私では拭ってあげることができない。


 紙に馬車を寄越すよう描き、貴族の男性がサインをすると、すぐに馬の蹄の音が近づいてきた。

「それではお気をつけて。またのご利用をお待ちしております」

「ああ、世話になった」

 元気でな、と私に一声かけた後、深々と頭を下げる商人の寂しい頭を眺めているうちに、男性……ご主人様は特に何も言わず馬車を発車させた。

 足枷は外されたが手錠はそのままの私は、うまく重心を定められずよろけて席の上でおかしな体勢になってしまった。モゾモゾと座り直して俯いていると、ご主人様の気配が少しだけ緩んだのを感じた。

 出発してそう経たぬうちに宿の近くで馬車は止まった。待たせている人が乗り込んでくると思い小さくなっていたけれど、誰も乗らないうちにまた出発してしまった。

 え? と思ったが、説明してほしいなんて言える身分じゃない。


それからしばらく馬車での移動は続いた。途中で休憩したり宿に泊まったり、そんなこんなで一週間くらい。

 と言っても、奴隷である私は外に出たりできなかった。

 ひたすら馬車の中で座って、眠ったりお腹を鳴らしたり。けれど、そうなるとご主人様はどこからかパンと水を出して渡してくれた。商品として店にいた時よりはマシな物だったから思い切り食べた。

 トイレだけは車内じゃどうしようもないから、ご主人様は隷属魔法を使って外に出してくれた。私も逃げようとすると体が痺れて動けなくなると知っているから、試したりはしなかった。



 ◇◆◇



 ようやく目的地に到着したのは、私が何度目かの眠りから目覚めた時。

 馬車が止まる事に慣れてきていた私は、ご主人様の気配に注意した。外に出られるようならばなるべく隠れておく方がいいから。けれどご主人様は私に「降りるぞ」と声をかけてきた。驚いたが命令だ。彼の背に続いて慌てて馬車を降り、顔を上げてご主人様の姿を追おうとして……思わず絶句した。


 そこにはとんでもない豪邸がそびえ立っていた。


「すごい……」

「何をしている、早く来い」

「は、はいっ」

 これまたご主人様の命令。慌てて走って追いつこうとしたから、うっかりバランスを崩して転んでしまった。

 手錠が重心をめちゃくちゃにするのを失念していた。緊張のせいだと深く息を吐いて、立ち上がる。改めてご主人様の元へ走って行くと、近付いた途端に腕を掴まれた。

「ひょっ!?」

「……鈍臭いと思っていたが、まさかこれのせいか。さっさと外せばよかった。悪かったな」

「えっ」

 軽くとも謝罪の言葉を口にしてしまったご主人様に、思わず絶句してしまった。奴隷に謝る貴族なんて聞いたことがない。

 掴まれた腕から手が滑り下り、手錠に魔力が通される。あっさりと外れて地面に落ちたその音に、ご主人様は顔を顰めた。

「随分重かったようだな……全く、奴隷はままならんものだ。怪我をしただろう、見せろ」

「い、いえ、大丈夫です」

「何がだ。膝と腕、それから顎、血が出てるぞ」

 ご主人様の手が伸ばされる。顎に指先だけで触れられ、ピリッと痛みが走った。

 成る程、転んだ時に擦り傷ができたらしい。でもこれくらいは別になんともない。骨が折れたわけでもないし。

「本当に、だいじょ……」

『癒しを注げ、ヒール』

「えっ?」

 ご主人様が何かを唱えた途端、痛みがなくなった。

 いやそれより今、ご主人様が何か術を使った気がしたんだけども???

 奴隷に魔法を使わせるのならともかく、わざわざ術を使って奴隷の傷を癒すなんて。

 驚きのあまり絶句していると、傷がなくなった事を確認し終えたご主人様は満足そうに頷き振り返る。

「転ばないよう注意しながら着いて来い」

「あ……は、はい」

 気をつけつつ、しっかりその背を追う。

 さっきのご主人様の振る舞いに全然思考が追いつけてないけれど命令は絶対なのだ。最優先で従わねば。



「お前に頼むのは俺の仕事の補佐だ。主に書類の整理と郵送の手続き、あとたまに魔物の討伐がある」

「はい」

「ここが執務室だ」

 私の仕事について説明を聞きつつ、辿り着いた部屋のドアをご主人様が開けると……そこには山のような書類と本が散乱するとんでもない部屋が現れた。まさに足の踏み場がない。

 驚きのあまり思わず声が出そうになったけれど、なんとか呑み込んだ。


 次に連れて行かれたのは、お屋敷の中で一番立派な扉。

 ご主人様に続いて中に入り、またもや仰天した。

 壁いっぱいの本棚、新聞と思わしき紙の山。それらが素晴らしい意匠の施された調度品や天蓋付きの大きなベッドを見事に台無しにしている。

「ここは俺の部屋だ。今日からお前もここを使う」

「えぇ!?」

 今度こそギョッとして声を上げてしまって、しまったと両手で口を塞ぐ。耳障りだと怒られるとギュッと目を瞑ったが、数秒経ってもご主人様は何も言わない。

 恐る恐る目を開くと、ご主人様は困ったような戸惑ったような、そんな感じの表情で私を見下ろしていた。

「……その、お前は一体何をしている?」

「あっ……えっと」

 私が言葉に詰まっていると、ご主人様は複雑な顔のまま「まあいい」と部屋の奥まで歩いていく。それに着いていくと、大きなベッドの側に置かれていた大きなクマのぬいぐるみを差し出された。

 受け取って、どこに持って行けばいいのか指示を待っていると、ご主人様はまたもや困惑した様子で首を傾げた。

「……嬉しくないか?」

「え?」

「お前くらいの歳の少女は、ぬいぐるみを好むと聞いたのだが、嬉しくないだろうか?」

「ご、ご主人様……あの、もしかして、これは私にお与えになられたのでしょうか……?」

「そうだが」


 アッサリとした衝撃発言。思わずぬいぐるみとご主人様を交互に二度見してしまった。

 こういう場合、何を言うのが正解なのかわからないけれど、可愛いぬいぐるみを見ていると自然に言葉が浮かんできてくれた。


「そ、そうなんですか。その、えっと、嬉しい、です。とっても可愛いです」

「そうか」

 ご主人様は満足したのか軽く頷くと、今度はベッドに置かれていた箱から、綺麗なワンピースを二つ取り出した。

 そしてぬいぐるみと同じ様に私に手渡す。

 ……これも私にお与えなさるのだろうか? ああ、うん、そうらしい。

「どうだ?」

「う、嬉しいです! ありがとうございます!」

「服はまだ用意させる予定だが、取り敢えずそれを着ておけ」

「わかりました」

「寝るときはこのベッドを使え。お前は向かって左の枕、俺は向かって右の枕だ」


 あ、寝るってそういうことか。


 ご主人様の言わんとしていることを理解して頷く。ここには夜の相手をしろという意味で、私を置くのだろう。

 普通なら屋根の下に入れて貰えるだけでもありがたいのに、こんなに綺麗な部屋にいられるなんて、間違いなく私はついている。

 そう思うと、少し気持ちが楽になった……気がした。

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