生々流転

 帰りの飛行機で康太に教えてもらったけど、生々流転とは人間は生死を繰り返しなが六道世界を迷い苦しむことらしい。六道世界とは、


 ・地獄道・・・苦痛に溢れていること

 ・餓鬼道・・・欲が深いこと

 ・畜生道・・・幸福な人物を妬むこと

 ・修羅道・・・他人と競争すること

 ・人間道・・・辛さと楽しさがある人間界にいること

 ・天上道・・・苦しむこと


 この世界を巡りながら絶えず生まれ成長して、変化を続けるんだって。


「天上道でも苦しむの?」


 天上道に住むのは天人で人間より優れていて寿命も長くて、空を飛ぶのを享楽としながら生きるんだって。悩みも少ないそうだけど、最後は天人五衰ていうらしいけど、腐り落ちるように死ぬんだって。


「苦しむ事となってるのは、そこまで悩みの少なそうな天人でも、いつか訪れる死への苦しみから逃れられないぐらいだよ」


 ここは康太も苦笑いしていたけど、そんな六道世界から抜け出す方法は三つあるんだって。一つは天上道から色界、さらには無色界に行くことだって。色界っていうぐらいだから、男と女のやりまくりパラダイスみたいなものかと思ったけど違うみたい。


 色界にも色恋はあるそうだけど、聞いてると清らかな恋みたいな感じじゃない。中坊じゃあるまいにって思っちゃうよ。これが無色界になると淫欲も無くなっちゃうのよ。そんな無色界の頂点にあるのが有頂天だってさ。


 有頂天っての由来がそんなところにあるのに驚いたのと、有頂天って一番喜んでいる状態じゃない。そんな味も素っ気もない世界のどこが喜ばしいだろ。


「まあな。だから三界六道を人を巡り歩くんだろう」


 色界や無色界には苦しみこそないものの、恵梨香には退屈としか感じないもの。だからそこまで行っても欲界に戻って来ちゃう気がする。恵梨香だったらそうしそうだもの。


「苦しみを抜け出す二つ目の方法が仏教徒出会い解脱することになる」


 仏教は人間道にしか存在しなんだって。解脱できれば仏になって三界六道から抜けだし苦しみから解放されるそうだけど、


「人間道にしか仏教が存在しない言って御都合主義じゃない」

「仏教も商売だからだろ」


 解脱とはすべての煩悩から解き放たれることぐらいみたいだけど、その煩悩に淫欲も入るのよね。つうか解脱を目指すスタート地点から敵視されまくるんだよ。


「仏教だけじゃないけど、多くの宗教は淫欲をとにかく敵視するからな」


 淫欲をメインに置いてる宗教もあろそうだけど、マイナーどころか邪教として弾圧を喰らうぐらいで良さそう。でもね、宗教が敵視する淫欲があるから子どもが生まれるし、人類だって栄えてるんじゃない。


 女はね、子どもを産むために面倒な生理と毎月付き合わされてるんだよ。そこまでして人類に貢献してるのに、そのための行為をやる気を捨て去るのが苦しみを抜け出すための条件ってなんなのよ。例外はいるけど、アレって人類の究極の楽しみの一つじゃない。


「そう怒るなよ。たぶんだけど、最大の楽しみをあえて放棄させることが、苦しみから逃れる代償としたぐらいじゃない」


 バカ言わないでよ。昔からならアレやって子どもを作るのは種の存続のためだし、昔だって子孫繁栄は誰もが願ったことじゃない。それを否定するって人類滅亡のためのカルト集団じゃない。


「恵梨香の言うのは一理ある。だから仏教でも解脱できて仏になれた人間なんて数えるほどしかいないはずだよ。それぐらいハードルを上げとかないと人類滅亡になっちゃうからかもな」


 でもさぁ、でもさぁ、解脱しなくても死ぬことを成仏すると言うじゃない。あれは仏にになるって意味よね。


「ああそれか。それが三つ目の苦しみから逃れる方法で良いと思うよ」

「どういうこと?」

「死んだらどこに行く」


 死んだら、えっと、えっと、地獄か極楽だよね。でもどっちかに行ってしまったら輪廻が出来ない気がする。地獄は刑期みたいなもの済めば抜け出せる気がするけど、極楽はたぶんだけど片道切符のはず。


「とくに浄土教系の仏教がそうなってるけど、極楽は誰でも行けるとなってる」

「どうやって」

「浄土教系なら、そうだな、阿弥陀さんが煩悩除去光線を浴びせかけるぐらいじゃない」


 そうやって修行を重ねて解脱しなくとも、インスタントで煩悩が除去されて仏になって極楽に御案内か。聞いてると胡散臭さしかないよ。理屈と言うか教義は難解らしいから置いとくけど肝心の極楽は、


「仏教が成立した時にはそもそも女性は行けないとなってて、あれこれ理屈を捻くり倒した末に、転女成男とか変成男子言って男に生まれ変わって、やっとこさ行けるようになったぐらいかな」


 あったま来た。どうして男ばかりなんだよ。康太が言うには仏教が生まれたインドは今でも男尊女卑が強いところだけど、古代はなおさらだったで良さそう。まあ古代はどこでもそういうところが多かったのはわからいでもないけど、それでも酷すぎる話だよ。


 極楽は浄土だけど、浄土だから生理や出産で血を流す必要がある女は不浄のものにされたとか。バカ言うんじゃないよ。誰が女を孕ませたと思ってるのよ。のうのうと仏になって極楽とやらに行きやがった男どもじゃないか。


 それなのに女はわざわざ性転換しないと極楽には行けないって言うのかよ。だから極楽にいるのは男ばっかり。この辺は宗派によって描写が異なるところもあるそうだけど、いるのは男と性転嫁した元女ばっかりって気色悪すぎる世界だよ。


「極楽ってゲイのパラダイスなの?」

「そ、それは淫欲も含めた煩悩が除去されてるから・・・」


 つまらない世界だ。代表的な煩悩は食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲だそうだけど、恵梨香は美味しいものを食べたいし、おカネはあって困るものじゃないし、康太とアレするのは大好きだし、人から良く見られたいし、寝不足はお肌に良くないよ。


 苦しみ、苦しみって言うけど、なんでもそうだけどやり過ぎた世界は息苦しくて、つまらなくて、住んでいられないよ。なんか苦しみから抜け出すために人生の美味しいところをすべて投げ出すようなものじゃない・


「恵梨香の気持ちはよくわかるよ。でもね・・・」


 こんな教義に人々が熱中した理由は、殆どの人が生きるだけで苦悩した時代が長すぎたからだとしてた。それは恵梨香でもわかるところがある。日々の生活とは、生き抜くための苦しみだけだった人が多すぎたんだろう。


 生きるのが苦しければ、そこから抜け出すためなら、なんだって犠牲に出来たぐらいかな。でもね、でもね、今の日本でそこまで苦しみ抜いてる人がどれだけけいるかって話だよね。


「こんな豊かな社会は人類が始まって以来かもしれない。親鸞だってこんな世の中が来るなんて予想できなかったんじゃないのかな」


 親鸞だけじゃない。釈迦だって、イエスだって、マホメットだってしてなかったはず。今だって貧しい地域の宗教熱は強烈だけど、豊かな地域は習慣として付き合ってるだけだもの。日本なんかとくにそう。


「それでも信長ほどドライじゃないけどね」


 信長の宗教観について有名な逸話があるそう。宗教ってどこも死後の世界で脅しをかけるじゃない。単純には悪い行いをしたら地獄に落ちて苦しむとかだよ。それが嫌ならなんとか教を信じて悔いを改めよとか何とか。でも信長は、


『死んだら土に還るだけ』


 物理的にはそうだけど、信長は現実主義者もエエところだったから、想像や空想の産物の世界など頭から受け付けなかったぐらいかもね。


「戦国武者にもそういうのが多くて、前田利家も死に際して地獄に落ちる話を聞かされても、先に死んでいった家臣を引き連れて地獄征伐をやってやると笑い飛ばしたそうだからね」


 それとね。煩悩があるからこそ人生は楽しいの。そりゃ、人生は楽しいことばかりじゃないけど、煩悩があるからこそ乗り越えられるし、煩悩のために頑張れるんじゃない。だってさ、極楽って煩悩がなくなって苦しみからは解放されるかもしれないけど、煩悩が無いからなんの楽しみもないじゃない。人の楽しみってね、煩悩を満足させようとする道ベーションが原動力だよ。


 死後の世界を怯えて今の世界で委縮してどうするの。別に怯えて仙人みたいな暮らしをするのは勝手だよ。でもね、それを他人に押し付けられるのは迷惑だってこと。ましてやそれを商売のタネにする人にカネまで払う気は恵梨香にはない。


「日本人の宗教観は一神教の絶対主義にはなじまないんだよ。八百万の神々と程よく距離を取って付き合うのが基本かな。恵梨香だって困った事があったら、神社にお参りぐらいするだろ」


 なるほどね。日本人にとってはヤーウェであろうと、阿弥陀さんであろうと、アラーであろうと八百万の神々の一人だよ。だから正月には神社でもお寺でも初詣にランダムに参るし、クリスマスにはサンタさんを無邪気に信じるもの。


 求めてるのは幸せ。自分や家族、友人知人の幸せを求めるだけ。これだって授けられたらラッキーで、授けられなくとも神を恨んだりしない。


「ま、神道でも死ねば神になるけどね」


 高天原ってやつか。でも高天原は男女平等だよね。だって最高神は天照大神だし、ごっそり女神もいるはずだ。仏教みたいに性転換しないと極楽に行けないとか、いつ来るか誰も知りやしない最後の審判までお預けの世界じゃないもの。


 それに高天原では酒もご馳走もあるし、恋愛だって普通にある。宗教なら神道が今の世界にマッチしてる気が恵梨香はしてきた。だってお祭りだって楽しいじゃない。


「恵梨香は気が合うね」

「だって康太に選び抜かれた妻ですもの」

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