康太の最後の恋人

 理恵先生が帰ってから、


「康太、あれでサヨナラしてイイの?」


 康太はカクテル・グラスを傾けて、


「ボクには恵梨香がいるからね」


 そりゃ、奥さんの目の前で二人で消えるわけにはいかないだろうけど、なんか、どう言えば良いか、これで良いけど、良くない気もする。だからと言って焼けボックイに火を着けるのもおかしいけど。


「ホントにキスもしなかったの」

「ああ、手をつないだだけ。でもそれで良かったのかもしれない。理恵と深めてもボクとじゃ不毛だったしな」


 突然現れた理恵先生に康太は動揺してる。でも妬かない、妬いてなるものか。だって聞くだけで辛い恋をしてるじゃない。結婚だって親が決めた相手から逃げられないし、逃げないように洗脳教育受けたようなものだもの。


 きっと高校時代もそうだった気がする。いや、大学もそうだったはずなんだ。理恵先生は子どもの頃から親が決めた相手と結婚し、上浦病院を継ぐしか考えられないようになってたはず。


 そんな理恵先生に恋して口説いたのが康太。理恵先生もそれに応えたんだよ。おそらく理恵先生がたった一度だけ自分の意思で選んだ男が康太のはず。理恵先生にとってきっと初恋、いやたった一つの恋の気がする。でもその恋は決して結ばれることが許されない恋だったんだよ。


 再婚から逃げたのも親が敷いたレールにウンザリしたに違いない。でもそれからも理恵先生には自由な結婚は許されなかったと見てよいはず。だから康太を見かけたら、我慢できなかったんだろうな。


 たぶんだけど、恵梨香がいなかったらベッドまで誘ったはず。たとえ一夜の恋でも結ばれたかったはずだよ。そうなって欲しくないし、康太なら断ると信じてるけど、女として気持ちはわかる気がする。人生で一人だけの本当の恋人、心の底から愛した人だもの。


 康太の恋人だった人は誰もが恵梨香が気後れするような美女だけど、誰もが悲しすぎる過去を刻んで引きずってる気がする。元嫁まで含めて、誰も幸せになれず、むしろ不幸になってるとしか思えない。


 それと気になるのが理恵先生の後に康太の恋人になった女。この女とも長かったはず。康太の話を繋ぎ合わせると、理恵先生の後から交際は始まり大学を卒業し、医者になってからも続いてた事になるはずだもの。


 勤務医時代の激務と遠距離恋愛のために徐々に疎遠になり別れ、その次が見合いに登場する元嫁ぐらいになるはずなんだ、この女の話は康太もあまり話したがらないところがある。でも理恵先生の話からすると、かなりどころでないガチガチの関係であったのだけは推測できる。


 たしかに康太の話す勤務医ライフをこなしながら結婚するのは容易じゃなさそうだけど、康太だってそんな生活であるのを知ったのは医者になってからだものね。そう、康太は理恵先生の次の女を結婚相手に真剣に考えていたはず。


 その女を知っているのは康太と理恵先生ぐらいかもしれない。他にもいるだろうけど恵梨香じゃ誰が知ってるかもわからないし、知っている人に聞きに行けないものね。だって理恵先生だって聞きにいけないもの。


 でも理恵先生の話を信じたら、康太が結婚まで考えた女はどこか恵梨香を思わすところがあるのだけはわかる。でも恵梨香のどこだろう。まさか容姿、さすがにそれはないと思う。


 そりゃ、康太の再婚の時に恵梨香は智子や由佳を押しのけて選ばれたけど、これはあくまでも容姿を棚上げして心で康太が選んだ結果と見てる。でもだよ、理恵先生と話したのはあの時だけ。あれだけの会話で恵梨香のすべてを見抜いたとは思えないもの。



 これは容姿と言っても、もっと全体の印象かもしれない。恵梨香の体形はビヤ樽狸だけど、良いように言い換えればポッチャリ型だよね。顔だってそうで、どちらかと言わなくとも狸顔。信楽焼の狸と並べたら、どれが恵梨香かわからないとかの悪口も良く言われたもの。


 これに対し理恵先生はスリムでボイン。これは実際そうだった。スリムでペチャと思ってたら、よく見るとかなりのボインだった。ボインなのは置いといて、顔も面長で目も切れ長、あえて言えば狐顔。


 うん。うん。うん。そう言えば、智子も、由佳も、さらにリサリサだって、体型と顔であえて分類すれば狐顔のスリム・タイプじゃないか。いや智子はちょっと狸顔がある気もするからスリム狸とか。


 ここも細かいことを言い出せばキリがないから狐顔に分類しておく。そうなると康太が本当に好きなタイプは、実はスリム狐ではなくポッチャリ狸で、スリム狐だった理恵先生は、ポッチャリ狸に康太を奪われたとか。


 でもだよ、康太の歴代の恋人はスリムな狐顔だよ。なんだかんだと言いながら、元嫁以外は全員会ってるものね。それとだけど、今だってそうかもしれないけど、スリム狐とポッチャリ狸のどちらが男の人気を集めるかと言えばスリム狐なんだよ。


 狸好きの男もいるけど、どちらかと言わなくても少数派だよ。多数派なら、アイドルがああもそろってスリム狐なのはありえないだろ。ポッチャリ狸の芸能人もいるけど、言うまでもなく少数派だし、ポッチャリ狸のスーパーアイドルなんて見たことないもの。


 逆に言えばポッチャリ狸への競争率が低いんだよね。これは恵梨香がそうだからわかるけど、やっと寄って来た男を逃さず捕まえるのがポッチャリ狸の恋なんだ。とくに康太クラスから声なんてかけられようものなら、全力で捕まえに行く。


 だから康太がポッチャリ狸を好きなら、ゲットは容易だったはず。歴代の恋人が全部ポッチャリ狸になっていても不思議ないじゃない。でも歴代の康太の恋人は恵梨香を除けばスリム狐。


「どうした恵梨香、なにか悩み事か」

「康太は狐が好きなの、狸が好きなの」

「はぁ、なんの話だ。まあ、いっか、どちらかと言えば」


 うんうん、どちらかと言えば、


「狸だろうな」


 やっぱり、そうか。


「どちらも好きだけど、選べと言うのなら、ウドンよりソバだから、キツネうどんより、たぬきソバの方かな」


 ギャフン。食い物の話じゃないって。


「恵梨香はウドンとソバならどっちなんだ」

「そうだね、どちらかと言われればソバかな」

「気が合うね」


 あれ。話がなぜかソバに流れちゃって、


「出石の皿そば食べたことある?」

「あれは美味しいよね」

「明日、食べに行こうよ」


 久しぶりに皿そばは魅力的だよね。出石の名物の皿そばは出石焼きの白い小皿に一人前のそばを五枚に分けて出してくるんだよね。皿そばの店は四十軒以上あるのだけど、それぞれの店が麺とツユを競っているんだ。


 だから皿そばでも店によって味が違うのよね。ツユもそうだけど、麺だってやや細麺タイプからやや太麺タイプまであり、さらにコシも違う。ハズレって店はまずないけど、やはり店によって差がある感じかな。


「康太、やっぱり近又」

「甚兵衛も美味しいし、輝山の二種類のそばも魅力的だよ」

「恵梨香は左京も良かったな」


 他にも官兵衛とかそば庄、天通とかも出て来たけど、二人で、


「どれだけ行ってるねん」


 これで大笑いして帰ったよ。お出かけは電車を利用することが多いんだよね。理由は向こうで飲めること。でも出石は電車で行くにはちょっと遠すぎるからクルマにした。


「出石焼きのそば猪口買って帰ろうよ」

「ついでに小皿も買おう」


 明日も楽しいデートになりそうだ。狐と狸の話はデートの時に聞いてやろ。

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