第二話〔西木 草成さま作〕
玄関から外の世界へ出ると、アスファルトの焦げつくような匂いとジメジメとした独特の空気感で満たされていた。何かいいことでもあったのかと言わんばかりに空は真っ青で雲ひとつなく、真央は疲れ目で太陽をにらみつけながら「くたばれ」と一言吐き捨てると重い足取りで学校へと向かうバスが留まるバス停へと向かう。
バス停に着く頃には、ワイシャツは汗でべっとりと染み付きこのままUターンして家へと帰ろうと思いはじめた時だった。
女子生徒の声が聞こえてきた。
「真央せんせーっ! おはようございまーすっ!」
「……ねぇ、その先生っての。やめてって……」
「じゃあ、魔王ちゃん?」
「……それもやだ」
ただでさえも暑苦しいのにも関わらず、熱烈なスキンシップを真央に行うポニーテールの少女。太陽さえ消し飛ぶほどのとびっきりの笑顔で顔を擦りつける。その少女のカバンにぶら下がった定期入れに入った学生証には【葉山 忍】と書かれていた。
「ありゃりゃ? せんせー、また徹夜?」
「……このままだと、原稿落とすから」
「あーん、原稿は落として欲しくないし。でもせんせーにはしっかり寝て欲しいしなぁ」
ムムム、と悩む忍だが。そこから導き出される答えが、いまの真央を取り巻く問題を解決するとは到底思えないため、それにすでに気づいている彼女は忍を見捨てて、目の前にやってきたバスにそそくさと乗り込んで行った。
バスのドアが閉まり、今だに窓の外で悩んでいる忍を真央は呆れた目で見下ろしながら。そして無情にも、忍を乗せないままバスが出発する。
『あっ! 待ってぇっ!』
バスが走り出し数秒後。ようやく、自分が置いてかれたと気づいた忍が悲鳴を上げながら全速力でバスを追いかける。全速力で走る彼女のたわわに実ったその双方を眺めながら、真央は「あの体で、どうしてあんな早く走れるのだろう」と考えていた。
そして、数分後。次のバス停にギリギリ飛び込んできた忍が息を荒くさせながら、バスへと乗り込んでゆく。
「せんせーひどっ! なんでバス来たって教えてくれなかったのっ!」
「……だって、聞かれなかったし」
「それにしてもひどいっ!」
少なくとも、数百メートルを一気に駆け抜けて次のバス停に滑り込む女子もなかなかに珍しいと、真央は思った。それ以上にただでさえ暑苦しいのにも関わらず大汗をかいている女性が隣に座っていることもあってか、特に運動をしていない真央の額にも汗が浮かび始めた。
「ねぇ、せんせー。続きどうなってるのか教えてよ」
「……だめ、教えない」
「いーじゃん、ケチ。新刊をイの一番に買ってあげてる常連さんの特典として。さぁっ!」
「……ネタバレ厨、死ね」
「ひどっ!」
バス内を主に一人が盛り上がって喋っているわけだが真央の反応があまりにもないのか忍はむくれながら肩に下げたカバンから一冊の本を取り出す。
通常、人前でライトノベルなどの本を表紙をブックカバーもつけず広げたまま読むのはためらうことが多い。しかし、そんなことを気にもとめず忍は堂々と表紙を広げバスの中で読書を始める。
タイトルは『魔王様が、勇者をプロデュースするそうです』そして、作者名には『魔王』の文字が印刷されていた。
作品の内容は、学園ストーリーで特別な力を持った学生が通う『国立グラディウス学院』が、突如魔王軍に占領される。
しかし、占領した目的は虐殺などではなく、女性魔王が新たな戦力として学園に集う特別な力を持った男子学生をアイドルとして育成し、人間社会を乗っ取ろうと言ったストーリーであり、それらに反抗する学生たちと、学園長として君臨した女性魔王との戦いを描いた物語である。
ちなみに、現在彼女が読んでいるのは四巻目でありライトノベル人気ランキングでも上位に食い込むほどの人気を誇っている。
「……面白い?」
「え? うんっ! すっごくっ!」
「そう……よかった」
「だって、先生の書いた本でしょ? 面白いに決まってるじゃ〜ん」
「……本当に勘弁して……」
満面の笑みで話す忍、ぎこちない笑みで周りを見渡す真央。
それもそのはず、いま現在忍の読んでいるラノベ作者の『魔王』は何を隠そう【柊 真央】その人だからだ。
最初は、何気無いクラスの人間関係、成績、家族間のトラブルのストレス発散を目的に書いていた小説を、なんの気まぐれか出版社の大会に投稿。
投稿した小説は大賞こそは取れなかったものの、出版が確約され上下巻にて発売された。
それが売れたことにより新人作家『魔王』の名前でまた別シリーズの執筆ということで出されたのが『魔王様が、勇者をプロデュースするそうです』だったのだ。
「あ、誤字」
「嘘っ!」
「うっそ〜」
「……嫌い」
「ごめんっ! ごめんって。冗談だからっ!」
そんなやりとりをしながら、数分後。バスは学校前のバス停へと留まる。すでにバス停には数台のバスが停まっており、そこから朝登校の学生がぞろぞろと学校のある坂道の上を登ってゆく姿が毎朝の光景だ。
「……もう、嫌」
「せんせーも運動しないとダメでしょ? 体動かすと気持ちいいよ?」
「……吸血鬼の癖に、太陽の下で活動してるなんて意味不」
「私は金髪幼女でも、吸血鬼でもありません。ほら、目が覚めるかも?」
すでに、真央の手によってオタク脳にされている忍はなんのネタなのかを理解している。
そんな彼女は、真央の曲がった背中を押しながら坂道を上がってゆく、その間たくさんの生徒の視線が真央と忍に集まるが、そんなこと御構い無しに坂道をぐんぐん上がってゆく。
注目される、それはすなわちオタクにとっては非常に居づらい状況であり以前の真央なら、その場にしゃがみこんで地面とにらめっこをしていただろう。だが、忍との関係が二年続いた結果、多少気分が悪くなるのみで済んでいるのは大きな秘薬だろう。
「……し、死ぬ……」
「大丈夫、そう言ってるやつ大抵助かるじゃん」
「そうだけど……」
と、真央が反論しようとしたところで。忍の動きが止まった、学校までの坂道のちょうど中腹。隣で隊列を作ってジョギングをしている集団。それは、バスケ部たちの朝練だった。
大勢の男が走り去ってゆく中、その中でひときわ身長の高い男子生徒がそばで走っていた忍と真央に気がついた。
「よっ、相変わらず仲良いな。お前ら」
「よっ、相変わらず背がでかいな。勇太」
勇太と呼ばれた男子生徒は軽く片手をあげ、軽く足踏みをしながら忍と真央に軽く挨拶をする。
しかし、忍が挨拶しているのに対し真央は俯いたままである。
「……お」
「お? お腹でも痛いのか?」
「ち……あっ……」
(落ち着いて)
耳元で、忍の優しい声が囁きかけてくれた。
それが、真央の口の中で停滞していた言葉をなんとか紡ぎ合わせるきっかけになった。
「お……おはよう……勇太……くん」
「ん、おはよう。柊、それじゃ。教室でなっ!」
たったそれだけの会話、たった十文字。一晩で四千文字を仕上げる売れっ子作家が頭をフルに回転させて紡ぎ出した言葉は、なんの変哲もないただの挨拶だったのである。
そして、その挨拶とともに爽やかに彼は走り去って行った。
「ま、及第点かな」
「……ありがとう」
「何、いつも面白いもの読ませてもらってるお礼っさね」
にこやかにグーサインを出す忍の顔を見て、彼女のように明るい性格だったらどれほどよかっただろうと心の奥底から思う真央だった。
「それにしても、勇者様は罪な男ですねぇ〜。こんな幼気な魔王ちゃんのハートキャッチしちゃうなんて。さっすが、自分の身の回りの人をモデルにして売れる小説をかけちゃうことはありますねぇ〜」
「……死ね」
「急に辛辣っ!?」
忍を置き去りに校舎内に踏み込んでゆく真央。その姿は、少し臆病者のようで少し勇み足で。
これは、何者でもない。ただのインキャなオタクの女性魔王が、恋に落ちた男性勇者を自分の物語で全力でプロデュース《表現》する物語。
ドラゴンが出るわけでもない、
世界が滅ぶわけでもない、
人が死ぬわけでもない、
ただの女の子が恋に落ちた人の言葉を紡ぐ物語である。
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