第28話


 ──俺が沙紀ちゃんを知ったのは、実は彼女を拾った時が初めてじゃない。


 いつも使う駅のホーム。

 たまに会う、その人はいつだってどこか遠くを見てため息をついている。


 特別美人だとか、スタイルが良いとかじゃない。


 だけど、ぱっちりとした目が俺を見たらどんな感じなんだろう。

 茶色く染められたサラサラの髪に触れたらどんな感じなんだろう。


 いつも見るスーツじゃなくて私服はどんな感じなんだろう。

 彼女の声は、どんな感じなんだろう。


 そう思っては、話かける勇気なんてあるわけもなく──ただ、彼女のそばを通り過ぎる。




「──朔、今日も帰れない。ごめんね」

 俺の名前を呼ぶ先生の声はとても甘ったるい。


 最近、俺をこの部屋に残してどこかへ行く先生。

 朝帰りなんて、日常的だ。


 だけど俺は先生の彼氏でも何でもないから口を出すこともしない。



 冷たいベッドの中。

 先生がいてくれたら、行為中だけは人肌で温められるのに。


 行為が終わってしまえば先生はすぐにシャワーに行く。

 そして俺は、与えられている自分の部屋のベッドで眠りにつく。


 ……人の温かみなんてもう、忘れてしまっていた。



 そしてベッドの中で時折、駅のホームで会う彼女のことを思い出す。


 ──彼女が俺に笑いかけてくれたらどんな感じなんだろう。



 一度だけ、彼女が笑っているのを見たことがある。


 小さな女の子が、彼女の目の前で転んだ時。ヒールの音を響かせながら駆け寄って話かけている女の人。


 遠くから見ていたから、声なんて聞こえなかったけど……女の子の背を擦るその綺麗な手と優しい微笑みは今でも忘れることはない。


 どちらかと言えば派手目な先生。

 だけど先生と同じくらいの年齢に見える彼女は控えめで落ち着いている、スーツが良く似合う人。



 いつか終わりが来るはずの、先生との関係。


 もしも、次に俺が恋をする時が来たら──それはあの人みたいな優しい人が良いな、なんて……彼女のことなんて何も知らないのに勝手に思っていたんだ。




 ──そして


「……先生、もう終わりにしたい」

 俺は、決断した。

 この部屋から、出ていくことを。


 別に何か決定打があったわけでも、先生が嫌いになったわけでもない。

 むしろ、逆だ。


 彼女を試したかった。


 俺がいなくなることに、焦りを感じてくれるんじゃないかと。引きとめてくれると期待していた。


 だけどそんな俺の願いも空しく、先生は驚いていたけどあっさりと了承してくれた。

 先生にとって、俺はそれだけの存在だったんだと実感する。



 ……涙も出なかった。

 結局、俺は誰にも必要とされないんだ。

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