新婚生活は突然に

エノコモモ

新婚生活は突然に


「一目惚れです!私と結婚してください!」


可愛らしくも、とても大きな声が高い天井いっぱいに響き渡る。同じフロアにいた複数の一般客が振り返った上、相手の付き人が派手に皿を落としたが、声の主である少女は目を逸らさない。その小さな手で大きな手を握り、真ん丸の瞳で目の前の男をジッと見つめている。


「…ああ」


冒頭の声の反響が消えた頃。しばらくしてから、相手の男からは了承が返ってきた。彼は顔の毛1本動かさない無表情のまま、重く低い声を発する。


「こちらこそ、よろしく頼む」


(よっしゃ!!)


そしてその返事に心の中で漢らしいガッツポーズを取るのは、彼ではない。彼の前に座り、先程求婚したばかりの可憐な少女である。


「とっても嬉しいわ!ありがとうございます!」


(フン…。今急成長中の大企業、その令嬢からの求婚…。欲に目が眩んだお前は気付いていないだろうな…)


喜びに満たされた笑顔の裏で、彼女はほくそ笑む。


(俺はお前に嵌められた女の…だと言うことを!)


そんな少女こと俺の名前はチョウキ。今日のために用意した優しい色合いのドレスは白い肌を際立たせる。黒髪は傷みひとつなく煌めき、大きな瞳は黒目がち。顔から下を見れば控えめだが確かに存在するふたつの膨らみ、美しい線を描く腰のくびれ。誰が見ても認める美少女中の美少女。


そんな俺は何を隠そう、元・男である。






「チョウキ」


目の前の扉からは美しい音色がこぼれ、大理石の床は陽を浴びて耀く。厳かで静謐な空間に、声は突然降ってきた。俺は咄嗟に笑顔を浮かべ顔を上げる。耳の下で、イヤリングが音を立てた。


「なんでしょう。ディーデリック様」

「いや…変わった名前だと思ってな」


隣に立つ男を見上げると、ぶっきらぼうな低い声が返ってきた。彼は結婚式の為に誂えられた紺色のタキシード姿。人ならざる縞々の長い尻尾が宙を泳ぐ。そして隣に立つ俺といえば、純白のドレス姿である。男に寄り添い、俺は笑顔を作って言葉を返す。


「母が付けてくれたのです。…なんでも、母が尊敬する人物で、母の故郷では有名な方の名前だとか」

「君の母上はこの国の出身ではないのか」

「ええ。実際に行ったことはないので、おれ…いや、私も詳しくは分からないのですが」


うっかり素が出てしまい、慌てて訂正する。言葉遣いや一挙一動を女らしく近付ける練習は積んだが、20年近く男として生きてきた事実は変えようがない。所詮は付け焼き刃。ふと油断した時に、男に戻ってしまう。


(怪しまれたか…?)


ちらりと視線を走らせるが、男はこちらを見ていなかった。彼の視線の先にはこれから入場する教会の扉。そちらに顔を向けたまま、彼はぼそりと口にする。


「…良い名だ」


その顔は初めて会った時と変わらず、無表情である。


ディーデリック・ファン・リフテンベルフ。リフテンベルフ伯爵家次男。貴族階級には珍しい獣人で、橙色と黒色の毛は艶やかに煌めく。雄々しい虎の姿、肉食獣を思わせる琥珀色の瞳、それでいて頭脳明晰と聞く。リフテンベルフ家の事業の実権を持っているのも、殆ど次男である彼らしいし。


(そして俺は今日、ディーデリックと結婚する)


俺はこの男との結婚を、熱望していた。どうやらあちらは乗り気ではなかったらしく、持ちうる限りの人脈を駆使し、俺は半ば無理矢理お見合いの場を設定した。そんな端から不利な状況を打破する為、ドカンと一発かました結果が冒頭の台詞である。そしてその勢いに押されたのか、俺がバックに抱える事業を利用するつもりだったのか、奴はその場でOKを出した。少々上手く行き過ぎた気もするが、何にしても作戦は成功に終わったのだ。


(これでディーデリックの懐に飛び込めた…ふん、せいぜい、これから始まる新婚生活に浮かれていろ!)


そして女にまでなった俺の目的、そのゴールは当然、この男との新婚生活じゃない。


(復讐されるとも知らずにな!)


話はひと月前に遡る。リフテンベルフ伯爵家で催された社交パーティーにて、事件があった。それが、事業に関わる機密情報を盗まれそうになったと言うもの。そして疑惑は、パーティーに参加していたひとりの女性にかけられた。


その女性がアンネマリー・デ・フレーテス。何を隠そう、俺の妹である。彼女とは母親が違い、所謂腹違いの兄妹だ。しかしそんな些末な事実は関係なく、俺はアンネマリーを非常に可愛がっていた。そして彼女が窃盗などそんな真似をする筈がないことは、俺がいちばんよく知っている。


つまり、嫁入り前の俺の妹はありもしない罪で名誉を傷つけられたのだ。ここで立ち上がらずに何とする。


しかし腐っても上流階級。奴の家に潜り込むことなど、そう簡単な話じゃない。


だから俺は女にまでなった。規制されている性別変換薬を入手、役人を買収し戸籍上の性別を書き換えさせた。全てはディーデリックの家に潜入し、弱味や悪行を暴き妹にかけられた疑惑を晴らす為。


「今この瞬間を以てして、ふたりを夫婦とすることを宣言します」


証人が宣誓すると同時に、荘厳な鐘の音が鳴り響く。そんな数多の苦労を経て、俺は今この場に立っている。


(アンネを嵌めた復讐を、必ず果たしてやる!)


偽装と策略に満ちた結婚生活は、こうして幕を開けたのだ。






「とってもお綺麗ですわ。チョウキ様。これならばきっと、ディーデリック様も喜ばれますね」


メイドの女の子達が俺を囲み、身支度を整える。髪を梳かし、肌にオイルらしきものを塗り、爪を綺麗に削られる。もちろん人にそんなことをされる状況は慣れてはいないので、落ち着かない。しかしこちらの思惑などあずかりしらぬ彼女達は、新婚夫婦の初夜に思いを馳せ、無邪気にはしゃいでいる。


「この夜がおふたりにとって素敵なものになりますように」

「…ありがとうございます」


今度はまた別の意味で背中をぞわぞわさせながらも、俺は完璧な笑顔を浮かべ頷く。最後に何やら花の香りがする蝋燭に灯をともして、メイド達は去って行った。


「ディーデリック様はお仕事のことで少し立て込んでいて…お待ちくださいね」

「ええ。もちろんです」


(来た!)


扉が閉まると同時に、グッと拳を握る。この初夜を俺は待っていた。


いや、勘違いするな。いくら体が女になったからと言って、いくら結婚したからって、俺に男と寝る趣味は無い。絶対無い。神に誓って無い。それだけは死んでも嫌だ。


そう、これはチャンスだ。


(ディーデリックがいない今のうちに、家捜しするんだ!)


俺の目的はディーデリックの弱味を握ること。家の内部に入り込めるこの初夜を、俺は待っていた。そして何やら奴がいないこの瞬間は絶好の機会。まあディーデリックがいても、ぶん殴って気絶させた上で家捜しするつもりだったけど。


薄いレースでできた寝巻きを床に放り投げ、俺は持参した厚手の黒い服を纏う。靴を脱いで、裸足で絨毯を踏む。俺の心に宿るのは、確かな決意だ。


(絶対に、妹の仇をとる!)






広い屋敷は窓も大きい。廊下の赤い絨毯を、等間隔で月明かりが照らす。


床に倒れ込んだ屋敷の警備兵を見下ろしながら、俺は冷静に分析する。


(俺のいた寝室を中心に、警備の数がやたらに多いな…少しは警戒されてるみたいだ)


これだけ大きな屋敷だ。警備の兵士は常にいるだろうとは思っていたが、その数と配置に、俺は確信を持つ。ディーデリックは思ったよりもやり手だったらしい。さすがに全てはバレていないだろうが、俺の目的をうっすら察しているのかもしれない。


「早いとこ弱味なり何なり見つけて、退散した方がいいな…」


警備を床に沈ませ、ひとりきりになった廊下で小さく呟く。そしてその廊下の最深部。観音開きの扉を見上げ、俺は足を止めた。複雑な形式の鍵穴を見て、俺は瞬時に判断する。


「ここが、ディーデリックの執務室か」


リフテンベルフ伯爵家の主な事業は総合商社。国や大企業を顧客に抱え、クリーンな印象を打ち出しちゃいるが、俺の妹に濡れ衣を着せるような奴がやってる事業だ。何かしらあるに違いない。期待に胸を膨らませて、ふと気付く。


(…なんだ?)


屋敷の鍵、特に機密を扱う部屋なんて厳重に管理されている筈だ。そうそう鍵の閉め忘れなどあり得ない。だから執務室の位置を確認した上で、窓からでも侵入しようかと思っていたのだが、鍵はかかっていなかった。開いている。


(どうして…)


扉を押して、僅かな隙間から中を覗く。部屋は真っ黒だが、奥で小さな蝋燭の火が揺らめく。室内には先客がいた。


「…大丈夫だ。今度は失敗しない」


耳をすませば、男の声がする。相手の声は聞こえない。どうやら通信機を使って、誰かと話しているらしい。


(ディーデリックじゃない。こいつ、何して…)


「うちの流通経路も顧客情報も全部渡す。だからこれが成功した暁には…俺を、幹部として招き入れて――」


彼の言葉の途中で、俺が手をかけた扉が開く。蝶番から漏れた音は小さかったが、あまりにも静かな屋敷の夜。男に気付かれるには十分だった。


「誰だ!」


慌てて通信を切り、男が振り向いた。俺を見て、息を呑む。


「ディーデリックの嫁か…!?なぜここに…」


彼の手元から大量の書類が滑り落ちて、床に広がる。リフテンベルフ伯爵家が所有する大企業、それに関わる機密情報。そして先程の会話を繋げれば、俺でも分かる。産業スパイだ。


「お前…」


だが俺がいちばんに驚いたことは、相手の正体だった。


「何やってんだ。お前、ディーデリックの兄貴だろ…」


標的であるリフテンベルフ家のことを、俺は当然徹底的に調べ上げた。だから間違いない。この男の名はローデヴェイク・ファン・リフテンベルフ。戸籍上の、ディーデリックの兄だ。


「くそ…なんでこう、毎回邪魔が入るんだ!」


弟と似ていない顔を歪めて、ローデヴェイクは苛々と頭をかきむしる。俺を苦々しそうに見ながら、独り言を口にした。


「ついこの間も、赤毛の小娘に見られたばかりだぞ…!あの時は罪を着せたが…」

「!」


その言葉に、今度は俺の顔色が変わる。


「アンネを嵌めたのはお前か!!」

「なんだ?知り合いか?」


かっとなった俺を見て、ローデヴェイクは落ち着いたように息を吐く。俺の頭から爪先までをじっくり観察して、鼻で笑った。


「女…貴様からは一切の魔力を感じない。一体どこの弱小民族だ。さては…魔法のひとつも使えないな?」


この世界の人間が他人の力量を測る際に重要視する尺度が、魔力である。魔力があればあるほど、より強力な魔法が使える。生まれながらに決まっている家柄と同じく、こればかりは才能だ。努力でどうにかなるものではない。


「面倒だ。さすがに二度目は疑われるかもしれないしな。悪いが始末させてもらう」


言いながら、ローデヴェイクはナイフを取り出す。銀色の刃先が蝋燭の炎に照らされて、ぎらりと鈍い光を放つ。


けれどそれよりも、彼の声が途中で二重になったことに気付いた。振り向くと、扉を塞ぐようにして、同じくナイフを持ったローデヴェイクが立っている。けれど俺の正面にも彼は全く同じ姿で存在している。つまりこれは、もうひとりのローデヴェイクだ。


その隣、今度は右方向に出現した彼の姿を見て、俺は結論を下した。


(分身魔法か…)


その瞳をナイフよりもぎらぎらと輝かせて、彼は口を開く。


「俺は…俺は!生まれながらの特別な人間だ!この魔法とリフテンベルフから盗んだ情報で成り上がる!あの獣じゃなく、この俺が!」


最後の方は半ば自分に言い聞かせるように叫ぶ。彼の言う通り、リフテンベルフの会社の実権を握っているのは、どういうわけかディーデリックだ。けれど髪を振り乱して欲に歪んだ形相を前にしては、それもそうだろうと妙に納得してしまう。


「何が弟だ。獣人との繋がりを作るためだけに養子に取られただけの存在の癖に…!どうせ最後だ。土産に、あいつの嫁の死体を残して行くのも楽しそうだ」


そしてどうやら今夜、彼は人としての一線を越える気らしい。話している最中にも、彼の分身は更に増えている。いくら分身魔法とは言え、複数体同時に出すのは難しいと聞く。それなりに高度な使い手なんだろう。


「相手と話はついてる。俺はまた、貴族の仲間入りを果たすぞ…!」


目先の欲に眩んだ目は闇夜に爛々と蠢く。いくつもの刃先と殺意を向けられて、俺は静かに口にする。


「…魔法に地位、血の繋がり。そんな分かりやすい力ばっかりに縛られてると、痛い目見るぜ」


さて。急で悪いが、話は変わる。俺の母親は異世界からやってきた。俺も詳しくは知らないが、ニッポンってところらしい。つまるところ、俺は異世界人の二世にあたる。


何の運命のいたずらか、俺の母親は突然異世界で暮らすことになった。当然居場所もなければ身寄りもない。途方にくれていたところに爵位を持つ立派な身分の男と出会い、結婚。男児、即ち俺を出産した。しかし元々やむを得ない結婚だ。肩身の狭い現状に不満を抱き子供を抱え、彼女はなんと離婚してしまった。


そのまま性産業に一方的に搾取される状況に陥ると思いきや、何を思ったのか一から起業。彼女の持つある特技と巧みな経営手腕、そして類い稀な人心掌握術により、今や業界最大手の大企業へと自社を成長させた。


安定した実績から、最近では遂に王室の信頼も獲得。見事居場所も名声も手にした激動のサクセスストーリーはこの辺りでサクッと割愛するが、つまるところ、魔法と言うものが存在しない世界から来た俺の母親には、魔力が欠片も宿っていない。その為か彼女の血を半分引き継ぐ俺も、全くと言って良い程そういった類いの力には恵まれなかった。


そんな息子の身を案じたのだろう。彼女は自身を救ったある特技を、俺に叩き込んだ。それは俺が生まれるずっと前から、長きに渡って紡がれてきた先人の知恵と経験、技術の結晶。そして彼女が立ち上げた事業の始まりとなった、この世界にはない技。


「ば、馬鹿な…」


尻餅をついて座るローデヴェイク。彼の首の横、すぐ隣の壁が、ガラガラと崩れる。そこにめりこんでいるのは、俺の拳である。


俺の母親が裸一貫で立ち上げた事業の内容は護衛業。

伝統派空手、我如古がねこ流。島国の離島にあった小さな道場だったが腕は確か。俺の母親はそこの、一人娘だった。


「危ない危ない。本体も分身と同じように、一発で伸しちまうところだった」


背後にたくさんの奴の分身を積み上げて、俺は口を開く。拳を解き、彼の胸ぐらを掴んだ。笑顔でローデヴェイクに話しかける。


「お前は特別だ。心を込めてボッコボコにしてやらないとな!」


俺の妹を嵌めた大罪は、その身をもって償ってもらおう。しかし俺が制裁を下すより先に、背後で扉が勢いよく開く音がした。


「チョウキ!」

「!」


名前を呼ばれると同時に、部屋に明かりが差す。その眩しさにとっさにローデヴェイクの胸ぐらから手を外し、顔の前に掲げる。視界に映ったのは、廊下に立つ、大きな人影。そしてその背後にたくさんの兵士が見えた。中央の特徴的な人影に、俺は思わず口を開く。


「ディ…」

「ディーデリック!」


けれど俺が最後まで言い切るより先に、ローデヴェイクが弟の名を呼ぶ方が早かった。いつの間にか分身を消し、俺を指差し叫ぶ。


「この女は詐欺師だ!お前と結婚して、我らが事業の機密を盗もうとしていたんだ!私はそれを止めて…」

「!」


(こいつ…)


この期に及んで平気で嘘がつける面の皮の厚さに、思わず舌打ちが漏れる。しかし、かたや兄、かたや会話も数回程度の新妻。ディーデリックがどちらを信じるかは明白だ。


(まあ良い。そもそも、こいつの嘘を信じ、アンネを貶める真似をした時点でディーデリックも同罪)


相手が何人いようと、そして獣人だろうと関係ない。俺の母さんは赤ん坊だった俺をおんぶ紐でくくり、要人警護の為に異世界の猛者共と戦ってきた。こんなところで負けてはそれこそ修行不足だと叩きのめされる。


(この場の奴ら残らず倒した上で全員、警察に突きだして――)


「無事で良かった…」


もう一度戦闘体勢に入ろうとした俺を、予想外の衝撃が襲う。柔らかなぬくもり、太陽のにおい。一瞬、何が起きたのか分からなかった。耳に、ぐるると心地のいい音が響く。


俺の体は、ディーデリックに抱きしめられていた。


「…え?」

「なんで俺が捕まるんだ!リフテンベルフの長男だぞ!」


その言葉通り、取り押さえられたのはローデヴェイクの方だった。そのまま、手錠をかけられ連れていかれる。騒ぐ奴を横目に、もふもふの毛の中で俺はただ固まることしかできなかった。






「お兄様ったら!」


翌朝。爽やかな朝日に包まれるリフテンベルフ伯爵家の屋敷、その一室では甲高い怒りの声が響き渡っていた。


「ちょっとわたくしの名誉が傷つけられたからって、性別を変えて結婚までして…!もう、本当に…馬鹿じゃないの!」


両サイドでまとめた緋色の髪が、彼女の動きに合わせて揺れる。彼女の名前はアンネマリー。俺の妹である。


彼女の向かい側で、俺はぐだりとソファに身をあずける。窓から差し込む朝日が眩しくて、指で目頭をつまむ。口からこぼれるのは弱々しい声だ。


「ごめん。昨日から寝てないし、心の整理もついてないからもうちょっと優しく頼む…」

「はあ!?整理がついていないのはわたくしも一緒よ!朝いちばんに連絡が来て、どれだけ驚いたと思って!?」


俺の制止も意に介さないぐらいには、彼女はぷりぷり憤慨している。しかしアンネマリーが続けて何かを発する前に、背後で扉が開く音がした。


「私も驚いた」


部屋に入ってきたのはディーデリックである。立ち上がろうとするアンネマリーを制し、彼は椅子に座る。俺達に視線を送った。


「まさか、アンネマリー嬢が君の妹君だったとは…」

「兄…いえ、姉が申し訳ありませんでした」


アンネマリーが口を滑らせかけて、すぐに言い直す。俺が彼女と血縁関係があることは知られたが、本当の性別、即ち俺は実は男であるとはディーデリックには教えていない。


何せ、女となって結婚するために、公文書偽造、規制薬物の入手及び使用等どう控えめに言っても捕まりそうな行為に手を染めているのだ俺は。黙っているのが吉だろう。幸い薬の効果はそう切れるものではなく、俺はまだ女のままだし。


そして話をだいぶ戻そう。パーティーの最中、偶然、アンネマリーが犯行を目撃してしまい、ローデヴェイクに嵌められたことは事実で間違いない。多くの参加者がいるその場で奴は騒ぎ立て、アンネマリーは汚名を被ることとなった。しかし、ここで俺の知り得なかった事実があった。


「まさか、ディーデリックが最初から兄貴を疑っていたとは…」


頭を抱え呻く。アンネマリーは俺に視線を戻し、先程のやりとりの続きを再開する。


「リフテンベルフ卿は、わたくしが窃盗なんて行為をしていないことを、ちゃんと理解してくださってたのよ!その上で騙されたふりをしてらしたの!」


横からディーデリックも補足する。


「アンネマリー嬢には大変な迷惑をかけた。私も兄のことは疑いつつも、どうしても証拠がなく…泳がせ尻尾を掴む為に、彼女に罪を着せてしまった」

「あのときはそうするしかなかったの。あの人のせいで私が盗んだって騒ぎになっちゃって。リフテンベルフ卿はちゃんとあとから誤解を解くって言ってくださったし」


次々と露見する事実に、俺の頭はどんどん低い位置へと落ちていく。言葉遣いを女に戻すのも忘れて、俺はため息と共に呟く。


「そうとは知らず、俺は余計なことをしてたって訳か…」

「いや…。お陰で兄を捕まえることができた。取引していた相手も特定し、対処するつもりだ。司法の場で裁かれ、反省してくれることを祈るが…」


そう話すディーデリックは、複雑な表情だ。俺からすれば、アンネマリーを嵌めた時点で極刑に値するのだが、血は繋がらないとは言え兄貴だ。色々と思うところがあるのだろう。


「しかし…チョウキ。妹君の為とは言え、君が危ない真似をしたことだけは看過できない。魔力のない女性がひとりきりで…追い詰められた兄がどんな行動を取ったか分からないんだ」

「あ、いや。俺は…」

「君を巻き込むまいと警備を強化していたが、昨夜警備兵は全員兄によって気絶させられていたんだ。まさかあれほどの魔法の使い手だったとは…」

「そうなんだ…。チョウキとっても怖い…」


警備員を根こそぎ昏倒させた犯人は俺だが、余計なことは言わないでおく。全てを察したアンネマリーが横から冷たい目で見てくる視線を、そっと避ける。


俺達に向き直り、ディーデリックは牙の覗く口を開く。


「約束通り、兄の逮捕を公にし、アンネマリー嬢の汚名をそそぐつもりだ。希望するならば条件の良い縁談も紹介させてもらう」

「ああ…。ありがとう。色々と迷惑かけたな」


身内の罪など公開するだけ恥だ。約束だったとは言え、アンネマリーの容疑を晴らすためだけにわざわざそのような手段を取ってくれるとは、ディーデリックはそれなりに信用できる人間らしい。そしてそんな約束があったことを知らずに暴走してしまった俺と言えば、おとなしく妹に頭を下げる。


「アンネ。お前にも謝らなきゃな。悪かった」

「!」


するとアンネマリーは面食らったような表情のあと、視線をさまよわせる。やがて、ごにゃごにゃと口の中で呟いた。


「…別に。おに…お姉様がわたくしのことを自分よりも大切に思っているのは、ずっと前から知っていますし。複雑な関係にも臆することなく可愛がってくれることにも感謝しているの」


まくしたてるようにそう言って、最後につんとそっぽを向く。


「…心配してくれてありがと」


深紅の髪と同じく、その顔は耳まで真っ赤である。


「アンネ…」


前言撤回だ。お兄ちゃんはお前の為なら何でもできる。


「何笑ってるの!」


そのつもりはなかったが、妹のかわいい一面に俺の顔の筋肉は緩んでいたらしい。恥ずかしくなったのか、アンネマリーは真っ赤な顔のまま怒り出す。


「わたくしの心配をしている暇があるなら、あなたこそさっさと末永く幸せになってくださいな!優しい方と早く所帯を持って…」

「はいはい」


いつもの小言をいなしつつ、俺はふと思い付いたことをディーデリックに口にする。


「なるほどな。俺の急な求婚を二つ返事で受けた理由も、ちょうど良い囮になると思ったからか」


ローデヴェイクは狡猾な男だ。自分が産業スパイであることを掴ませない為に、パーティーの最中など、外部の人間が多く出入りし、ディーデリックの目が届きにくい瞬間を狙って犯行に及んでいた。そして結婚式当日ともなれば、絶好の機会。間違いなく奴は動くと踏んで、ディーデリックは罠を張っていた。


「いや、それは…」


何か言いかけて、ディーデリックが迷ったように押し黙る。彼のことだ。きっと俺に気を遣っているんだろう。最初に一目惚れと言ってしまったし。実際には結婚する為についた嘘なわけだが。


(何はともあれ、偽装結婚はこれで終いだな)


お互いバツは付いてしまったが、ローデヴェイクは逮捕できたしアンネの容疑は晴らせた。まあお互いに得るものもあっただろう。


(そうと決まれば、俺も男に戻らないと…)


「ああそうだ。その前に、これにサインを…」

「先程の質問だが」


離婚届を引っ張り出そうとした俺に、ふとディーデリックが話しかけてきた。手を止めて顔を向けると、なにやら覚悟を決めた様子の表情と目が合う。


「本来ならば私の結婚の相手も、その手筈も用意していたのだ。もちろん、兄を釣るための為の偽装だかな」

「ん?うん」

「だから、君の求婚を断るべきだったのだが…あの時はどうしても、そうはできない理由があった」

「はあ」


彼の意図を図りかね、俺は変な声を漏らす。するとディーデリックは、真っ直ぐにこちらを見つめながら言った。


「一目惚れだ」


その瞬間、室内の時の流れが止まった。全員の動きは言わずもがな、空気さえ静止したんじゃないかと錯覚するような時間だった。唯一、窓の外を真っ白な鳩だけがパタパタと飛んでいく。


そして、ディーデリックは微動だにせず、じっとこちらを見ている。冗談でも茶化すでもなく、真剣に。まるで、本気みたいな。


「え?」 


俺はひらがなひとつ溢すのが精一杯。アンネマリーが隣で変な声をあげたことが分かった。


俺は気付いちゃいなかった。この偽装と策略に満ちた結婚生活が、末永く幸せに続いてしまうってことに。

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