第19話 羨ましがる王子

 ギルバートの言葉にロタは嬉しそうに頷いてギルバートの手に白パンを重ねてくる。


 滑りだすようにホールの輪に混ざり、出来るだけ端っこでひっそりと踊っていたのだが、気付けば二人の周りには誰も居なかった――。


【こんな所でも避けられるのか……切ない。しかし、今日はロタが一緒だからな!】


 一人だと三日は寝込む案件だが、二人なら心強い。


 しかし見せつけてやろうとはならない。そして改めて気付いたダンスの恐ろしさ。


【こ、こんなに体が密着するのか! これは何と言うか……大変だ!】


 どこがとは言わないが、色々大変ではある。そして今日も間違いなく夜更かし決定である。


「ギルはダンスも上手なんですね! 私はヘタクソでごめんなさい……」

「いや、うちの母よりは全然上手い」


 母のステップはいつだって滅茶苦茶だ。だから毎度思うのだ。振り回される父はさぞかし大変だろうな、と。


 しかしその考えは今改めた。ステップなどどうでもいい。こうやって密着できるという事が何よりも尊い。


「お母さま? ダンスがあまり上手ではないの?」

「ああ。それは酷いものでな。ダンスが終わると父は絶対に一度部屋に戻るんだ。ドレスで見えないから分からないが、あれは絶対に何度も父の足を母が踏んでいるんだろうな」

「ふ、ふふ! 楽しそう! 見てみたいです」

「機会があれば見に来るといい。今日の様に姫の振りをして」


 ギルバートの言葉にロタは、悲しそうに微笑んで頷いた。


「はい、是非」


 ロタのその表情の意味が分からなくてギルバートが首を傾げた所で曲が終わった。ここでパートナー変更だ。


 しかし、ギルバートはパートナーの変更はしなかった。何年振りかのダンスは思った以上に疲れたのだ。この疲労感は鍛錬の時とはまた違う疲労感だ。


 何よりも、ロタがどこかの令嬢に呼ばれて会場から去ってしまったのだ。


 ならばもう、ギルバートもここには用はない。アルバの長女に挨拶をしてさっさと部屋に戻ろう。そうだ、そうしよう。


 ギルバートはサイラスの元へ戻ると言った。


「挨拶をして戻る【戻ったらすぐにレモネードを用意してくれ! ところで】見ていたか?」

「はい、流石でした」

「ああ。【そうだろう? 僕にしては上出来だったんじゃないか⁉ いや、それは部屋に戻ってからにしよう。】行くぞ」

「はい」


◇◇◇


 サイラスは、ホゥとため息を吐いた。ギルバートのワルツなど久しぶりに見たが、やはり美しかった。本当に男のサイラスからしても目の保養である。


 ギルバートは今日の主賓のアルバの一の姫、ユエラの元に向かった。


 ユエラは主賓席に座り、婚約者のキースと楽しそうに歓談している。そこへギルバートが後ろからそっと声を掛けた。


「お話中、失礼します。本日はお招きいただきありがとうございました。私はこれで下がらせていただきます」

「あれ? もう戻っちゃうの? あ、初めまして。ユエラの婚約者のキース・パウエルです」


 差し出されたキースの手を取ったギルバートは、キースをじっと眺めている。


 その顔は真剣そのもので、ギルバートがそこにどんな策略を張り巡らせているのかはサイラスには全く分からないが、きっと何かまたサイラスになど考えも及ばない事を考えているのだろう。


「ギルバート・グラウカだ、よろしく。【しかし羨ましいほど爽やかだな! それほど爽やかであれば誰に怯えられる事もないのだろうな……羨ましい……】それでは、これで失礼します」


 ギルバートの言葉にキースは意地悪く笑い、ユエラは口に手を当てて、まぁ! と驚いた。


「もう戻られるの? まだ私と踊ってもいないのに?」

「ええ。欲しかった情報は得られたので。【キャンディハートさんの新刊とか、白パンの尊さとかな!】」

「まぁ……情報、ですか。その為に今日はいらしたの?」

「いいえ? あなたのお祝いに来たのですよ。ですが、思わぬ収穫があったというだけです。それに、私は婚約者以外とは踊らない主義なので。それでは、失礼します。【というか、何でもいいから早く帰らせてくれ!】」


 それだけ言ってギルバートはクルリと踵を返して歩き出した。後に続こうとしたサイラスの耳にユエラの声が聞こえてくる。


「……グラウカの銀狼は噂通りの方なのね。とても美しいけれど、冷酷で薄情な方。悪役令嬢にはピッタリだわ」

「いいじゃない。とってもお似合いだと思うよ、僕も」

「……」


 サイラスは思わず殴りかかりそうになるのを堪えた。やはり、悪役令嬢をギルバートに押し付けたのだ。嫁ぎ先の決まらない娘を押し付けてグラウカと友好条約を結ぼうとは、何て浅ましい!


 憤慨したままズンズン歩くサイラスの前で、ふとギルバートが立ち止まった。


 その視線の先には中庭の大きな噴水がある。そしてそこには、会場から退場したはずのシャーロットが座っているではないか。


「あれは……」

「ああ。替え玉だ。【ロタと言うんだがな! キャンディハートさんの愛読者なんだ! 可愛いだろう?】」

「か、替え玉⁉」

「そうだ。【ロタのどこをどう見ても悪役令嬢になど見えんだろうが!】」

「そ、そうだったんですか……なるほど、それで……いつ、お気づきに?」

「一目で。【まぁ初めは天使とロタが同一人物だっただなんて思いもしなかったがな!】」

「一目で替え玉だと? 流石です、王子」

「? ああ。【それにしてもあんな所でロタは何をしているんだ? 夜風などに当たればあちこち切れるのではないか? サイラス、ちょっとロタの様子を見て来るから】お前は先に戻れ」

「! はい!」


 サイラスは足早にその場を後にした。さっきギルバートが言った欲しかった情報の意味がようやく分かった。


 ギルバートは彼女がシャーロットではないとすぐさま見破り、彼女に近づいたのだろう。恐らく、彼女からアルバの情報を引き出す為に。


 ギルバートはいつでも抜け目ない。そしてさらに彼女から何かを聞き出すつもりなのだ。


 サイラスは心の中でギルバートにそっと賛辞の言葉を送った。

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