第14話 我慢する王子

 サイラスがため息をついている。


 ギルバートは慌てて本を閉じるとすぐさま持ってきてくれたレモネードを飲みだした。


 普段はギルバートは運ばれてきてすぐのレモネードは飲まない。冷えすぎているから。 


 レモネードが何より好きなギルバートだが、冷えすぎては困る。体を冷やすと深夜にトイレに行きたくなってしまう。排水の関係で各部屋にトイレなど無い。城の長い廊下をヒタヒタと明かりを持ってトイレまで行くのは、はっきり言って苦行である。たまに寝ぼけて自分の影にすら驚いてしまうのだ。


 しかし考えてみれば、ギルバートは今までただの一度もせっかくサイラスが持ってきてくれたレモネードをその場で飲んだ事がなかった。これはもしかして、失礼だったのでは? 


 チキンハートのギルバートはサイラスに嫌われたくない一心で頑張って冷たすぎるレモネードを飲み干した。もったいない。大好きなレモネードだと言うのに、冷たすぎて味の一つも分からなかった。悲しい事だ。


「改善しなければ【レモネードの味がしない程冷やすべきではないな。氷を減らしてもらおう。そうしなければ、僕はそのうちお腹を壊しそうだ。ましてや明日はロタに会えるんだ】失敗は許されない」

「は、はい!」


 ギルバートの言葉にサイラスはいつものように元気に挨拶してくれた。


【うん、やはりサイラスはこうでないとな。元気なのが一番だぞ、サイラス。ついでに次からは少し氷を減らしてはくれないだろうか】


 ギルバートの思いが通じたのか、サイラスは慌てたように部屋を出て行ってしまった。


「ふぅ【一日一ポエムの時間だな】」


 規則正しい生活が身体を健全にする。ギルバートは幼い頃からずっとこのサイクルを守っている。


 ベッドに移動してベッドサイドの引き出しを開けたと同時に夜の十時を告げる鐘が鳴った。


「しまった!【一ポエムをする時間が無いではないか! 仕方ない。そんな日もある】」


 ギルバートは心の中でキャンディハートさんに謝りながらベッドに転がって目を閉じた。


 ふと思ったのだが、夫婦の営みはこの時間から行われると言うが、どうやって皆起きていられるのだろう? 頭の中を過った疑問がギルバートの眠気を邪魔する。


 一応ギルバートは王子だ。そういう手ほどきというか、勉強も叩き込まれているが、実践した事は無い。普通は閨の授業もあるらしいのだが、ギルバートがそれを断ったのだ。


 何故なら恥ずかしいから! そんなもの、どうして誰とでも出来ると言うのか! 


 初めてその行為を知った時、ギルバートは無表情を貫いた。机の下ではガタガタと揺れるほど震えていたのだが、そんな事は表情には一切出さなかったのだ。


 偉い! 自分で自分を褒めてやりたいぐらいの偉さだ。 


 しかしギルバートとて男。成人ではないが男子だ。その行為について知った日は夜も眠れなかったのを今もよく覚えている。興味はある。


【はぁぁ……何故眠る前にこんな事を思い出すのだ! ましてや明日はロタに会うんだぞ!】


 うっかりそういう目でロタを見てしまいそうで今から不安で一杯だ。


 結局ギルバートは明け方まで悶々として眠る事が出来なかった。何度も体に異変を感じたが、深夜のトイレは嫌なのでそれを無視したらこの様である。


 そして朝方、もう無理だと判断したギルバートは日が昇り始めてからトイレに行って事なきを得たが、完全に寝不足だ。


「王子、お早うございます」

「ああ【おはよう、サイラス。お前は今日も元気そうだな。僕はもう、昨夜から踏んだり蹴ったりだったんだぞ……】」


 完全に八つ当たりだが、思わず軽くサイラスを睨んでしまったギルバートにサイラスは目に見えて怯えた顔をした。


「も、申し訳ありません! わ、私が何かしたでしょうか?」

「いや【僕こそすまない。完全に八つ当たりだ。サイラスはいつもよくやってくれているぞ! 所で急で悪いんだが、何か菓子など用意出来ないか? ロタにグラウカの菓子を持って行ってやりたいんだ。お前は何がいいと思う? クッキーか? チョコレートか? 本当はレモネードを飲ませてやりたいが、あれは持ってはいけないだろう? とりあえず何でもいい】用意してくれ」

「は、はい!」


 サイラスは勢いよく頭を下げて出て行った。あの勢いなら期待できる。きっと素晴らしい物を用意してくれるだろう。


 しかしいつも疑問なんだが、どうしてサイラスはギルバートが何も言っていないのに分かるんだろうな。これが以心伝心という奴か? 素晴らしいな!


 それからサイラスが用意した箱とマントを受け取り、馬車に乗る。正装するのは久しぶりだ。相変わらず重たい上にこのマントがゾロゾロと長く歩きにくい。


【鎧よりはマシか。何せ臭くないからな! 何なら洗い立てのシーツのような匂いがする】


 思わず鼻を鳴らしてマントの内側をめくると、胸の所から一本の針がこちらに向かって突き出ている。


 どこかの留め具が外れたか? そう思い馬車の中でマントをサイラスに渡した。


「サイラス、これは?【どこかの留め具が外れているのか? だとしたら途中で脱げてしまうかもしれない。今日はマントは止めておいた方がいいんじゃないか】」

「え? っ!」


 マントを受け取ったサイラスが血相を変えて馬車を飛び降りた。


 良かった。まだ発車していなくて。そのままマントはもう今日はらないぞ。心の中でそんな事を呟きながら、ギルバートはサイラスに手渡されたロタへの贈り物を大切そうに撫でた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る