第20話 優しい家族2

「アーサーさん……」

 馬鹿らしくも、鼻と目の奥がつんとして、目の前が霞んでしまった。

 子供みたいに泣きじゃくり、これではおもちゃを買ってもらえない子供の方が可愛げがある。

 アーサーさんは僕の背中を引き寄せ、優しく抱きしめた。

「どうしよう、おばあちゃんが……」

「話は聞いていました」

「おばあちゃんに何かあったら、僕……あいつを殺すかもしれない」

「人間、誰しもそのような感情は持ち合わせています。何も不思議なことではない。醜い感情とも思えない。あなたにそう思わせてしまう何かが過去にあったのでしょう」

 背中に暖かな手が行き来し、別の意味でもさらに涙が溢れた。

 否定しないでいてくれて、受け入れてもらえた、と依存の気持ちがよぎってしまう。

「ご実家には誰もいません。まだおばあさまは帰っていないみたいです」

「どうして?」

「履歴書に緊急連絡先が書いてあったでしょう? ご連絡しましたが、誰も出ませんでした。聡子さんもお帰りになってはいないようです」

「聡子も連絡が取れないんです。ただ、今日は遅くまで大学に残ってる曜日なので、おばあちゃんは関係ないかも」

「電車やタクシーでお出かけはしますか?」

「腰痛めてから病院に行くときは、タクシーか徒歩です。ここら辺はなんでも揃いますから、あまり吉祥寺から出る人じゃないんで。遠くに出かけるときは、前の日や朝には必ず僕に言うんです。こんなことって初めてで……」

「お父上の話や彼方さんに連絡をされなかったのも、いろいろと重なっているのですね。偶然は重なるものではありません。まずは必然だと思って動き、初めて偶然が生まれるものです」

 もう一度交番へ行き、泣きじゃくる僕をよそに、アーサーさんが全て成り行きを説明した。当事者である僕より、第三者の彼の方が、説明は上手いし分かりやすかった。

「おばあさまの写真はありますか?」

「送ります」

 僕の髪が今より短く、高校一年生のときに制服姿のままで撮った写真がある。恥ずかしかったが、これしかない。

「可愛らしいですね」

「でしょ? いつもにこにこしてて、僕も笑顔になれるんです」

「…………ですね。では二手に別れましょうか。彼方さんはご近所へ行き、おばあさまを見ていないか確認して下さい。私は別のやり方で捜してみます。何かあったら、すぐにご連絡下さい」

「分かりました」

 彼と別れ、ひとまず家に急いだ。

 玄関には靴もなく、聡子も帰っていない。

 家の前には、庭の花の世話をしている女性がいた。

「すみません、僕の祖母が外に出たか分かりませんか?」

「さっき外に出たばかりなのよ。いなくなったの?」

「ええ……帰っていなくて」

「警察には?」

「言いました」

「そう」

 素っ気なさが温度差を感じ、余計に焦りを生んだ。

「ありがとうございました」

 早々に会話を終わらせ、その場を後にした。

 ちょうど隣の家の人がビニール袋を下げて帰ってきたので、声をかける。

「おばあちゃん? 一緒じゃないの?」

「一緒?」

「彼方ちゃんに会いに行くって慌てて飛び出したわよ」

「僕に?」

「ケガしたとかなんとか言ってた気がするけど……」

「ありがとうございます」

 僕は駅まで急ぎ、途中で彼に電話をした。

 間違いない。父だ。僕を使って祖母を家から連れ出し、攫おうとしている。

 身体が悲鳴を上げるが、全力で走った。安心するブロンドヘアーを発見すると、不思議と足が軽くなる。

「お父上のよく行く場所はご知っていますか?」

「好きなものなら、お酒を飲める場所か、パチンコです」

「おばあさまを連れて行きそうにはありませんね……それなら、あなたが行くところは?」

「……アルバイト」

 アーサーさんの目元が緩んだ。

「他には?」

「あとは学校です」

「あり得るかもしれませんね」

「大学が?」

「あなたを使って呼び出したのなら、信じてもらえそうな場所は大学しか思い浮かびません」

「そうかもしれませんね……。父のしでかしたことはおばあちゃんも知ってるので、呼び出されたって簡単について行かないと思います。僕がケガしたって学校に呼び出されたら……」

「呼び出されるままについていってしまうでしょうね」

 通りかかるタクシーを止め、ふたりで乗り込んだ。

 アーサーさんは僕よりも早く大学名を告げると、タクシーはゆっくりと走り出す。

 夜にもなると、大学周辺は人の通りが少ない。学生より、マラソンランナーや仕事帰りのサラリーマンがぽつぽついるだけだった。

「中に入ると学生もけっこういらっしゃいますね」

「夜間の授業もありますから。僕はとってないですけど」

 端末にメッセージが届いた。相手は早見秋人君だった。

──お前のばあちゃんと一緒にいる。

 続けてメールが届く。

──お前の名前呼びながら学校の中をうろうろしてた。

──どこにいる?

──駅前のハンバーガーショップにいる。

──すぐ行く。

「アーサーさん」

「行きましょう」

 再び駅の方角へ走り出した。ずっと走り回っていたせいか、髪留めのゴムが取れ、長い髪があらわになる。

「彼方さん……」

 僕の名前を呼ぶ彼を見ると、何か言いたそうな顔で見ていた。

「いえ、何も」

 アーサーさんがスピードを上げたので、僕も足を踏ん張った。

 駅前のハンバーガーショップに入るが、祖母はいない。

「あとは二階席ですね」

 階段を物ともせず、アーサーさんは軽快に上がっていく。僕は一つ一つ確かめるように上がった。肺も足もつらい。

「おばあちゃん……!」

 一緒にいるのは早見君だ。父はいない。

 祖母と早見君は隣で飲み物を飲み、僕を見るなり固まっている。

 僕は祖母の側まで行き、年甲斐もなく泣いた。

「じゃあな」

 入れ違いに早見君は席を立つ。

「ありがとう」

「別に」

 早見君はアーサーさんをじろじろと眺め、席を後にした。

「おばあちゃん……どうしていなくなったの」

「ごめんねえ……彼方がケガしたって言うから」

「おかしいと思わなかった?」

「思ったんよ。でもね、心配で心配で」

「誰からかかってきた?」

「学校からだよ」

「早見君とはどこで会った?」

「学校の中よ。彼方の友達だっていうから、事情を説明したの。一緒に飲み物どうですかって誘ってくれて、いろいろお話ししてくれたのよ。いい子ねえ」

 アーサーさんは一度外に出ていき、数分後に戻ってきた。

「警察に電話をかけました帰りは送ってくれるそうです」

「お綺麗な方ねえ。お名前は?」

「私はアーサー・ラナウェーラと申します。初めまして」

「おばあちゃん、バイト先の店長だよ。おばあちゃんが行方不明だって話したら、一緒に探してくれたんだ」

「ありがとうございます。孫がお世話になっています」

「私の方こそ、働き者の彼がいてくれて、とても仕事がはかどります」

 落ち着かない気分だ。アルバイト先の店長を紹介するだけなのに、恋人を見られたかのような恥ずかしさがある。

 ともかく、無事で良かった。身体の力が抜けて、しばらく動けそうにない。

 けれど安心はしていられない。目的は間違いなく僕だろうが、達成するためには祖母も利用するという悪事を働く男だ。

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