第13話 雨の日の日常

 今日は雨だ。六月に入ってから天候が崩れることが多くなった。梅雨の前兆なのか、天気は不機嫌。占いで天気は占えるのか、というばかげた質問に、彼は水蒸気が重みで支えきれなくなると下降してくる、それが雨だと綺麗な日本語で答えてくれた。占いは何も関係がなかった。

 しとしとというより、土砂降りに近い天気では、客人も少ない。駆け込みではなく、わざわざ傘を差してやったきた女性は二杯目の紅茶を飲もうとティーポットを傾けている。

 気を利かせたアーサーさんは「天気があまりよろしくないですね」と声をかけたが、彼女は小さく頷いただけだった。ここに来る女性はアーサーさんと話したくて仕方ない人が多いが、彼女はひとりになりたくて来た。それたけだ。そういう気分は痛いほどよく分かる。

「お会計を」

「あ、はい」

 覚えたばかりのレジで会計をし、ありがとうございましたと一礼をする。彼女は傘を開き、そのまま外に出ていった。

 数分後、新しい客人が入ってきた。

 スーツを着た男性だ。彼は僕とアーサーさんを見比べて、アーサーさんに駆け寄った。

「すみません、さっきここに髪をポニーテールにまとめた女性が来ましたよね」

 入ってきて早々、不穏になる言葉だ。なんせ、僕らは彼の素性を知らない。答えていいものか考えあぐねていると、

「お客様、お席へどうぞ」

 笑顔で交わし、男性はしぶしぶ腰を下ろす。

「こちらがメニュー表でございます」

「アイスティー」

「かしこまりました」

 沸騰させた水に多めの茶葉を入れ、しばらく沸騰させる。山盛りに氷を入れたタンブラーに、赤茶色の液体を注ぐ。溶けた後にさらに氷を入れて出来上がりだ。

 まったく濁りのない液体はいつ見ても惚れ惚れする。何度か教えてもらっているが、まともになってきた程度で僕の紅茶は店に出せるレベルじゃない。悲しき現実。

「さて、先ほどの質問ですが、あなたはポニーテールの女性を探しているのですか?」

「ええ、ええ、そうです。どうしても彼女に会わなければならないんです。どこに行くとか、言っていませんでしたか?」

「憚りながら、私はポニーテールの女性がご来店されたとは申し上げておりません。お客様の個人情報に関わるものですから」

 男性は一瞬だけむっとした顔になり、すぐに元に戻った。

「彼女は、俺の元彼女だった人です。結婚相談所で知り合い、急に連絡が取れなくなってしまったんです。偶然見つけて、こちらの店に入っていくのが見えて、いても立ってもいられなくて……」

「左様でしたか」

 さて、ここはどう見るべきか。

 アーサーさんは張りつけたような愛想笑いを浮かべていて、僕には奇妙に見えた。ただの張りぼて。

「ここは、占いの店なんですか?」

「ええ、そうです」

「こういうのって胡散臭いんだよなあ」

 天然石で作った売り物のブレスレットを見て呟く。

 店のものをあんな風な言い方をされて、僕なら悲しむなんてレベルじゃない。彼はあんな発言をするのに慣れている。

「それなら占ってよ。当たるんでしょ?」

 もうひとり客人が入ってきた。女性で、傘をさしていても肩や髪が濡れている。

「いらっしゃいませ」

 いつもと同じトーンでアーサーさんは口にすると、僕に目配せした。

 男性は入ってきた女性をじろじろ見ては、ため息をつく。あまりに失礼な態度に僕は口を開きかけたが、アーサーさんは人差し指を口元に持ってきた。それも一瞬で、僕にしか分からないようにだ。

 男性とはできるだけ距離を離して、女性を案内する。気づいていないわけがないのに、女性はまったく気にした様子は見せず、僕にありがとうとお礼を言う。大人すぎる。

「紅茶のセットを。ホットのヌワラエリヤで」

「かしこまりました」

 分かったように切り返すが、実はまったく分かっていない。

 早口言葉でもできそうなヌワラエリヤ。正体不明の紅茶ヌワラエリヤ。

 一応メモを取るが、アーサーさんはカウンター越しに聞いていてすぐに作り出した。

「先ほどの話ですが、」

「うん?」

「占いは可能です。ですが、代金は頂きます」

「お金取るの?」

「もちろんです。社会人として、私はこちらのビジネスでご飯を食べておりますので」

 びしっとした言い方には僕の心に貯蓄され続けたもやもやが消えていった。

 もやもやの正体が少し分かった。たとえ知り合いであったとしても、タダになるという風潮や暗黙の了解のようなものが存在する。僕はこれが好きじゃない。お腹が痛いからといって知り合いの医者が無料にするはずがないし、スーパーで買い物をしてもタダでもらえるわけでもない。

 無料枠は、人の努力を踏みにじる行為と等しい。

「じゃあいいや。どうせ当たらないと思うし」

 ストローを避けて一気飲みした男性は、冷たくお勘定とだけ言い放ち、僕は慌ててレジに向かった。

 ドアベルが鳴ると、肩の荷が少し降りた。慣れてはいけない態度でも、慣れてしまうのだろうか。

「申し訳ございません。お騒がせ致しました」

「いえ、お気になさらなず」

 女性への気配りを忘れず、微笑む顔は汗一つかいていない。

 雨が少し弱まると、外を気にしていた女性は立ち上がる。

 フロアに誰もいなくなると、僕は大きく息を吸って嘆息をした。

「どうかしましたか?」

 気づいているのに、アーサーさんは知らないふりをする。言い換えると「話せば楽になれる」だ。有り難く甘えよう。

「ずっとずっと、耐えてきたんですね」

「ごく稀です」

「稀かもしれませんが、僕は一度で耐えられなかったです。がーっと、叫んでしまいたくなりました」

「きっと、彼は余裕がなかったんでしょう。嘘をついているようには見えませんでしたが、話すわけにはいきませんからね」

「また来るでしょうか?」

「目的は彼女です。紅茶でも占星術でもない。彼の興味の対象から外れています」

「……言われっぱなしで、納得できません」

「目に見えないものは信頼もされづらい。仕方のないことです」

「もし、彼を占ったら、どんな結果が出たんでしょうね」

「短気で目的のためなら手段を選ばない。視野を広げましょうと結果が出ます」

「こっそり占ってたんですか?」

「ふふ……どうでしょうね」

 アーサーさんは微笑を浮かべる。何人もの女性を虜にしてきた顔だ。僕の知らないだけで、本当は何万といるかもしれない。

「愛のために貫く行動は、ときに厄介なものに変わります。私は……」

 愛のために生きている。彼は前にそう言った。

 初恋の女の子が忘れられなくて、人生にとても深い影響を与え、恩人だともいう。どんなすごい子なのか、僕も興味が沸いている。

「もしあのときの子に出会い、あなたに会いたくて日本へ来たと伝えたら、きっとご迷惑になるでしょうね」

「それじゃあ伝えないつもりですか?」

「あのときはありがとうございましたと、ずっとお礼が言いたかったと話します。彼女は彼女で素晴らしい人生を歩んでいる。私が邪魔をしていいはずはありません。でも、ほんの少しの望みがあるなら……と下衆な考えが捨てきれないのです。きっと先ほどの彼もそうです。愛に生きることは、素晴らしくも配慮にかけてしまいます」

 さっきの男性に、アーサーさんは自分を重ねている。

 そんなに思ってくれる人がいるとは、なんて羨ましい。当事者ではないから、僕はそう思えるのかもしれない。

「安易な慰めはためにならないですけど、会えるといいですねって、あなたに言いたいです」

 アーサーさんは目を細め、口元を緩めた。

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