第12話 ダイヤモンドダストの世界
──ごめん。
──本当にごめん。
──会って謝りたい。
まるで喧嘩後の恋人のような会話だ。一方的に来るメッセージに、既読だけをつけて返さないでいると、連続で押し寄せてくる。
──理由を話したい。
昨日アーサーさんから言われた通り、何かしら事情があるのかもしれない。このままでいていいわけがない。
──今日、食堂で。
返信すると、画面を下に置いた。普通でいられるだろうか。何を話したらいいのか。
大学生の本分は勉学であり、こんなことで悩んでいてもおかしいのに。
食堂に向かうと、すでに早見君はいた。珍しく回りに人がおらず、僕は黙って隣に座る。
「昨日、ごめん」
「うん」
許すとは言わない。言えない。
「賭けについて聞きたい。いくら賭けて、何を賭けの材料にしてたの?」
「お金じゃない。ちょっとしたもんだ。焼き肉とか、中華料理とか。賭けは……」
「賭けは?」
言い淀んでも、逃がしたくない。
「お前がなんで髪長くしてんのかなから始まって、俺が切ったらってすすめてお前が切ったら、賭けは俺の勝ち。すすめてもお前が切らなかったら、友達の勝ち」
「……それの、何が楽しいの?」
当事者だからではなく、客観的に見てもつまらないちっぽけな賭け事だ。
「くだらないノリから始まって、月森を傷つけた。ごめん」
「いいよ、もう」
許すといった「もう」という意味じゃない。諦めの言葉でしかない。
「お前と仲良くなるにつれて、お前がいい奴だって分かった。賭けは止めたかったけど、止めるに止められなかった」
きっと彼の友達は、人を傷つけたことも忘れて悠々と世の中を生きていく。何もかも忘れていろんな人と出会い、結婚して幸せな家庭を築いて。
そのとき僕は何をしているだろうか。一生を共にする大事な人と出会っているといい。望みくらい、すきにさせてほしい。
「僕が髪を切るかどうかは、それは僕自身が決めることだから。いくら早見君と仲良くなっても、人に言われて切ることは絶対にないしこの先やってこない」
呪いは意地へと変わり、吐き気がするほど嫌になる。泥沼に浸かったまま、僕は歩けない。息が苦しい。
「じゃあ、行くから」
食欲もなかった。朝もあまり食べずに祖母に心配をかけて、昼はちゃんと食べると約束したのに。
外に出ると、太陽の光と僕の心が一致しなくてますますふらついてしまう。どこかベンチで休もうか。
「大丈夫?」
しゃがみ込んだ僕に、太陽を隠すようにして立っていた人は、四月以来会っていなかった春野雪音さんだった。
「ありがとう……ございます」
「敬語はなし。具合悪い? ちょっと休んでいく?」
「あの……」
「園芸サークルにおいで。何か飲み物を出すよ。水飲んでないでしょう? 軽く熱中症起こしてる」
ふわふわの茶髪は、この前より明るくなっていた。彼女自身が太陽みたいに。
園芸サークルには、相変わらず誰もいない。口を開くこともままならず、差し出された椅子に腰を下ろした。
「はい、どうぞ。ブレンドされたハーブティーだよ」
「ありがとう」
「効能は、食欲促進とか、お肌にいいのよ」
「これも育てたの?」
「育てたり、部費で購入したものとブレンドしたの」
冷たいハーブティーは初めてだ。
「また一人? 寂しくない?」
「優しいね。ありがとう。私は大丈夫だよ」
不思議な雰囲気を持った人だ。掴んでも絶対に側にいてくれないような、雲のような人。そういう意味では、アーサーさんに似た雰囲気がある。それに太陽を覆ってくれる優しさもある。今の僕には太陽光はきつかったので、彼女の存在に救われた。
「すごく美味しかった。でも砂糖が入ってなかったら、酸味が強くて飲めなかったかも」
「あはは。ちょっと酸っぱかったみたいだね」
「……うん」
「なにかあった? 顔色も悪いけど、それより辛そうな顔してるのが気になる」
「他人の心に敏感な人は、とても優しい。僕の知り合いでもいるけど、気を使ってもらってばかりで何も返すものがないよ」
「そういう人は、お返しなんて望んでいないものよ」
彼女は二杯目のハーブティーを注ぐ。一杯で充分だったが、二杯目に口をつけると喉を潤し、気分が楽になった。
気づけば、名前は出さず今日あった出来事をぽつぽつと漏らしていた。春野さんはときどき頷きながら、グラスを傾ける。
「きっとその人はね、誰とでも仲良くして断れない性格だと思うの。彼なりに苦しんで、正直に話したんだと思うな」
「そうかな?」
「そうだよ」
きっぱりと、彼女は言う。
「腹黒いとも言わない?」
「確かに。物は言い様よ。時間にルーズな人は焦らず自分のペースを保つのが得意とも言うし、心配性な人は責任ある仕事ができる」
「物は言い様」
「でしょ? 彼を腹黒いと言う人がいたとしても、それはきっと月森君を心配しているからよ」
「春野さんって、すごい」
「月森君が前向きに考えられないのも、きっといろいろあったからだね。育った環境が大きい。……人間っていいところばかりじゃなくても、いいところを目に映る人間にはなりたいって思う」
「そうだね。なかなかできることじゃなくても、僕もそう思う。ありがとう」
「お礼を言われるほど大したことじゃないよ」
たとえ僕を賭けの対象として賭博を楽しんでいたとしても、彼の優しさで視野が広がったのは事実だ。いろいろな人がいて、すべてが僕中心に回っているわけじゃない。
「今度、お礼させてね」
「ふふ、楽しみにしてる」
出会いもあればその分、悩みが増えていく。大学生になり、しみじみと感じている。
「悩みの根源は、人付き合いにあります。すべてです」
「すべて?」
「ええ。仕事での悩み、学校での悩みなどです」
「例えばですが、お金がないですって打ち明けられた場合も?」
「大抵は働きます。なぜ働けないのかというと、やはり人間関係が怖くて働けない、職場を変えられないなどです」
彼は人の心理をうまいことつく。それが占い師なのか、アーサー・ラナウェーラという人物だからか。
今日は紅茶の入れ方を教えてもらった。手つきに差がありすぎててんやわんやだったが、これまた面白い。味に厳しいアーサーさんの舌を唸らせることはできなかったが、だいぶ上達したとお墨付きを頂いた。
「確かに。僕の悩みも、人間関係です。今までもそうだ……うん、確かに」
「占星術は、惑星の動きと連動させて、その人の未来を見ます。運命は変えられないという占星術師もいますが、私はそうは思いません。未来はいくらでも抗えるし、新しい挑戦だってできる。もちろん、友人とやり直すことも」
にっこりと微笑んだ顔は、占星術師ではなく一人の男性の顔だった。
「今はダイヤモンドダストも出るような厳しい冬のど真ん中にいます。けれど、いつか春はやってきます。あなたの春も、すぐ側まできていますよ」
カードもホロスコープもないカウンターの中で、アーサーさんはまるで占ったように断言した。
占い師と彼の人間性は切り離せないもので、どちらの言葉であっても、僕はまた来週から学校へ行こうと思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます