弓月さんには勝てない

えねるど

弓月さんには勝てない

 弓月ゆみつき 氷柱つららに勝ちたい――。


 俺が初めて弓月に会ったのは幼稚園の頃だった。

 今でも鮮明に思い出せる弓月のあの得意げな表情。

 それは幼稚園に一つしかないブランコを巡ってじゃんけんをし、弓月が勝った時の顔だ。


「私の勝ち!」


 そう言ってブランコを楽しそうな笑顔でぶんぶん漕ぐ弓月を見て、生まれて初めて「悔しい」と言う感情が沸き立ったのを覚えている。


 それを皮切りに俺と弓月は何かにつけて勝負をするようになった。

 俺の心は「弓月に勝ちたい」の一心だ。


「お前が勝ったら、何でも一つ言うことをきいてやるよ!」


 負けず嫌いの俺が吐いた言葉だ。

 しかしながらいつも勝つのは弓月だった。

 結果、御飯事おままごとに付き合わされたり、お弁当のおかずを一つ奪われたりと、弓月の言いなりにならざるを得なかった。


 小学校に上がってもその勝負は続いた。


 勝負の内容はテストの点数や通知表、足の速さや歌のうまさ等、多岐に渡ったが、そのどれも見事に俺は負け続けた。

 負ける度に募るのは悔しさと「弓月に勝ちたい」という思い。


 結局のところ小学校生活の六年間、俺は百回以上の勝負に敗北し続けた。

 ただの一度も勝つことは叶わなかった。


 そのまま敗北者の俺は小学校を卒業し、唇を噛みしめながら中学校に進学。

 もちろん小学校が一緒の弓月も同じ中学校に進学した。


 いつの間にか勝負の内容は俺と弓月が交互に決めるというルールができていて、小学校最後の勝負は弓月が決めたものだった。

 つまり、中学校最初の勝負の内容は俺が決めることになる。


 入学してからの繁雑さも落ち着いてきた四月のある日、俺はいつものように勝負を挑むべく弓月に話しかけた。


「うん、いいけど、もうスポーツとか運動とか、身体からだを使う勝負は無しね」


 いつもと違う反応に俺は少し煽り気味に何故かを尋ねると、


「だって、水星みずほしくんは男の子でしょ。私は女の子だもん。そろそろ運動系は勝てないよ。不公平な勝負はしたくないでしょ?」


 この時だった。

 この台詞こそが俺の中に感情が芽生えるきっかけになった。


 今まで全く意識してこなかったこと。

 ただ悔しいという思いで、いつか勝ちたいという思いだけで勝負を挑み続けてきたが、弓月は女の子なのだった。


 俺は男で弓月は女。

 今までいけしゃあしゃあと女子軍に突っ込みながら弓月に勝負を吹っ掛けていた自分が途端に恥ずかしくなった。


 小さな抵抗感と深まる屈辱を覚えながらも、それでも俺と弓月の勝負は続いていった。

 しかしながらそのどれもが敗北だった。


 勝ち負けと書いて勝負だというのに未だに勝った試しのない俺が、勝利という初めての感覚を目指して懲りずに勝負を続けて行く中で、幼稚園の時からずっと変わらない敗北の悔しさや、いつか勝ってやりたい、勝って優越感に浸りたいという目標という名の皮を被った稚拙な羨望とは別に、俺の中の感情は次第に明確な形になった。


 弓月の事が好き――。


 気付いた時にはどうしようもないくらいに弓月を好きだった。

 間違いなく初恋だった。


 頭や心の中でバラつく感情は、中学三年生になった頃、不意に綺麗に一つに纏まった。


 弓月に勝負で勝ち、告白する――。


 敗北者には、勝者である相手の言うことを何でも一つ聞く義務が発生する。

 それがどんなものであっても、だ。


 実際俺はどんな事もやらされてきた。

 ……まあ大抵、弓月の言ってくることはそこまで大したものではなかったが。


 勝者絶対のルールが遵守されるなら。

 俺が弓月に告白をすれば……。



 その日から俺はより一層勝負に固執し、真剣に勝とうと努力した。

 弓月に勝利し、告白する。恋人になってもらう。

 その一心だった。


 残念ながら、お察しの通りすぐに上手くいくはずがなかった。

 そりゃそうだ、幼稚園児から中学三年の今まで数百回、一度も勝負に勝った試しは無かったのだ。


 唐突に都合よく勝利をものにできる程弓月は甘くはなかった。

 本当、化け物のように勝負強い女の子だ。



 俺の想い――勝利して告白する――とは裏腹に安定した俺の敗北が続き、告白できず仕舞いのまま、とうとう中学校生活は終わりを告げた。


 勝利を目指しての努力が幸いしてか、俺の学力は相当高レベルになっており、地元の進学校に合格することはできた。

 それでも弓月には一度も成績で勝ったことはなかったが。本当に一度もだ。


 そんな全国レベルの弓月も、同じ地元の進学校に入学した。

 俺にとって手放しで喜びたくなる事案だった。


 これで勝負を続けられる。

 これでいつか勝利した時、弓月に告白することができる。



 勝負に勝って告白をする、というある種のかせを自分でめた事で、伝えられない期間ばかりが過ぎ、弓月への想いは自分の中でどんどん膨張していった。

 俺は間違いなく誰よりも弓月の事が好きだった。



 高校生活も馴染んだゴールデンウィーク明けの五月初旬。

 嬉しいことに同じクラスになった弓月が俺の元へやってきた。


水星みずほしくん、今度の勝負は私は決める番だよね?」


 ああ、そうとも。中学最後の勝負は俺の決めた「入学試験の点数」だったからな。

 俺のまあまあな惨敗だったけど。入試でほぼ満点取るなよ、弓月。


「何でも来い! 次こそは勝ってやる!」

「あはは、一回も私に勝ったことないくせにー」

「くそう……次こそは! 次こそは勝って――」


 ――勝って、お前に告白するんだ……。


「それじゃ、次の勝負はこうしよう。先に恋人ができた方の勝ち!」


 その瞬間、俺の願望は出口のない迷路に放り込まれた。


 * * *


 おいなんだよ「先に恋人ができたほうの勝ち」って……。

 ひどいよ、あんまりだよ、こんなのってないよ……。


 俺が弓月への告白を成功させるには、勝負に勝たなければならない。


 勝負に勝つ為には、弓月よりも先に恋人を作らなければならない。


 弓月よりも先に恋人を作るということは、俺が弓月に告白をすることが不可能になるということだ。


 ……まさに八方塞、四面楚歌 (?)、六芒星の呪縛 (??)って感じだ。

 どう考えても詰みだ。


 脳内で詰んでいるロジックをただぼんやりと思い浮かべる事しかできないまま一ヶ月が過ぎた。

 六月。ジメつく季節が俺の心にマッチしてやがる。


 幸いなことにどうやらまだ弓月にも恋人ができた様子はなく、俺は胸を撫で下ろしているが、もしかすると時間の問題かもしれない。


 高校生になってから、周りの連中はというと、やれ彼氏彼女だの、やれ恋人デートだの、水を得た魚のように色恋沙汰に関心が向いているようだ。

 そうなればもちろん男子どもは必死になって彼女を作ろうと可愛い女子に積極的にアピールを始める。


 弓月は可愛い。

 女性らしい艶のあるウェーブした長髪。すらっとした長い脚。控えめでありながらも存在感の隠せない胸部。クリッとした大きな瞳に天使のような優しい笑み。


 贔屓目に見なくてもクラスで一番かわいい。いやもしかすると学年一可愛いかもしれない。


 そんな女子が、成績も学年一、運動も華麗にこなし、人当たりもよく友達も既に大勢、教師からの人望も厚く、おまけにフリーとなりゃ、それはもう全校男子生徒からの格好の標的だろう。


 弓月の男の趣味は知らないが、いつ弓月が気に入る男子からアピールを受けるかも分からない。

 そうなった瞬間、敗北と共に俺は全てを失う事となるのだ。



 弓月が他の誰かと一緒になっているところを想像して、俺は全身が地球に溶け還りそうな気分になった。



 そうなる前に。

 そうなる前に何としてでも、どうにかしなければならない。


 どれか一つ。


 どれか一つを、俺は妥協すれば。

 どれか一つを、諦めれば。


 そう、そうだ。


 幼少から縋ってきた、を、俺は諦めれば。

 そうすれば、俺は初恋を実らすことの出来る可能性を得る。

 


 そういうことか。

 やっぱりそうなんだな。


 おれは弓月に一生ことはできないみたいだ。





 梅雨も明けたというのに、今にも泣きそうなねっとりとした暗い雲が広がる七月の水端、俺は弓月を呼びだした。

 ムードの欠片もない、お互いの家の近所の公園に。


 虫の喧騒に勇気を貰いながら、俺はブランコに座る。

 弓月は顔を曇らせたまま、傍の柵に凭れる。


「それで水星みずほし君、話って?」


 一層沈んだ表情で、機械のように声を出す弓月。


 きっと、そういうことなんだ。


 夜空で、星の光が月光に勝つことが無いように。

 俺もまた、弓月には勝つことは無い。


 でも、勝てなくてもいい。

 三日月が美しく在る最中さなか、きっと星が傍で目映まばゆきらめいても、いいよな?


「弓月に提案がある」


 ポツリ、と頬に雨粒が優しく跳ねた。


「この勝負、引き分けにしないか?」


 俺の言葉がゆっくりと弓月に染み渡り、弓月はゆっくりと顔をほころばせた。

 そしてにやりと笑う。今日ばかりは悪魔のような笑顔だった。


「やっぱり、水星みずほしくんは私には勝てないんだね」


 飛び跳ねるような声音でそう言った弓月は、俺の隣のブランコに座った。

 またポツリと雨が俺の手の甲に当たる。


「違う。別に勝てなくてもいいって分かったんだ」

「何それ、負け惜しみ?」

「……かもな」


 俺は大地を力強く蹴ってブランコを揺らす。

 弓月もそれに倣ってくれた。


 悲しい表情の空の下。俺と弓月は二人揺れている。


「そんなに引き分けにしたいんだ?」

「……ああ。引き分けがいい」

「そっか。それじゃ、言うことがあるでしょ?」


 ぴょんと優しく弓月がブランコから飛び降りて、未だに揺れる俺に近づいてきた。

 俺も足でブレーキをかけて止まる。


「ほら。引き分けにしたいんでしょ?」


 弓月は両手を背に回し、ブランコに座る俺の顔を覗き込んできた。


「そうだな」


 遂に雨を降らし始めた空とは裏腹の表情をしている弓月に、俺は纏まらない程重なり尽くした想いを告げる。


「俺と――」


 やっぱり俺は、いつまでも弓月には勝てないみたいだ。

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