第91話 誕生日デート8

91話 誕生日デート8



「ふぇ!?」


 正面から、細い身体を引き寄せて全力で抱きしめる。突然の俺の行動に動揺を隠さないでいるサキの事など気にせず、ただ自分の欲望に従った。


「可愛い。マジで、可愛すぎる……」


「か、かかかか和人!? ちょっと待って! まだ心の準備、が────」


「待てない。こんな場所でそんな格好のサキと二人きりなんて、我慢できるわけないだろ」


「あ、あぅ……ぅぅ……」


 されるがままに抱きしめられているサキの体温は上がっていき、やがて湯たんぽのようにぬくぬくになってしまった。


 ふと視線を横にやるとサキはもう耳まで真っ赤で、小さな耳たぶを少し指の腹で触ってみると、その身体はビクビクと震えて。身悶えながらも必死に顔を背ける。


「耳、もしかして弱いのか?」


「ち、ちがぅ。和人がいやらしい触り方、するから……んっ!」


 すりすり、すりすり。触り心地の良いふにゃふにゃな耳たぶを触りながら、俺は抱擁を続ける。


「好きだ……可愛い……」


 もう自分でも抑えられる気がしない。サキへの溢れ出る好きを抑えるなんて、そもそも出来るはずもない。


「っあ、ん……和人、ぉ……」


 だがこの暴走を止めたのは、紛れもないサキであった。


「ん、むぅ!」


「っ!?」


 俺が耳を触るのに夢中になっている隙をつき、サキは俺の唇を塞いだ。


 すぐさま口内に侵入してきた舌の感触が俺の脳内を刺激し、覚醒させていく。くちゅくちゅと唾液が混ざり合う音と、柔らかな舌の感触。加えて鼻腔をくすぐった甘い匂いと、視界に飛び込んできた蕩けたその表情。


 それらはこの狭い空間で一度に摂取するにはあまりに過多なサキ成分であり、その情報量の多さ故に、逆に俺の思考は正常に戻された。


「はぁ、はひっ……落ち、着いたぁ?」


「あ、あぁ。ごめんな、急にこんな事して」


「いい、よ。ビックリしたけど、その……嫌じゃない、から」


 唇を離し、少し息が荒くなったサキはそう言うと、次はされるがままではなく自ら、俺の胸元に顔を埋める。一瞬怖い思いをさせてしまったのではないかと不安になったが、その不安は見当違いだったようだ。


「……ありがと。いっぱい好きをもらって、嬉しかった。ちょっと、えっちだったけど」


「なっ。えっちじゃないぞ俺は。どっちかと言うとサキの方が反応的に────」


「ち、違う! 誰だって耳をあんなふうに触られたら変な声出る! 和人が悪いのっ!!」


「はいはい、分かったよ。そういうことにしておく」


 俺がそう流して頭を撫でると、サキは少し不満を露わにして見せる。だが声に出してそれ以上反論することはなく、頭を差し出していた。


 俺のシャツを掴み、ゼロ距離で擦り寄ってきて。まるでこの行為でなにかを忘れようとしてるみたいに、少し必死さが伝わってくる。


(さては耳、相当気持ち良かったのか?)


 今この状況でサキが忘れようとすることなんて、一つしかないだろう。もしかしたら何か目覚めてしまいそうになるほど、耳を触られるのが良かったのかもしれない。まあ何はともあれ今ここでもう一度触ってしまえば何が起こるかは予想がつかないから、また今度にしておこう。せっかく少し冷静さを取り戻したのだから、そろそろここから出て行かないとな。さっきまでは聞こえていたお隣さんの話し声も、今はもうすっかり消えている。


 そうだな。残りの二着の試着の時は完全にこの中に入るんじゃなくて、頭だけカーテンから覗かせるとしよう。あと二回も同じことをしていては本当にまずいからな。


「じゃ、俺は一旦外に出るな。着替え終わったら、また呼んでくれよ」


「……ん。分かった」




 俺になでなでを止められ少し名残惜しそうにしながらも頷いたサキの頭を最後にポンポンし、俺はカーテンの隙間からもう一度外を確認して。誰もいないのを確かめてから、二人きりの密室を脱出したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る