第63話 誤解と仲直り

63話 誤解と仲直り



「ただいまー、サキー」


 アイスの入った袋を手に持ち、扉を開けて家の中に入りながらそう言うと、奥の方からぺたぺたと音が近づいてくる。


「和人、遅いよぉっ! どこ行ってたの!?」


「あはは、ごめんって。それよりほら、アイスちゃんと買って来たぞー」


 靴を脱ぎ、目の前まで寂しそうに寄ってきたサキの頭をよしよししてやると、その顔には小さく笑顔が浮かぶ。


「……むぅ。寂しかったんだよ? 一人でじっと、待ってるの」


「相変わらず寂しがり屋だなぁ、サキは。よし、サッとシャワー浴びてくるから、もうちょっと待ってくれよ」


「ん、確かに和人凄い汗。……すぅ、くんくんくんっ」


「あ、ちょっ! 汗の匂いまで嗅ぐなって!」


 俺の右腕に顔を近づけ、ヒクヒクと鼻を動かしながら。サキは、きっと臭いはずの俺の匂いを嗅ぐ。サキのこの匂いを嗅ぐ習性、もし汗の匂いまで好きだと言い始めたら、いよいよフェチ的なものを通り越して変態なのではないだろうか。


「……あれ? なんか、いつもと違う」


「汗かいてるからな! ほら、もう恥ずかしいからやめっ────」


「香水の……匂い……?」


「っ!?」


 あ、待て待て待てこれやばい!? サキってもしかして匂いフェチなだけじゃなくて、ちゃんと嗅覚も良かったのか!? なんか警察犬みたいなこと言い出した!!


「しかも、どこかで嗅いだことある匂い。……あっ、これ確か優子がずっと使ってる、オレンジの香水の匂いだ」


 ダラダラと額から汗が流れ始め、サキがジト目でこちらを見つめてくると、咄嗟に俺は目を逸らす。確かに優子さんからはいい匂いがしていたし、俺も隣を歩いていて感じてはいたが……まさか、俺の服に微量に残ったその匂いを感じ、しかも何の匂いなのかまで特定されてしまうとは。


「か〜ず〜と〜ぉ〜? どういうことなのか、ちゃんと説明してほしいなぁ〜」


「な、ななな何のことだか分からないなぁ。俺はただ、大学に忘れ物を……」


「ふぅん。で、その忘れ物は取ってこれたのかな?」


「……」


 し、しまった。ダミーとして用意していた忘れ物のプリント、俺の部屋に置きっぱなしだ。


「私は家で寂しいの我慢して、ずっと待ってたのに。和人は優子と、遊んでたんだ。私に嘘までついて……」


「ち、違う! 別に遊んでなんて!!」


「優子と会ってたことは、否定しないんだね」


「あっ……」


 まずい。本当にまずい。サキさん、激おこだ。とうとう目まで合わせてくれなくなってしまった。


「……もう、いい。私部屋に戻る……」


「ちょ、ちょっと待てって! 誤解だ!!」


「離してよ! この浮気者!!」


 俺が掴んだ手を振り解こうと、細い腕をブンブンと振ってサキは抵抗する。


 きっとこのまま何を話しても、サキの誤解は完全には解けない。優子さんと会っていたことも、そのことがバレたことも、事実なのだから。


(……仕方ない、よな)


 本当はこんなことしたくなかったが、こればかりは仕方ない。このままサキに、変な誤解をさせたままにするくらいなら────!


「サキ! 俺は優子さんに、その……お前の誕生日プレゼントを選ぶの、手伝ってもらってたんだ!!」


 俺がそう叫ぶと、一瞬。サキが動揺したかのように、腕の力を緩める。俺はその隙をついてもう片方の手で持っていたアイスの袋を手放して、サキの肩を掴んだ。


「ごめん、不安にさせて。待たせたことも、謝る。でも俺が優子さんと浮気をしてたってことだけは、本当に違うんだ」


「……嘘。だって私なんかより、優子の方が、ずっと────」


「俺はサキのことが、世界一好きなんだよ! どこの誰よりも、何よりもお前のことが!! お前より可愛い子なんていないんだから、浮気なんてできるはずないだろ!!」


「っう!? そ、そんな事言われたって……騙されない、から……」


「なら!」


 俺はカバンをおろし、中から青色の綺麗な包装紙に包まれた、箱を取り出す。本当なら明日に渡す予定だったのだが、これを買いに行ったことを言ってしまったのだからもうサプライズも何もない。今ここでサキにこれを見せて事実証明をした方が、絶対にいい。


「受け取ってくれ、サキ。一日早いけど……誕生日プレゼント」


「……開けて、いい?」


「おう、開けてくれ」


 サキは俺に確認すると、破れてしまわないように丁寧に、包装紙を取り外して。中から出てきた小さな長方形の白い箱を、ゆっくりと開けた。


「ネックレス? 可愛い……」


「なら、よかったよ。アクセサリーなんて選ぶの初めてだったけど、時間をかけて……サキのために、一生懸命選んだんだ」


 それは、金属製のチェーンにイルカをモチーフに作られた、小さな飾りのついたネックレス。他のネックレスもどれも目を引かれるものばかりだったが、これを見た時、一目惚れしてしまった。


「付けてあげるから、後ろ向いてくれ」


「……うん」


サキの長い黒髪をかき分け、見えた綺麗なうなじの周りにチェーンを回して。後ろで、金具を固定する。こんなことをするのは初めてだったが、思いの外すんなりと付けられた。


「どう、だ? 気に入ってくれたか?」


「うん。凄く綺麗で、可愛くて……私には、勿体ないくらい素敵」


 胸元に降ろされたイルカの飾りを見つめながらそう言うサキの正面に回ると、それは本当に、よく似合っていた。


 見た瞬間一目惚れした、と言ったが、あれはこのネックレス自体にではない。これを付けたサキの姿を想像して、また惚れ直してしまったのだ。そしてそれは実際に見てみても、変わりはなく……むしろ想像を遥かに超えて、可愛かった。


「ごめん、和人。私変な勘違いして……」


「いいって。サキが喜んでくれて、それだけで今めちゃくちゃ嬉しいからな」


「……大事に、するね。ずっと」



 

 きゅっ、と飾りを手で大事そうに包んだサキはそう言って。本当に嬉しそうに、目尻に涙を浮かべていた。

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