アラハの事
【久しぶり! どうしてる? ツール、間に合わなかったみたいだな。余計なお節介かもしれないけど、オレも暇だし。調子、どうなんだよ。
あのさ。オレの事なんか気にしてないかもしれないけど、あの落車の事は気にするなよ。たまたまアラハが先頭の時でオレが突っ込んだ形になったけど、あれは二人のミスだから。ちょっと飛ばし過ぎてたし、オレもハイになって突っ込み過ぎてた。
自分が転ぶのは仕方ないけど、他人を巻き込むのって怖いよな。特に相手が酷い怪我したりしたら、ショック大きいし、またやってしまったらどうしようって普通は思ってしまう。
でも、仕方ない事は仕方ないんだ。勿論細心の注意を払わなきゃいけないけど。恐怖は少しずつでも自分で克服していくしかない。
あ、アラハは全然平気かもな。余計な事書いてたらごめん。
オレ、ちょっと時間掛かりそうだから、チームがちゃんと存続する為にも、復帰するまでアラハに頑張ってもらわなきゃと思って。オレが弱ってる今がチャンスだろが。
復帰したらまたエースの座を勝ち取りにいくから、それ迄は頼むぞ。】
こんな事書いたら、アラハは嫌な思いをするかな? そう思って散々迷ったが思い切って送信した。
すぐに既読マークが付いたので驚いた。普通ならトレーニングに出ている時間のはずた。ピコピコといきなり何か書いている表示が現れた。暫くピコピコが続いていたので待っていたが、それが消えた。そんな事が何回か続いたけれど、結局メッセージは入らなかった。痺れを切らしてソラからもう一度メッセージを入れた。
【慌てなくていいから。困ってなかったらいいけど、何かあったらいつでもメッセージ入れてこいよ】
すぐに既読マークは付いたけれど、返信は何も無かった。
図星だった。
あの時‥‥‥
あんなに自転車が楽しい、レースが楽しいって思ったのは初めてだったし、凄く集中出来ていた。ソラが本当に楽しそうに乗っていて、その後ろを走っていると、それが伝染してくるように楽しかった。勿論凄く苦しいんだけど嫌な苦しさじゃなかった。
ソラにオレの力を引き出してもらえているような感じがして、一緒に逃げに乗れて、そして二人になった。
あのダウンヒルも油断してたわけじゃないけど、ほんの少しだけ辿るべきラインとブレーキのタイミングがずれた。
オレのせいで、ソラはあんな風になってしまった。昨年のツールでソラが背中を痛めてから、ここまでの苦しい日々を見ていただけに、いたたまれなかった。自分がそんな風に思う事も不思議だった。倒れているソラを見て、そのショックからオレは言葉が出なくなってしまった。そして今もその状態が続いている。
言葉は嫌いだ。小さい頃から自分の心がそのまま言葉にならなくて、誤解を招いてばかりいた。喋る事が怖くて無口になった。一層の事、喋れなくなればいいと思っていたけれど、いざそうなると、喋れる事の有り難さが身に沁みた。
手術した鎖骨は問題無かったが、走る事が怖くなった。転んで人を巻き込む事が。集団走行、特に下りはあるスピード域に達すると、あの場面がフラッシュバックして、自然とスピードを緩めてしまう。「イップス」だって言われて、今は磁気刺激治療を行なっている。
ソラ、自分が今そんな状態なのに、人の心配なんてするなよ。どうして他の誰かの為になんて考える事が出来るんだ? プロとして今出来る事をやる? 自分を鼓舞して、フェイスブックページまで作って。
オレは何一つ出来ない。自分の事さえちゃんと出来ない。
ソラはカッコいいし、優しくて強い。オレは他に何も出来ないけど、ロードレースなら一番になれるかもって思っていた。ソラより先にパリでマイヨジョーヌを着る、それだけを夢見ていた。
こんなにソラを蹴落とそうとしているオレに、何でそんな優しい言葉を掛けてくるんだ? 何でオレの気持ちを察する事が出来るんだ?
あの人を見ていると、何一つ出来ないオレ自身がどんどん惨めになる。悔しくて堪らなくなる。
「すまない」の一言も言えなくて、言えなくても書けるのに、書く事さえ出来ていない。「慌てなくていいから」か‥‥‥
「今がチャンス」か‥‥‥
悔しくて堪らないけれど、憎らしくて堪らない人だけれど、せめてあの人に認めてもらえるように、今陥っている状況を克服出来るように頑張ろうとアラハは思っていた。
※イップス:精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、突然自分の思い通りのプレー(動き)や意識が出来なくなる症状のこと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます