泡沫の時
@tsueko
第1話
その日、チルリルは教会からシャスラ結晶帯を経由してメルロ区へ向かっていた。
魔物が潜んでいて、その大陸に住む人々が危険だとして近寄らない地域をわざわざ経由したのは、彼らの邪魔をしたくなかったからだった。
というのも、今日は数年に一度開催されるお祭りの日なのだ。
それは各自、普段着ない(しない)格好をして、邪悪なものを家から追い払うというもの。教会が説く教典に記された祭典ではないが、異端として扱うほど脅威は感じられないとして、黙認していた。
いくら黙認しているといえど、教会の人間がいる事でせっかくの楽しい祭りに水を差すようなことがあってはならない。だから彼女は、祭りの中心である町中から少し外れ、人気のない小高い丘の上へと向かっていった。
「いろんな格好している人がいるのだわ~」
と、少し羨ましそうに眼下で広がる、様々な衣装に身を包んだ人々にうっとりしながらぼやく。
「きゅん、きゅんゆぅ~」
彼女の肩の上にいた白い四つ足のケモノ、モケは、彼女の言葉相槌を打つように鳴いた。
派手で華美な衣装こそなかったが、品位のあるドレス、ピシッときめたスーツ、中には魔物を模したかぶりものを被った少年などもいた。
丘の上からもわかる人々の賑わいにチルリルは、顔をほころばせる。
「皆、喜んでくれて本当によかったのだわ」
つい最近まであった冒険に思いを馳せる。
最初は年が近いメリナについて行くだけだった。それが、紆余曲折を経て、教会の念願だった恵みを増やし、メルロ区を旧教会圏から教会圏へと復帰させる動きも出始めている。
ただ神に祈って、救世主を待っているだけだったらこんな結果は得られなかっただろう。
思い出にふけっていると、不意に声を掛けられた。
「こんなところで会うなんて奇遇だね、チルリル」
声の主は冒険を共にしたクラルテだった。銀髪を一房にまとめ後ろに流し、背の赤みがかった漆黒の翼を広げて、ふわりふわりとこちらに飛んできていた。
彼女は目を丸くする。
「クラルテ!? アナタこそこんなところで一人だなんて珍しいのだわっ!」
モケはチルリルの肩からぴょんと飛び降り、地に足をつけたクラルテの足元で、ゴロゴロと体をこすりつける。じゃれたいらしい。クスクスと笑ってモケをなでながら、クラルテは話し始めた。
「メリナと一緒にいたんだけど、奉仕活動と魔物討伐に続けざまに呼ばれて、そっちに行ってしまったんだ。終わったら、ここで合流しようと決めてね。チルリルも奉仕活動でここに来たのかい?」
(ギクリ)
図星だった。この日、チルリルは久々に祭りが行われるという話を耳にして休暇を取り、せっかくならと祭りに来ていた。とは口が裂けても言えない。最大のライバルであるメリナは、あちこち出ずっぱりでとてつもなく忙しいのに、自分はのんびり休暇。いくら自分から希望したとはいえ、どことなく罪悪感が芽生える。
もちろん、そんな事を知らないクラルテからの悪意のない質問に、チルリルは思わずサッと目線をそらした。
「そ、そうなのだわっ……。チルリルも、奉仕活動でここに来ていたのだわっ」
何とかその場を切り抜けようと、この場にいるのはメリナと同じ目的だとごまかそうとする。しかし、発せられた声は悲しいくらいにうわずっていた。
端から見れば、図星だとわかるくらいに。
けれども、クラルテはそれに触れなかった。
「チルリルもメリナも、とても頑張りやさんだから、最近心配になってきてね。チルリルも出ずっぱりだろう?」
「多少の無理は承知の上なのだわ。でないと、皆に会わせる顔がないもの」
今度は普通に話せたと彼女は安堵する。
「メリナと同じ事を言っていたよ。とても優しいね」
(セリフ丸かぶりなのだわーっ!?)
「あらあら、チルリルさんとクラルテさん。こんな賑やかな時に会うなんて奇遇ですね」
二人に声を掛けてきたのは、漆黒の外套にワンピース、赤いリボンを頭に巻いた黒髪の少女、異端審問官のロゼッタ。チルリル、メリナ、クラルテと共に恵みを増やすために奔走した仲間だ。
チルリルはロゼッタの姿を目にするなり背筋が一気に凍り付くのを感じる。
「ロゼッタ!? な、なんで、こんなところにいるのだわ……?」
ロゼッタは、にこやかにくすくすと笑みを浮かべながら答える。が、チルリルには含みのある笑顔にしか思えなかった。無意識に身構える。
「あら、お祭りなどと称して異教の布教なんてされたら異端審問官の名折れですので、こうして見回りに来てるんですよ? れっきとしたお仕事です」
「ロゼッタもかい。本当にあれから忙しいんだね」
「メリナさんほどでもないですよ。少しだけ落ちついたので、今日は休暇を取って、こうして見ているだけですよ?」
クラルテとロゼッタのやりとりを眺めていて、チルリルはハッと気づいた。ロゼッタの視界には自分は入っていても、会話の中には意図的に入れないつもりだ。それに正直に休暇を取っている事も口にしている。チルリルにとっては、歯がゆいものだった。
噛みつくように彼女は二人の会話に割って入る。
「チ、チルリルも同じ事をやってるのだわ。こうして困っている人がいないが探し回っているのだわ」
「ところで……、これはいったいどんなお祭りなんだい? とても綺麗な衣装を着ているけど、普段は着ないだろう?」
チルリルの勢いも虚しくさっぱり相手にされなくなってしまった。クラルテの質問にロゼッタが答える。
「数年に一度開かれるもので、様々な衣装を着て、悪魔を追い払うものだそうです。派手なものは、教会で禁止しておりますが、それ以外は皆さん思い思いの衣装を着ているようですよ」
ほう、と関心した素振りを見せたクラルテ。興味はあるのだろう。祭りに参加している人々を一通り目を凝らすように観察した。そう思うと、今度はチルリルとロゼッタの二人をじっと見てくる。
「二人は参加しないのかい?」
「お勤めがありますので」
ロゼッタの返事は早かった。
「何かあった時、皆を助けられなかったら、元も子もないのだわ」
「そうだね。二人とも忙しいんだったね」
残念だ。とでも言うようにクラルテの眉が八の時になる。
チルリルは両手をポンと叩いて、ひらめいたといった顔をした。
「あっ! クラルテが参加するのはどうかしら!? せっかくの祭り、普段着ない衣装着て、メリナをびっくりさせたら良いのだわ」
「ワタシがかい?」
チルリルの提案にクラルテは驚いた。ロゼッタの方も、小さくだが口を開けて驚いた様子を見せる。意外性だけはあったようだ。
まもなくして、ロゼッタは口を一旦閉じ、言葉を発するのに口を開く。
「ふふっ、いいですね。メリナさんの反応、見てみたいものです」
「モケはどう思う?」
足元にいたモケにクラルテは意見を求めた。一声、キューンと鳴く。声音からして、どうやら賛成のようだ。
「モケも見てみたいって言ってるのだわ!!」
チルリルはモケの言葉を代弁し、クラルテの背中を押す。
「では、さっそく衣装合わせへ行きましょう」
「でも、メリナが来たら……」
「そんなに時間はかかりませんよ」
チルリルとロゼッタは、クラルテを連れて高台を後にした。
それからしばらくして、チルリルとロゼッタは高台に戻ってきた。
「ふふふっ、メリナの驚く顔が楽しみなのだわっ」
「チルリルさん、顔に出してしまったら驚きも何もなくなってしまいます。なかなか拝見出来ないメリナさんの反応なんですから、我慢してくださいね?」
ぐいとチルリルに顔を近づけて、にこりと笑みを見せるロゼッタ。その迫力に圧され、チルリルは無言で首を縦に振った。その反応納得したロゼッタは、チルリルから距離を取る。
そのやりとりに彼女らの背後に隠れるようにして、クラルテは口元に手をあててクスクスと笑っていた。
見覚えのある背中がチルリルの視界に入る。
「メリナ、いたのだわっ!!」
チルリルの声に気づいたその背中は、くるりと振り返って、彼女達と向かい合った。チルリルは手を振りながら駆け出して、メリナに近づく。その彼女にロゼッタは顔に手をあててため息をついた。
ぽつりとこぼす。
「それじゃあ、私たちが先を歩く意味ないじゃないですか……」
クラルテの姿を隠すために自分たちが壁役を担っているのに、チルリルが前に出てしまうことで、メリナにばれてしまったら本末転倒である。
一方のメリナは目を丸くしている。自分が声を掛けるだけでこんな表情をするなんてと、チルリルは小さな感動を覚えた。
しかし、意外な反応を見せた理由は、チルリルではなくロゼッタの方だったらしい。
「チルリルに……ロゼッタ!? どうしてこんなところに。……チルリルは予想つくけど」
ちくりと最後の一言が癪に障った。いつもの意地が表に出て、口をついて出てくる。
「予想って、あ、当ててみるのだわ!?」
「あなた、休暇取ってたでしょ? 衣装までこしらえたけど教会から止められたって聞いたわ。てっきり休みであれば大丈夫なんてこじつけて、参加するものと思っていたけど。違うのね」
メリナはさらりと言いのけた。まるで台本を読むかのように、事実を言ったまでとチルリルの挑発をあしらった。
チルリルは唇を噛みしめて、反論をと考えるがまぎれもない事実を言い当てられて、言い返せなかった。負けを認めるようにがっくりとうなだれる。
「ひぐっ、あ、当たりなのだわ……。ぐうの音もでないほどコテンパンにされたのだわ……」
「でも、衣装を着なかったんですね。どうなされたのですか?」
不思議に思ったロゼッタは質問する。うなだれたチルリルは頭を上げると、ロゼッタの心を読もうとする鋭い視線と目があった。虚勢を張るつもりはなかったけれど、見透かそうとするそれを向けられるのは、濡れ衣を着せられそうで居心地が悪い。
「仕立屋さんに出して、直したものを寄付したのだわ。私は着られないのわかってるから、せめてと思って」
正直に話すと、ロゼッタの嫌な視線から解放される。
「あら、殊勝な事。チルリルさんには珍しい」
「あまり、いじらないで。これでもかなりのダメージなのだわ……。一週間は夜しか眠れなかったのだわ……」
「うふふ、それだけしゃべられれば充分です」
ロゼッタとチルリルのやりとりを横目に、メリナは周囲を見回していた。掛け合いが終わった頃合いに二人に尋ねる。
「あ、二人ともクラルテを知らない? このあたりで待ち合わせをしているんだけど」
チルリルとロゼッタが待ってましたとばかりに目を合わせ、観音開きのように二人は距離を開ける。その間から、クラルテがすっと割って入る。
「待たせてしまったかな?」
その姿はいつもの服ではなかった。黒の長いジャケットに白のシャツ、グレーのベスト。ジャケットと合わせの黒いスラックス。両手には白い手袋をはめていた。右目のあたりにはモノクルを掛けていて、腰からはチェーンがスラックスの右ポケットに向けて伸びている。クラルテの格好にメリナは、目を見開いたまま固まった。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
いわゆる執事風の服に身を包んだクラルテは、右手を胸の前にあてておじぎをする。少し目を細めて、ふわりと笑顔を見せた。さすがのメリナも動揺を隠せないでいた。
「クラルテ、一体どうしたの。その格好は何? チルリルに何か言われた? 断って良かったのに」
「ひ、ひどいのだわ!?」
一気にメリナはまくし立て、チルリルに冷たく言い放つ。クラルテは二人の間に割って入って、メリナに少し脚色を加えた簡単な経緯を説明する。
「せっかくのお祭りだからと、誘われてね。二人が衣装を変えられないなら、ワタシが着るよと願い出たんだ。まさか、ほうけるメリナが見られるとは思わなかったよ」
「ほうけるって、お嬢様なんて突然言われて、驚かない方が無理あるわよ。ロゼッタは止めなかったの?」
「ワタシは言葉の監修役ですから」
「なによ、結局チルリルとロゼッタは驚かすためのグルなんじゃない」
からかいに起こるメリナと、見たかった反応が見れて満足げのロゼッタ。少しふくれっ面になっているチルリル。三者三様の様子にクラルテはクスクス笑う。
「なんだかくすぐったいね。メリナをお嬢様呼びすると」
「あんまりふざけた事を教えないでくれるかしら」
「フフッ、一種の戯れだと思っていただければ」
ふくれっ面だったチルリルがプギーッと怒り出す。
「ズルイのだわ、ズルイのだわっ!! メリナのお嬢様なんて、とっても語呂が良くて違和感まったくないのだわ!!」
チルリルの癇癪にロゼッタは呆れ顔で返す。
「チルリルさん、アナタだって散々お嬢様呼びされてましたよね。それでも足りないんですか!?」
「ドキドキしすぎて、堪能するどころじゃなかったのだわ!!」
チルリルとロゼッタのもめる姿に、クラルテは不安そうな顔をしてみせる。
メリナはそのうち収まるでしょと小声で言うが、せっかくの四人で集まった時間がもったいないような気がしてならなかった。
スッとクラルテがチルリルの前に膝をつき、彼女を見上げる。
彼女を見上げるクラルテ。
「クラルテ……?」
「チルリルお嬢様。あまりわがままを召されませんよう。よろしいですね?」
クラルテの言葉がクリティカルヒットしたのか、チルリルはその場にしゃがんで悶えている。
「チ、チルリル……?」
大げさな彼女の様子にクラルテは、どうしていいかわからない。
「そ、そんな突然くるなんて、反則なのだわ……」
からかいモードのロゼッタがしゃべる。
「あらあら、そんなに照れなくたっていいじゃないですか」
「満足出来なかったのかな?」
「むしろ逆ですよ。もう、いいですね。チルリルさん」
コクリコクリと首を縦に振るチルリル。
「というわけで、メリナさんの相手をしてあげてください」
クラルテはメリナの元に近づいて、チルリルの時と同じように片膝をついて跪く。
「はぁ!? 私はいいわよ。クラルテも、いちいち付き合う必要ないんだから」
「メリナお嬢様、ご命令を」
「今すぐ、そのふざけた口調やめなさい。でないと、潰すわよ」
ドン、とメリナは魔力でもって握られた彼女の身長よりも数倍ある鎚を地面に叩きつける。音の大きさに驚いたチルリルは飛び起きて、正気に戻る。
「それは困るね」
メリナの脅しに物怖じせずクラルテは、スッと立ち上がって、ロゼッタとチルリルの方に向かって言う。
「チルリル、ロゼッタ。もう話し方戻しても大丈夫かな? 話しづらくて段々しんどくなってきたよ」
「ええ、充分堪能させていただきました。驚いたメリナさんもかわいかったですし」
「チルリルも満足したのだわ。でも、せっかくの衣装。これきりというのも、もったいない気がするのだわ」
「では、お祭りでお披露目した後、チルリルさん御用達の仕立屋さんで仕立て直してもらいましょう」
ロゼッタの唐突な提案にチルリルは喜んで同意するが、メリナはふざけるなと言いたげな声を上げる。
「お披露目って、このまま街の中歩かせるの!?」
「似合うんだから、構わないのだわ!!」
ふと、ロゼッタは思い出した。
「そういえば、メリナさんから聞いていませんねぇ」
「何をよ」
「クラルテさんの格好、いかがですか? 私はお似合いだと思いますよ」
一瞬戸惑うメリナ。
「お、お似合いよ、クラルテ」
「ふふ、お褒めにあずかり光栄です」
「では、参りましょう」
クラルテは、ほほえみながらメリナに言う。
「足元にお気をつけくださいませ、メリナお嬢様」
クラルテはほんのわずかな冗談のつもりでそう言った。すると、メリナは宣言通り鎚を振り上げクラルテの眼前、すんでのところで止める。
敵味方関係なく彼女は宣言すれば、容赦なく鎚を振り回すということを身をもってクラルテは理解した。
「次はないから。覚悟しときなさい」
「あぁ、すまなかった。メリナ」
「それでいいのよ」
四人は、祭りの活気の渦の中へ降りていった。
泡沫の時 @tsueko
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