第2章 ナミディアの領主

第1話 レヴィン、日常を取り戻す

 誘拐事件から時が過ぎ、レヴィンにもようやく日常が戻ってきた。

 と言っても新学期が始まってまだ三か月半程である。


 レヴィンはと言うと、学校や探求者ギルドに事情を聴かれたり、法務卿である貴族から取り調べをうけたりと忙しい日々を送っていた。

 呼び出されて何度も同じ事を聞かれるのと、休日がつぶれて狩りに行けないのとで、かなりのストレスにさらされていた。

 ついでを言うと五月病にかかっていた。

 もう六月も中旬に差し掛かったというのにである。


「学校行きたくねーなー」


 普通の五月病だけならグレンたちも活を入れるだけだったろうが、レヴィンが取り調べで苦労している状況を知っているため、あまり強く言えないところがあった。

 この中学生誘拐事件は、有力貴族の子息が巻き込まれた事もあり、国王の関心を強く惹いていた。

 レヴィンがベネディクトやモーガンから聞いた限りでは、事件の全容はかなり明らかになってきているらしい。


 学校では箝口令かんこうれいが敷かれていたこともあって当初は静かなものであったが、人の口に戸は立てられぬとは良く言ったものでじょじょに事件の噂で持ちきりになっていった。

 どうやら貴族の間では、ベネディクトが他の班員九名を先導して悪の組織を壊滅させ、その拠点から脱出したという事になっているらしい。

 と言う訳で、ベネディクトの人気は学校内外でうなぎのぼりであると言う。

 もうそのまま、あの自称神がいる天界まで昇って行ってしまえよとレヴィンは思っていたが、同時に少し同情もしていた。

 校内では男女問わず、彼の取り巻きが増えてしまったため苦労しているようなのだ。だが、レヴィンにとっては僥倖ぎょうこうであった。

 ダミーレヴィンのお陰で、レヴィンと関わろうとする者は未だ少数であったのだ。

 たまに話を聞きに来る生徒に噂通りの適当な話をしておけば、彼らは満足して帰っていく。


 噂の当事者であるベネディクトはと言うと極めて謙虚な姿勢を貫いていた。

 彼は侯爵家の嫡男で、十五歳と若い上、才能にも恵まれていた。

 それを考えれば、増長してもおかしくないはずなのだ。

 レヴィンはベネディクトの評価を引き上げた。


 そのベネディクトは周囲を自身の信奉者に囲まれていたが、彼自身はレヴィンの信奉者であった。

 彼はこれまでの二年間で生徒たちを見極めようと、じっと観察してきていた。

 それは侯爵家の嫡男と言う高い身分故の、行動原理から来るものであった。

 レヴィンの評価は魔法関連の技術は高いが、無気力で付き合うに値しないと言うものであった。しかし、新学期からのレヴィンの変わり様に加え、誘拐事件でのリーダーシップや敵との戦いを見てベネディクトのレヴィンに対する評価は一気に跳ね上がったのである。


 そして本日の最後の授業となった。

 レヴィンのいるBクラスは神代かみよの言語の授業を受けていた。

 神代かみよの言語は、古精霊ハイエルフ族の魔法言語である。

 通常の言語とは別に存在し、魔法陣を描くのに使用されている。

 この通常の言語とは違う点が、過去の世界言語の統一化の影響を受けなかったのだとレヴィンは考えていた。

 もちろん、世界言語の統一化は神の願いを叶えた報酬であろう。

 神代かみよの言語は数千年以上前から存在していたとされており、今も解析が進められている。まだまだ未解明な部分も多いようで、レヴィンとしても何とか解明してみたいと考えるようになっていた。自分の思い通りに魔法陣を描き、オリジナル魔法を創ってみるのもロマンを感じるのだ。

 レヴィンは、疲れからうとうとしてしまったものの、興味のある神代かみよの言語の授業であったため、何とか眠らずに授業を終えることができた。


 そして放課後になり、レヴィンが今日は早く帰って寝ようかと考えていると、その男は現れた。


「やぁ、レヴィン。今日も疲れたね。どこかでお茶でもしていかないか?」


 ベネディクトは、何かにつけてレヴィンのいるBクラスへとやってくるようになっていた。レヴィンとしては疲れていたのだが、無碍むげにするのも悪いかと思い、少しだけ逡巡する。

 しかし、彼が約束通り、【探知ディテクション】の魔法を教えてくれた上、秘蔵の魔導書まで見せてくれるとまで言ったことを思い出し、OKすることにした。


「お疲れ。俺は別に構わんよ」


 素直に誘いを受けるとは思っていなかったのか、ベネディクトが一瞬言葉に詰まる。

 

「ま、まさか誘いにのってくれるとは思わなかったよ……」

 

「断った方が良かったのか?」


「いいや、そんな訳ないじゃないか。嬉しいよ」


「そっか。じゃあちょっと連れを呼んでくるんで待っててくれる?」


「連れ?」


「探求者仲間だよ」


「ああ、前に言っていたパーティのメンバーだね」


 レヴィンはアリシアに向かって声を掛けようと、彼女の席に目を向ける。

 そこに目当ての人物がいないことに気が付いて周囲を確認しようとした時、隣から声が掛かった。


「レヴィン、今日は寄り道していこうよッ! あ、図書館はなしなんだよッ!」


 レヴィンは声のした方向へ向き直る。

 いつの間にかアリシアとシーンが近くに来ていたようだ。


「ああ、ちょうど良かった。今からベネディクトとお茶していくことになったんだよ。お前らも来るよな?」


「め、珍しいねッ! もちろん行くよ~!」


「ゴー……」


 二人から賛同の言葉を得たレヴィンが振り返ると、そこには取り巻き連中の顔が並んでいた。

 「え。そいつらも来んの? ちょっと多すぎない?」と喉元まで出かかった言葉を何とか飲み込むレヴィン。


 わざわざ好感度を下げる言動は慎むべきだとレヴィンは判断する。

 誘拐事件後、レヴィンはより慎重になろうと心に決めたのだ。

 そこへアリシアがずずいと前へ進み出るとペコリと頭を下げる。


「いつもレヴィンがお世話になってます」


「おい。お前は俺の保護者か。むしろ保護者は俺の方だろ」


 思わずレヴィンがツッコミを入れるが、アリシアはすました顔をしている。


「ああ、君は前にもお茶会で会ったね? アリシアさんで良かったかな?」


「はい。こちらはあたしの親友のシーンです」


「Aクラスのシーンです……」


 シーンは深々と頭を下げている。

 薄いピンク色の長い髪が床に届きそうだ。


「僕の名はベネディクト。 これを機に仲良くなれたらと思うよ」


 挨拶が一通り済んだところで、皆揃って学校を出た。

 行くのは取り巻きを含めると、八人だ。


 レヴィンは何も考えずにベネディクトの後に着いて行くと、少しお洒落なカフェに到着した。オープンテラスになっており、どこか奇抜なデザインのテーブルと椅子が目を引く。聞けば、王都在住の芸術家が手掛けたものらしい。

 しかし、今日は生憎の雨模様のため、店内でお茶をすることになった。

 八人分の席は何とか空いていたようで、全員が席に着く。

 ベネディクトに寄れば、いつもは満席の人気店らしいので運が良かったのだろう。

 レヴィンの正面にベネディクトが、そしてアリシアとシーンがレヴィンの両側に座った。もちろんベネディクトの取り巻きは、彼の隣を固めている。


「でも、今日はレヴィンとお茶ができて嬉しいよ」


 全員がドリンクと軽食を注文し終わったところで、ベネディクトが切り出した。

 その言葉にレヴィンは素直に感心する。

 感情を素直に表に出すと言うのも一種のスキルであろう。

 かと言って負の感情はほとんど表に出すことはない。

 短い付き合いではあるが、レヴィンはベネディクトが嫌な表情を浮かべたところを見たことがない。あるとすれば、メルディナの地下室から脱出した時に自分の意見を表明した時くらいだろう。

 

「そりゃどーも。でも何で俺なんかとお茶したいんだよ……」


「事件を一緒に乗り切った仲間じゃないか。それに理由は前に話しただろう?」


「皆で脱出したそうですけど、いったいどうやったんですか?」


 アリシアが会話に入ってきた。

 レヴィンは、事件の概容を知りたがる彼女に超適当な説明をした。

 地下室に閉じ込められ、皆と協力して脱出しようとしたら、街の警備隊が来て助かったとかそんな感じである。


「そりゃすごかったよ! 僕たちは目も口も塞がれ、手足も縛られていた。それなのにレヴィンはあっさりいましめを解くと、見張りを【睡眠スリープ】の魔法で眠らせて僕たちを解放したんだ」


 ベネディクトはよく聞いてくれたとばかりに興奮して語り出した。

 アリシアとシーンはその勢いに若干びっくりしたようだ


「レヴィンさん半端ないっス!」


 取り巻きその壱が本当に貴族なのか疑わしい言葉使いでヨイショしてくる。


「いや、さんとかつけなくていいから……」


 そこに注文したものが運ばれてくる。

 レヴィンが軽食に手をつけて、ホットコーヒーを飲む。

 ちなみに正式にはコーヒーという名前ではないようなのだが、どう見ても味と香りがコーヒーなのでレヴィンはそう呼んでいる。

 ベネディクトの前のめりの説明は止まらない。


「それでね! 密室だった隣の部屋に扉の手前から【轟火撃ファラ】を何発も放った上、トドメの上級魔法【轟炎爆裂ブレイズ】で何十人もの敵を一気に葬ったんだ!」


 それを聞いてアリシアとシーンは敵に同情したようだ。

 取り巻きたちも信じられないと言った感じの表情を見せている。


おにだッ! おにがいるよッ!」


鬼畜きちくの所業……」


 レヴィンは思う。

 我ながらひどい言われ様である、と。


「事件の話なんてもう飽きるくらい聞いてるだろ……」


 そんな彼らは、運ばれてきたものに手も付けずに盛り上がっている。

 レヴィンはそんな彼等をジト目で眺めながら、またまたホットコーヒーを啜った。

 その内に話題が事件のそれから世間話に移ったようだ。

 今はアリシアとレヴィンの話になっている。


「そうなの。レヴィンったら思い立ったら行動が速くってね~。でもそうなったのは新学期に入ってからだよ~。」


 やはりダミーレヴィンは魔法技術以外はてんでダメダメだったようだ。


「まぁ、春休み前までの俺は俺じゃねーからな。で? ベネディクトは俺たちのパーティに入るんだよな? 気が変わったなんてことはないよな?」


「やっぱりベネディクトさん、パーティに入るんだねッ!」


「ゲット……」


「もちろんさ。是非加入させてもらいたいね」


「俺たちの目標は世界最強だ。これは徹頭徹尾変えるつもりはねー。夏休みには魔の森にも行くつもりでいる。覚悟はできているか?」


 レヴィンの未だかつてない程の真剣みを帯びた言葉にこの場にいる全員が息を飲む。


「僕も侯爵家の嫡男だ。二言はない」


「そうか……。分かった。歓迎しよう。≪無職ニートの団≫にようこそ!」


 それからは他愛のない会話が続いた。

 卒業後の話なども出て、皆色々と考えていることが分かり、レヴィンは感心していた。貴族も大変なのだ。上流階級と言うのは伊達ではないようだ。


「貴族か……」


 レヴィンがポツリと漏らした言葉をベネディクトは聞き逃さなかったようだ。


「そうだ! またこうして皆でお茶したいよね? 次は僕の家でのお茶会に来てくれないかな?」


 レヴィンは強くなることと同様に人脈を構築する必要性について考えていた。

 大事なのはバランスだ。

 レヴィンが色々と考えている隙を突いて、彼はさらに追撃してきた。


「それに、僕も晴れてレヴィンたちの仲間になったんだ。交流も必要だろう? ね? アリシアさん、シーンさんも」


「そうだねッ! レヴィンが認めたのならもう仲間だよ~」


「是非……」


 アリシアとシーンはねー?と顔を見合わせて笑っている。

 レヴィンとしては別に断る気もなかったのだが、更に外堀まで埋められてはどうにもならない。レヴィンは苦笑いしつつも貴族のしたたかさに舌を巻いていた。


 勢いで取り巻きたちも口々に誘いの言葉を口にする。


 そんなこんなで、今回の放課後ティータイムはお開きになった。

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