3話 脱出の準備 (たとえパンイチだろうが生き延びます)
私はアンバルが置いていった荷物を、ボーっと眺めていた。
さて、これからどうやって、家族の元に帰りつこうか。
たとえどんな状況だろうが、諦めないということは、私の最大の長所なのだろう。
私が拘束されていた、いくばくかのロープは長さがさほどあるわけでは無く、使い道はあまりなさそうだった。
しかし、ミノムシ状態でくるまれていた布は、目が荒く幅は狭いものの、夜間の寝袋代わりにはなりそうだ。
他にアンバルが持っていた籠に入っていたのは、
耐久性のありそうな軽量の水筒、節約すれば3日ほどは持ちそうな、硬く焼きしめたパンと干し芋に、栄養剤のブロック。
そして何よりも、ナイフとその柄には火起こしのための簡易な発火機能がついていた。
これらは上手く使いこなすことができれば、この場所でしばらく過ごし、上手くいけば脱出、脱走ができるという可能性があるということではないだろうか。
もしかして、かつての師だったアンバルはそれを見越してこの道具や食料を用意してくれたのだろうか。
しかし、わずかな期待では確証は持てなかった。
少しの道具や食料があろうとも、この岩壁を自力で登ることができないかぎり、私のこの場所からの脱出はあり得ないのだ。
見方を変えれば、安易に死なせずに、生け贄としてこの場で限界までもがき、生命力の限りを尽くして御神体に奉納しろと、示唆されているような気もしてきた。
私は岩壁をじっと見つめる。
所々、手や足をかけられそうな、小さなでっぱりやくぼみはいくつかあるが、ここから見る限り、耐久性は判断しづらい。
思っていたより岩肌が脆くて、加重をかければ崩壊する危険性は十分ある。
また、崖は部分的に内側に反っている所が多く、ただよじ登るだけでは脱出が困難なことを示していた。
しかし、一縷の望みをかけてでもここから脱出したい私としては、万か一かの可能性にかける意思は十分にあった。
司祭達の思惑通り、安易に生け贄になどされてたまるものか。
私はまず崖の一部を、土への干渉力という特殊な力を使って、削ってみる事にした。うまくいけば、崖を登頂する時の手がかり、足がかりを作り出せるかもしれない。
しかし崖は硬く、簡単に掘り起こせるような代物ではなかった。この崖は、安易に干渉力が作用しないような構造になっているのだろう。
崖自体を細工する事を諦めた私は、硬いパンと水を摂取しながら、岩肌をどうやって登頂にするかについて、思考を巡らしていた。
とりあえず、お腹が満たされなければ、良い考えも浮かばないだろうしな。
奉納舞の前の浄めとして、一昨日の夜は水だけ。昨日からは水と栄養剤しか与えられていないのだ。
寝袋代わりの布の袋に潜りこめば、多少の防寒だけでなく虫避けにもなった。
うとうとと微睡みながら、私は私の秘密の世界、夢の国に旅立っていく。
ひたすら、岩登りの事だけを考え、できる限りの情報を夢の国でかき集めていった。
情報とは、夢の国で岩登りをする実践者や観察者に憑依して、実際の感覚を体得する事だ。
憑依といっても、取りついた相手の行動や五感を追体験することができるだけで、こちらから相手の行動を制御することはできない。
また、頭で何を考えているのかも分からない。
時には誰かとしゃべったり、文字を読んだりすることもあるが、私のいる世界とは言葉が違うので、私には意味が分からない事が多かった。
いつもは実践者を見つけて憑依するのも、経験の豊富そうな対象者を選択するのも、五感を詳しく感じられるまで同調するのも、かなり骨が折れる事なのだが、今回は命がかかっているためか、比較的容易に経験を積むことができた。
生け贄としての舞台に放置されてから2日後、食料も乏しくなるころ、私はようやく岩壁を登って脱出しようという決意を持った。
これ以上この場にいても、筋力も体力も落ちる一方だし、雨が降れば登頂も困難になる。
今日は風も弱いので、登るのであれはまさに今だ。
本来、私の岩登りの経験としては、幼少期に兄に見守られながら、小さな岩場や木によじ登ったことくらいだ。
しかし、神殿で祈神舞を学びながら、日々アクロバティックなダンスを踊る中で、片手倒立や懸垂、ロープに足の指をかけて支えたり、指で身体を一瞬持ち上げる所作を行うことも珍しくはなかった。四肢や体幹の筋力、バランス感覚はかなり鍛えられているはずだ。
さらに、夢の国で技術を体得する中では、ほとんど手や足をかける場所がない岩壁や、登頂するのにとんでもなく時間がかかる難所に挑戦している人が何人もいた。
それに比べると、この岩壁にはまだ比較的凹凸もあり、高さもせいぜい15mくらいだ。
ただ、いきなりの本番だ。転落したとしても、誰も助けてくれるわけではない。
ええい、ここまでくれば後は度胸だ。
司祭達の思惑通り、生け贄として命を散らすか、何としてでも生き延びて、両親や兄達の元に帰るか。
私はまず髪に編み込まれていたヒラヒラの頭飾りをもぎ取った。
額の上にくるように装飾されていた赤い宝石は、売ればお金にはなりそうだったが、下手に足がつくのもいやなので、舞台に八つ当たりで叩きつけた。
次に私は衣装の邪魔な袖や裾をナイフで切り落とした。
どうせ誰かが見ているわけではないはずだ。
アンバルが話していたところでは、生け贄が捧げられる現場は神聖で、直に目撃する事は神に対する冒涜になるので、監視装置等は特につかないらしい。
誰も見ていないのなら、パンイチだろうが全裸だろうが、気にする者はいないだろうし、肌が岩に擦れて怪我をしない程度のものを身にまとっていれば十分だろう。
悩んだのは、余ったパン、水筒、靴にナイフをどうするかだ。
崖を登りきったとしても、今後生きるために必要になるはずのものは、何とか持っていかなければはならない。
今は小川や滝があるので水はすぐに補給できるが、今後水の無い場所では水筒は重宝するだろう。
水筒の中身は飲みきって少しでも軽量にした。
靴はダンス用の柔らかい革と布でできた代物だが、岩登りの時は足の趾も有効に使うために裸足になったほうが良いだろう。
しかし森を歩くためには、耐久性は乏しかろうと靴は絶対必要だ。
ナイフは言うまでもなく、今後生き延びるためには生活必需品になってくる。
私はまず、余った帯とロープでベルトを作成した。
ナイフは絶対に落とさないように、ロープで首から下げた上に、ベルトに差して、身体に厳重にくくりつける。
必要品を詰め込んだミノムシ袋は小さくたたみ、私の背中にロープで縛りつけた。
午前中の、まだ日が高く登りきっていない頃、私は自分自身の生存をかけて、決意を持って、これから登ろうとする崖を見上げていた。
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