2話 御神体への奉納舞

 私に続いて、しなやかな動作でロープを伝って降りてきた小柄な男。

 私の祈神舞の師でもあるアンバルは、普段の祈神舞のアクロバティックな動きで慣れているだけあって、ロープを降りる動作にも、むだな動きはみじんも感じられなかった。


 彼は、袋に入れて舞台上に転がされている私には見向きもせずに、まずは、小さな帚のような物で舞台上の塵や埃を払い、白い系統の石で輝く舞台を浄め整えた。


 おそらく数日前に磨きあげられたような滑らかな石の舞台だったが、風で飛んできたのかいくばくかの落葉や土埃は積もっているようだ。



 舞台を清め終わると、ようやく、彼は私を包んでいたロープと布を、ナイフを使って手早く剥ぎ取り、手枷を外した。そして、何も言わずに髪や衣装を細かく点検しはじめるのだった。


 髪の流れや衣装のひだの重なり具合など、細部まで点検していくその手慣れたしぐさからは、今回彼に裏切られるまでに、共に過ごしてきた長い年月の中での、彼の優しさや温かさを連想してしまった。


 私が彼の弟子になった頃からずっと、安全に配慮しながら訓練を積み重ねるよう指導をされただけではなく、時には手取り足取り、動きの補正を行い、舞台前には人前に出すのにおかしな部分がないか詳細に確認するなど、細部にわたって私のフォローをしてくれていたのだ。


 そういった彼との、やりとりを思い起こしてしまって、私は思わず涙をこぼしそうになった。


「おい、泣くんじゃない」

 アンバルは低い小さな声で素早くささやく。


「涙は縁起が悪い。御神体が機嫌を悪くするぞ」


 その言葉で、何だかふいに感情が白けてしまった私はそれ以上涙を流すのをやめた。


 アンバルは私から脱がせた袋と切り取ったロープを、無造作に崖の奥の少し窪んだ隅に置き、持ってきていた籠とナイフも一緒に重ねて置いていった。


「うまく滝壺に飛びこめなかったら、このナイフで血管を切って、祭壇に血を捧げても良い。

 お前なら、どこを切れば効率良く御神体に奉納できるかは分かるだろう」


 そして最後にアンバルは、


「今からは、お前のやりたいように、自由に過ごすといい」

 と、小さな感情のこもらない声で呟くと、降りてきた時と同様に、身軽にロープを伝って登って行ってしまった。


 ロープはすぐに引き上げられ、崖の壁面にある舞台には私1人が取り残された。


 しばらくすると、細いロープの先端に小さな籠が取り付けられ、私の頭上にするすると降ろされた。

籠は頭上3mほどの高さにあり、背を伸ばしても、限界まで飛び上がっても届きそうにない。


 籠からは、瞑想室で嗅がされるような甘くてやや刺激的な香の匂いが風に乗って漂ってくる。

 幻覚を伴う効果のある香だが、避けようがない。濃度も室内で使われるよりはかなり濃厚そうだ。

 仕方なく香りを吸い込んでしまうと、いつもの香を嗅いだ時のように、まるで夢の中にいるかのように、頭がぼんやりとしてきた。


 しばらくするとさらに籠からは、舞の音楽が聞こえてきた。


『うん、つまりこれに合わせて踊れってことだよね』


 3ヶ月ほど前から仕込まれていた奉納舞。

 まさか自分が生け贄にされるなどとは夢にも思わず、夏至の日に捧げられるという特別な踊りの演者の候補として選抜されて、習得するのに夢中になっていた。


 大地を踏み破るように力強い、リズミカルで複雑で激しいステップを石の舞台の上で軽快にも、重々しくも途切れ無く舞いつづける。

 舞の合間には、しなやかに左右にうねるような体幹や上肢の動きに加えて、バランスを取りながら静止したり、高度なジャンプや旋回が不規則に幾度も入る。

 これらの動きは、大地の鳴動、小川や大河の動き、風雨の様子を表しているという。


 踊る時には、大地の神に畏敬と感謝の念を込めつつ、自分自身も神の使者になったような威厳を纏って踊らないといけないと、何度も指導されていた。


 冷静に考えれば、今の状況で舞などしている場合ではないのだろうが、香の影響なのか頭が朦朧としている。


 さらに、舞台と音楽があれば、自然に身体が反応してしまうというのは、この数年、舞手として日々をすごしてきたことによる習性ともいうべきものなのだろうか。


 私は、この先の運命も忘れて、恍惚の中でひたすらにステップを踏み、旋回し、跳躍をする。


 舞台の縦幅は狭い。

 最後にひねり付きの宙返りでフィニッシュを決めるはずだったが、本当にやるとまともに滝壺に転落すると思いいたって、高めの開脚ジャンプで代用した。



 踊りが終了して、息継ぎをしながら少し我に返った私は、自分が踊った舞台を見つめ、奉納舞について思い返していた。


 これはおそらく、香と音楽の影響をまともに受けてトランス状態のままだったら、自覚の無いままに滝壺に身を投げて生け贄としての役割を全うしていたのだろう。


 しかし、私は最後に冷静さを取り戻してしまった。

 これは、幸なのか、逆に不幸と言うべきなのか。


 こういう事態を見越して、アンバルはナイフを置いていったのかなと思いながら、私は神殿のやつらに思うように操られている自分に、ひどく悔しさを感じる。


 踊り終わった後の疲労感と、誰かにあやつられているという感覚の虚脱感を感じながら、私は項垂れながらとぼとぼと、アンバルの置いていった荷物の方に向かって行った。

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