終わりは始まり

「……そう、か」


 文官が読み上げた、帝都ていとからの手紙の内容に、唇が震える。


 八都はちとを統べる『神帝じんてい』の地位にいた、北向きたむくの老王セルジュの又従兄弟であるリュカが亡くなったという早馬が来たのが、十日前。そして、リュカの宰相であり生前のリュカをずっと支えていた、やはりセルジュの又従兄弟であるサシャも、亡くなってしまったというのが、文官が読み上げた手紙の内容。


 ゆっくりと、頭に宛がわれている柔らかな枕に後頭部を埋める。脳裏を過るのは、いつもあちこちを跳ね回っていた幼い頃のリュカの、かつてのセルジュと同じ色をした髪と、いつでも物静かだったサシャの白い影。


 サシャは、古式に則ってリュカを弔い、その内容を後世に伝えるために記録するよう帝都の文官に指示した後、眠るように息を引き取ったという。責任感に溢れたサシャらしい行動だ。文官の報告内容を思い出し、セルジュは微かに首を横に振った。自分の命も、長くはない。豪奢なベッドに横たわる、自分自身のものとは思えない萎びた身体を見下ろす。やるべきことは、やっておかねば。


「……ユーグ」


 薬湯入りの器を差し出す細い手の持ち主に、静かに声をかける。


「次の神帝候補を選ぶ準備を、頼む」


「はい」


 星からの預言を王家に伝える役目を担っている、北向の星読ほしよみの長であるユーグは、サシャの母方の叔父が引き取った漁師の孤児であり、セルジュの文官長であったクリストフの息子。ユーグ自身が調合した薬湯が入った器をセルジュの手にしっかりと乗せてから頷くユーグに、庶民の生活にも目を向けるよう事あるごとにセルジュに文句を言った型破りな文官長の影が重なる。その文官長クリストフも、既にこの世にいない。だからこそ。老王セルジュが療養する、王宮の奥にある小部屋を出て行くユーグの、おっとりとした背中に再び頷くと、セルジュは手の中の器の中身を全て呑み干した。ユーグと、セルジュの兄の息子である若王オーレリアンに任せておけば良いことは分かっているが、それでも、最低限、次の神帝候補が誰であるかは見届けておきたい。




 何も無い空間に佇んでいる自分に、驚く。


 ここは、どこだ? ぐるりと辺りを見回しても、見えるのは、白っぽい空と、白っぽい地面のみ。本当に、ここは、どこだ? 小さな唸り声が、セルジュの口から漏れた。


「セルジュ!」


 跳ねる声で、我に返る。


 振り向くと、白っぽい地面に敷かれた白い道を、セルジュと同じくらいの影がセルジュに向かって走って来ているのが見えた。その後ろには、セルジュより少しだけ小さい白い影も見える。


「ぼくたち、先に戻るね」


 セルジュと同じくらいの影、濃い金色の髪を揺らすリュカの腕が、セルジュの腕をぎゅっと掴む。


「セルジュを待った方が良かったかもって、サシャ、言ってたけど、……頼まれたから」


 そう言って顔を上げたリュカの視線の先にいた、白い影、サシャが、セルジュに向かって頭を下げた。


 戻るって、……どこに? セルジュが目を瞬かせる前に、サシャとリュカに似た影は、セルジュを通り越し、白い道の向こうに見えた小さな聖堂の中に入っていく。あの聖堂は、……見覚えがある。確か、北向にある唯一の都、北都ほくとの下町、湖に面した港の近くにある聖堂。


 二人の影を追って、聖堂に辿り着く。


 半開きになっていた扉から中を覗くと、二人の若人が、聖堂の内陣に向かって歩いているのが見えた。若人の一人には、見覚えがある。セルジュの長男、今は北向の北の端を守っている息子の息子、バティスト。確かバティストは、自由七科を修めて白竜はくりゅう騎士になるために帝都に留学していたはず。それが何故、北都に?


「セルジュ陛下!」


 若者の声に、我に返る。


「ヤン、か?」


 大写しになった、若い近衛隊の一人の顔に、セルジュは唇を歪めた。とにかく、確かめねば。


「今すぐ、港側の聖堂に行ってくれ、ヤン」


 目の前の近衛兵に、素早く指示を出す。


「バティストが居たら、ここに連れてきてほしい」


 幸いなことに、ヤンとバティストは、同じ師匠に武術を教わった仲。ヤンの言葉なら、頑なな部分があるバティストも聞き入れるだろう。老王の小さな声の指示に、ヤンは目を見開き、しかし素早く部屋を出て行った。


 次は。


「ユーグを、呼んできてほしい」


 側にいた別の近衛兵に、掠れた声で指示を出す。


 出て行った近衛兵は、ヤンがバティストとその配偶者をセルジュの部屋に連れてくるのとほぼ同時に、ユーグを部屋に連れてきた。


「ユーグ」


 俯く配偶者を庇う姿勢を見せているバティストを見やってから、ユーグの方に顔を向ける。


「どうだ?」


 セルジュの意図が分かったのだろう、ユーグはセルジュに頷くと、バティストとその配偶者に正対し、そして大きく頷いてからセルジュの方に身体を向けた。


「お二人の両方に、お子が宿っております」


 普通なら、契りを結んだ二人のどちらかに子供ができる。それが、自然の摂理。しかし契りを結んだ二人の両方が子供を宿すことも、特に北向王家では時折起こること。


「お一人は神帝に、もうお一人は王になられることでしょう」


 おそらく、子供の一人はリュカ、もう一人はサシャの生まれ変わり。ユーグの言葉に頷くと、セルジュは、苦しくなった息を吐いた。


「リュカとサシャ、そう名付けなさい、バティスト」


 咳き込んだセルジュに、バティストとその配偶者が固まり、そして戸惑うように頭を下げる。


「二人と子供達を、守ってほしい、ユーグ」


 枕に頭を埋めたセルジュを気遣うユーグにそれだけを頼むと、セルジュは再び、あの白い空間に戻った。


 今度は、誰も居ない。


 大丈夫だ。空虚を覚え、息を吐く。自分もまた、あの場所に戻る。それが、神の摂理。ゆっくりと目を閉じると、意識も静かに、白の闇へと溶けていった。

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