第4話 オスカーという男


「アイザック! アイザックいるんだろ! 起きてくれ!」


 俺の生活拠点でもある宿屋兼酒場「火吹酒と魔法使い亭」の一室に緊急事態を思わせるけたたましいノック音が室内に響く。

 なんだよなんだよ誰だよ! こんな朝っぱらからなんなんだよ! 俺は宗教なんか興味ねえんだよ!

 こんな気持ちのいい朝に打ち付けるかのようなノック。トラブルに決まってる絶対そうだ。

 例えトラブルじゃなかったとしても開けねえからな俺は!

 ベッドの上で寝返りを打ち枕を頭に巻き付かせて少しでも無礼な音を遠ざけ、もう一度夢の世界への旅立ちを試みる。

 待っててくれよマイフェアリー。今行くから。


「アイザック! 本当に緊急事態なんだ! 開けてくれ! 僕だ! オスカーだ!」

「んあ……オスカー? オスカーって……オスカー?」

「そうオスカー! オスカーのオスカーだから開けてくれって!」


 声の主はあのオスカーだった。

 慇懃無礼にして冷静沈着なあのオスカーがこれほど取り乱すとは、これは余程のことだ。

 ますます扉を開けたくなくなったよ。

 が、旧友がわざわざ訪ねてきてくれたんだ。それも尋常じゃない様子で。朝一から本気ノックと来たもんだ。

 流石に迎えてやらねばなあ……


「わかったわかった! 今開ける! 待っててくれ!」


 俺は重たい目をこすりベッドから身を起こす。


「……うん?」


 何かおかしい。風邪でも引いたか?いや、身体は至って健康だ。だが何かがおかしい。

 まるで体に見えない鎖が幾重にも巻かれているかのように動きが、挙動が重い。動きにキレがないのだ

 まさかもう年か? いやいや俺はまだ二十五歳だ。

 まだまだピチピチだ。誰がなんと言おうとピチピチなんだ。

 実際のところ若いとは言えないがかといって耄碌もうろくする程の年じゃないはずだ。

 何か不思議なボヤけた感覚に不信感を覚えつつも俺は自室のドアを開ける。

 ドアの後ろには過去のパーティメンバーだったハーフリングの盗賊、オスカーが立っていた。


「おうおう久しぶりだなオスカー。一年ぶりってとこか? 懐かしいな」

「ああ、ああ久しぶりだなアイザック。こんな朝早くからすまないな。無礼なのは百も承知だ」

「いやいいよ。お前がとっても無礼な奴なのは百も承知だ」

「相変わらずだな。いやとにかく上がらせてもらうよ」


 オスカーは息をゼエゼエと吐き出しながら俺の部屋へドタドタと足音を鳴らしながら入ってきた。

 ん? こいつってこんなに足音がうるさかったか? もっとこう……というよりこいつが足音を鳴らした瞬間を俺は見たことも聞いたこともないぞ。

 盗賊ムーブが染み付いてる奴なはずなんだがなあ。もしかして一年見ない間に鈍ったのかな?

 それにどんなに体を動かしても息を切らすような男じゃなかったはずだ。

 オスカーを見ると汗だくでゼエハア言っている。なんとも不自然だ。こんなオスカーは初めて見る。


「湯も沸かしてなくてな。お茶も出せなくてすまん。今から沸かすよ」

「いやいい。こんな朝早くからの来訪に完璧な応対を求めるほど僕はバカじゃないよ」


 俺が一年ぶりに出会った旧友オスカー。

 透き通るようなエメラルドの瞳に美しいややウェーブがかった金髪。

 一見すると人間の美少年なのではと勘違いしてしまうほど整った顔は相変わらずだった。

 もしかしてハーフリングという種族は不老不死なのではないかと錯覚するほどにこの男は年齢による老化が見られなかった。

 本当にこいつ出会ったときから変わらねえなおい。

 本人は二〇歳と言っているが一五歳でも通じる容貌だ。一年経った今でもそう思うよ。


 そんなオスカーは盗賊と錬金術師のマルチクラスだ。

 大抵の冒険者は専門職。つまり何かの職業を一心に極める道を歩む。

 それをシングルクラスと言う。俺もシングルクラスだ。

 オスカーも元々はシングルクラス。錬金術師一本でやってる冒険者だった。

 この世の謎を解き明かすのに錬金術師としての技術と知識は最適であり、その為に錬金術師としての道を歩むことに決めたと出会った当時のオスカーは言っていた。 

 しかしこいつの好奇心と知識欲はとどまることを知らず、とある思想に行き着くことになる。


「国や教会、人々の秘密は錬金術師の技術だけでは解き明かせない」


 国が禁制している書物、教会が保存している聖遺物。そのような御法度ごはっとの品々を研究する為には盗賊のスキルが必要であることを悟ったのだ。

 そうしてオスカーは盗賊とのマルチクラスの道を歩み始めたってわけだ。なんと自分勝手な!

 こう言うとマルチクラスってすっごく便利じゃんって聞こえるけど実際の所そんなうまい話じゃあない。

 大抵のマルチクラスはどっちつかずの中途半端な器用貧乏職に陥ってしまうのだ。

 例えば戦士と魔法使いのマルチクラスはメジャーな職業なんだけども実際はショボい魔法しか使えないショボい戦士。これが現実。

 酒場で『俺……マルチクラス狙ってみようと思うんだ……』と相談して『バカなことは考えるな!』と止められている冒険者を過去に十回以上は見てるよ俺。

 そんなわけでよっぽどどちらにも才能がなければ開花することがないのだ。


 だけどもこのオスカーという男は盗賊としての才能も憎たらしいことに一級品なわけで

 錬金術師の知識から生み出された毒や爆弾。それらを盗賊の技能で活用するという完璧野郎になっちまったのだ。

 もちろん索敵、鍵開けなどの盗賊技能も一流品。

 性格はやや頑固で無礼な一面もあるが冷静沈着で戦闘でも非戦闘時でも、それこそ冒険ではなく友人としても頼りになる奴だ。

 そんな冷静沈着なオスカーが今では呼吸は荒く、なりふり構わず走ってきたのか、せっかくの美しい髪もクシャクシャだ。

 なんとも異様な光景だよ全く。


「アイザック。本題に入っていいかい?」


アイザックが神妙な面持ちで話しかけてくる。


「ああ。お前が旧友と親交を温めに来るようなハーフリングじゃないのは知ってるよ」

「それなら話は早い。なあアイザック。君はさっき起きたばかりだよね?」

「ああ。お前の素晴らしいノックで目が覚めたばかりだよ。まだクソ眠い」


 実際あのノックは目覚ましとしては最適だ。睡眠の魔法を掛けられてもオスカーがいれば安心だな。おっと、ドアと部屋が必要か。


「なあアイザック。君は起きた時に、自分の体調に違和感を覚えなかったかい?」

「た、体調に違和感?」

「体調……とは違うな。体の動きのキレとかそういう話だよ」


 嫌な予感、悪寒が背中を駆け巡った。まるで死刑宣告を待つ囚人のような気分だった。

 オスカーの言っていることがピッタリ当たっているからだ。

 俺の表情に合点が言ったのか、オスカーは半ば諦めたような、悲しげな表情を浮かべながら続ける。


「その顔を見ればわかるよ。やっぱり君もか。いいかい落ち着いて聞いてくれ」

「ああ、ああ落ち着いてるよ。続けてくれ」

「僕も、僕もそうなんだが……ああ、結論から言おう。ゴマカシは無しだ。君は……レベル1に戻っている」

「……は?」

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