拝読しました。
「むかし、時間の一秒目が始まったとき〜」という一文がなかなか詩的でかっこいいと思っていたら、きちんと伏線になっていたんですね。お見事です。
それから、アイデンティティをロストすると自分の身体を得体の知れない怪物と感じるというアイデア、特に空や景色に対する感じ方が興味深かったです。
この物語は心身二元論の世界で、身は三秒後に飛んだけれど心はロストして、しかし肉体の仕組み上かりそめの心は発生し、それでもあくまでかりそめだから自己に違和感を抱くしマリオネットだとも感じるのか、とか、色々見当違いの深読みをしてしまいます。
続きを楽しみにしております。
作者からの返信
小此木さま、思いがけないお立ち寄り、本当にありがとうございます。
「後の風景」は、もう何十年ものあいだ心の内にある、いわばライフワークのような物語です。
ひとりの少年を通して世界を愛すること、失うことの哀しみをきれいごとでなく描くことがテーマで、現実と虚構が錯綜して互いを蝕み合うような幻覚世界を想定しています。パラレルワールドや異世界や精神分析夢のエピソード同士をいくら論理的に組み上げようとしても、作者自身のなかに最初から現実と幻覚の区別がないので、小此木さまのようにあれこれ模索して頂きながら、結局足場の不確かさに不安を覚えて頂ければと願っています。去年ここまで書き終えたところでピタリと筆が止ってしまいました。物語のキーマンである「友子」にどうしても心が載せられません。彼女が動いてくれないとお話自体が成り立たない存在なのに。思い入れが深ければ深いほど平凡に凝り固まって行くのがわかってしまいます。また、個々の場面のイメージを単に綴り重ねて行くだけでなく、ストーリー的なドラマ性も欲しいと感じています。ラストエピソードはもう10年以上も前に書き上っているのに残念でなりません。まぁ、根が怠け者の気紛れ屋ですので、書けないからといって深刻に悩んでいる訳ではありませんが … 。こうして不意の応援メッセージを頂くととても刺激されてしまいます。いつか続きが書けましたらまた正直な感想などお聞かせ下さい。まずはお礼まで。
編集済
コメント失礼します。車に轢かれて病院で目を覚ますと、己も他人も化け物に見える。そんなホラー要素のある幻想譚のように読んだのですが、読み直してみると「?」と考えをあらためました。病院で目を覚ました時の友也の、自分自身の描写は人間そのもの。そう思って読むと他人の描写も同様で、しまった先入観にとらわれた! と忸怩たる思いです(笑)。そうすると「Ⅲ逃げる」も単に夢ではないのかもしれない。友也の生きる小説内の現実は、どちらなのか、などと考えてしまいます。考え始めると、「後ろの風景」というタイトルの意味、友也は花束を持ってどこへ行こうとしていたのか、黒のリムジンは? などといろいろ錯綜するのですが、考えるというより小説にからめ取られる心境です。緊密な文章で綴られているからこそ、それだけ惹き込まれるのだと思います。ラストに登場した妹が、どんなふうに物語にからむのか、とても気になるところです。
この作品のコメントでなく申し訳ないのですが、私のコメントにいただいた返信で「いかに書くか」ということをおっしゃっていたと思います。私も以前に何かの本で「何を書くかではなく、いかに書くか」だ、という話を読んだことがありました。それを私は文章表現=文体のようにとらえていたのですが、それだけでなく構成も含めた「いかに表現するか」ということではないかと、作品を読んでいて感じました。
作者からの返信
@sakamonoさま、こちらにまで過分のお言葉を頂いてしまいました。
名文家の方にほめられると、さすがにちょっと得意な気分です!
人間そのものの描写であることに気付いて頂けてほっとしています。まぁ、人間ももともと怪物みたいなものですが(笑)。
この作品には、当初から単なる「読物」ではないシリアスな想いや祈りを込めたいと願ってきました。エンタメ要素もたっぷりと散りばめながら、ですが。
純文学であれ、大衆小説であれ、「いかに書くか」は本当に大切ですよね。「冬ごもり」だって、ぼくが書くときっとあんな風に魅力的にはなりません。「何を書くか」は間違いなく重要だとは思いますが、「いかに書くか」ということ自体が「何を書くか」そのものであると言いたくなることもよくあります。「神は細部に宿る」と言いますが、文芸とはそういうものでしょうか。友未が面白いと思う作品の書き手の皆様はちゃんとその事に気付いておられるような気がします。