第50話 幽霊が出たと思うきっかけは何だ?

「榎本さんと同じね」

 ということは、すでに模試や塾で忙しかったのではないか。そう思って机を見ていると、発見してしまった。模試の結果だ。悪いかなと思いつつ開いてみると、自分とは比べ物にならない高い偏差値が書かれている。だが、それでも志望校の大学はD判定。やはりT大と争って難しい大学だ。そう簡単にA判定は貰えないらしい。

「それでも英語の偏差値六十五は羨まし過ぎる。ううん、となると、勉強で疲れていてトラックに気づかなかったのかな。夕方で見通しが悪かったとしても、そう簡単に交通事故なんて起きないわよね」

 夕方は最も事故が起こりやすいという話をどこかで聞いたことがあったが、そんなに簡単に事故なんて起こらないだろう。トラックの運転手の不注意だけではないはずだ。

「薄曇りか」

 雨の降りそうな夕方を思い描いてみる。急に暗くなることもあって危険だ。もしかしたら、雨がパラパラと降っていたのかもしれない。千鶴だったら思わず空を見上げてしまう。降ってるかなと手を広げて確認してしまう。

「雨に気を取られたのかしら」

 しかし、それを道路の真ん中でやることはないだろう。千鶴がううんと首を捻っていると、さっと手から模試の結果が抜き取られる。

「あっ」

「ほう。二年の四月の段階でこれなら優秀だな」

 いつの間に戻ってきたのか、亮翔が模試の結果を見て褒めている。確かに二年生になってすぐだと考えると、D判定でも十分に届きそうだ。

「祐樹君はすでに受験のことを考えて疲れていたんでしょうか」

 それでも、事故の原因になったのではと思うと、その判定に本人は満足できていなかったのではと思ってしまう。すると、事故の詳しい状況を聞いてきたと亮翔が言う。

「信号機のない横断歩道での事故だ。相手は先ほど聞いたように無灯火、ヘッドライトを点けていなかった。これが曇り空と相まって視界を悪くし、事故に至ったらしい。互いに見えていなかったのだろう」

「でも、音は」

「祐樹君は音楽を聴いていたらしい。それで確認が疎かだったのだろう」

「ううん」

 解らなくもないが、そんな状況ならば母親の和葉があまり祐樹の死に納得できていないのも頷ける気がした。

「そう。幽霊を見たという話になるのは、祐樹君の死を母親が受け入れ切れていないためだろう。それは君の推理通りだ。そして彼が受験勉強に真面目に取り組んでいたとすれば、将来に向かって必死に頑張っていたのにと思うのも確か。そういう気持ちが、より感情として死を受け入れられなくなるんだ。俺と同じで、死んだことは頭で理解しているんだ。でも、どこかで生きていてほしいと心が願ってしまう」

 亮翔の言葉に、千鶴は胸が締め付けられてしまう。そして、今日はやけに美希のことを忘れようとしていた理由が解ってしまった。亮翔は心の中でまだ美希の死を受け入れられていない。その事実に気づいてしまったのだ。

「無理やりに受け入れても、無理なんですね」

「そうだな。もちろん、祐樹君の場合はちゃんと葬儀も、ついこの間に三回忌も済ませている。死んだことは視覚的にも理解できているんだろうけど」

 人間の脳は思わぬことをするものだと亮翔は溜め息を吐く。と同時に、亮翔は忘れていた感覚を思い出した。そうだ、脳はままならない。それがどうしても、亮翔にとって大きな壁になった。

「亮翔さん。大丈夫ですか」

 思わず大きく目を見開いた亮翔に、何があったのかと千鶴は驚いてしまう。しかし、亮翔は今はそちらではないと頭を振る。

「いや、ちょっと昔のことを思い出しただけだ。それはともかく、一体何があれば祐樹君を思い出すか。こちらが重要だ。事故がどうだったかが重要ではない」

「それはそうでしょうけど」

「交通事故はどういうケースも難しいものだよ。ほんの些細な不注意で起こってしまうんだからな。それは運転手であっても歩行者であっても同じだ。注意していても起こってしまう場合もある」

「そう、なんですけどね」

 そこまで言われると困ると千鶴は口を尖らせてしまった。確かに日々、色んな形で起こる交通事故が報道されている。その総てが明確に善悪を決められるものではないだろうことも解る。でも、同じ年齢の子が亡くなったのだと思うと、どうしても祐樹に肩入れしてしまうものだ。

「そういう気持ちも大事だ。では、質問を変えよう。同じ高校生として、藤田祐樹というのはどういう子だったか、想像してくれ」

「えっ、はい」

「天気だけじゃ駄目だ。それならば今日だけ幽霊騒動が起こった原因が解らないからな」

「あっ、そうか」

 たまたま同じ薄曇りの日。この日に事故があったと和葉は思い出したことだろう。でも、それだけでは幽霊を見ることはないはずだ。梅雨の間はこんな天気の日が多い。他の季節でも薄曇りの日はある。しかし、今まで幽霊騒動は起こっていなかった。

「音か、匂いか」

「匂い」

 亮翔の呟きに、千鶴はひくひくと鼻を動かしてみた。他人の家というのは独特の香りがする。自分の家ではないというのを強く自覚する。

 では、母親はどうなのだろうか。何か祐樹だと感じる匂いがあっただろうか。例えばそう、千鶴が父の雅志の匂いだと感じる、なんとも言えない匂いとか。

「家族にだけ解る匂いってありますよね」

「そうだな。じゃあ、もう少し話を聞いてみるか」

「ええ。この部屋を見る限り、祐樹君は運動部ではなく、大人しい感じの子だったと思いますし。それにもう受験に取り組む真面目さもあった。となれば、家にいた時間は長かったはずです」

 千鶴の意見に大きく頷き、二人はもう一度居間へと戻ることにした。

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