第15話 お嬢様の反撃

「まず香炉はお香を焚くための小さな器のことですよ。最近ではアロマブームで、雑貨店にも小さなものが売っていますよ。今度雑貨店に入った際に確認してください」

「あっ、あれか。三角錐のお香を入れて煙が出てくるやつ」

 確認するまでもなく、この間がっくんと入った雑貨屋さんにそれがあった。ああ、あれって香炉というのか。これは覚えておこう。

「ええ。厳密にはそれとは違うのですが、そのイメージで大丈夫でしょう。さて、砧青磁ですが、これは青磁の中でも最高峰と呼ばれているものです。青磁は青みがかった色合いをしているのですが、その中でも綺麗な色だということですね。正確には龍泉窯で南宋時代に生み出された様式のことを言うそうですが、単に一番上等な青磁という意味で使う場合もあるそうです。あっ、これは京極夏彦という作家が書かれた本にありました」

「へ、へえ」

 どの本に書かれていたかも覚えているのかと、千鶴はドン引きだった。しかし、綺麗な青色の、それも上等だと言われる青磁の香炉か。ちょっと見てみたかったなと思う。

「見たかったなあ」

 横で百萌も不満そうに口を尖らせた。そこまで綺麗と言われたらちょっと見てみたくなるのは誰でも同じだ。

「私も見てみたかったですね。で、それを売ってしまったと。もちろんうっかりではなく、意図的に、ですね」

 にやりと、意地の悪い笑みが亮翔の口元に浮かぶ。その笑顔はマジでおっかないよと、千鶴は注意したくなる。

「わ、私としても売るつもりは全くなかったのですが、その、現金で」

「なるほど。キャッシュでその場で支払われたことが魅力だったわけですか。しかし、この旅館は雑誌に取り上げられるほど好調ですよね。どうしてまた、お金に惑わされるようなことになったのでしょう」

 青ざめる直義に亮翔は追及の手を緩めない。敵に回すと最悪のタイプだ。千鶴はムカついても怒らせないように注意しようと心に誓う。

 が、もちろん舌打ち事件を許したわけではない。いつかは仕返ししてやる。

「その、確かに客足は好調ですが、旅館業とはとかくお金の掛かる商売でして、特にお風呂は気を遣います。露天風呂のメンテナンスに少しお金が欲しくて」

「ははあ」

「しかし、無理して借金などすると、のちのち自分の首を絞めかねない。それが頭を過っていた時に、あの砧青磁を売却してくれないかと」

「もう。そんな心配しなくても、私がちゃんとやってあげるわよ。どうして大事なものを露天風呂のメンテナンスのために売っちゃうの?」

 もそもそと言い訳するように喋っていた父の直義の言葉に、百萌が呆れたとばかりに声を上げた。楚々としたお嬢様がそう怒るというのは予想外で、千鶴だけでなく説教していた亮翔も目を丸くしている。

「いや、その」

「継ぐ人がいないのに借金できないとか、そういうことを考えていたんだとしたら、それは間違いです。私はこの望月旅館を継ぎますから」

 百萌は真っ直ぐに直義を見て告げる。直義はどうしましょうとばかりに徳義を見た。

「い、いいのか? 甘い商売じゃないぞ。それに、遊んでいる暇なんぞ一切ない、厳しい業界だ」

「ええ、それは母を見ているので百も承知です。ですが、私は母と違い、ばんばん経営にも口を出そうと思っています。ですので、そのためにも大学に進学することにしました。ええ、今決めました。勝手に家宝を売って、今度はその直後に出てきた大威徳明王に怯えていたなんて、本当にびっくりでもう」

 そこまで一気に捲くし立てたところで、百萌はふと我に返ったようだ。呆れるように自分を見返してくる父と祖父を見て、あらと顔を赤くする。

「ははっ。どうやら百萌さんの方が度胸があるようですな。どうですか?ここは若い後継者をちゃんとお育てなさい。きっと、ずっとご心配だったのですよ。だからお二人が取り返せるはずの損失のために大事な香炉を売ってしまったことに怒ったんです。まさに大威徳明王ではありませんか」

 大声で笑ってそう言う恭敬のおかげで奇妙な沈黙が訪れることは免れた。そして百萌も、心の中でずっと考えたことを吐き出せてすっきりしたのだろう。

「そういうことですから、お父さん、お祖父ちゃん、どうぞよろしくお願いします」

 姿勢を正すと美しいお辞儀を披露した。その姿はまさに若女将の姿で、千鶴も思わず見惚れてしまったのだった。

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