第3話 願孝寺へ

「えっ、千鶴、知ってるの? だったら早く教えてくれればいいのに」

 そんな千鶴の反応に、何を勘違いしたのか、琴実はそんなことを言ってくれる。

 いやいや、嘘だと言ってよ。あのお寺なの?

 まさかあのくそ坊主が真面目に相談に乗ってるわけ……ないない、マジでない。

「ひょっとして千鶴も相談したことがあるとか?」

 千鶴がふるふると首を振っているのを不思議に思って、琴実がそう問いかけてくる。

「まさか。いやあ、家の近くのお寺だからびっくりして」

 あんな奴に相談なんてするか。っていうか、舌打ちされたんだから。それも明確に。千鶴はまだまだあの一瞬の事件を根に持っているのだ。近づきたくもない。

「じゃあ、ますますラッキー。千鶴、今度の日曜日、一緒に行こう」

「ええっ。いや、そういうのは一人で行った方が」

「いいじゃん。お願い」

 琴実はぱちんと手を合わせて頼んでくる。ああ、私、墓穴を掘ったわけだ。千鶴は自分の近所だという発言を後悔する羽目になる。

「い、行きたくないなあ」

「なんで、いいじゃん。予約していくとお抹茶が飲めるらしいよ。二人分、予約しておくね」

 琴実は千鶴の心情なんてこれっぽっちも気づいてくれず、目の前で予約をしてしまったのだった。




 そして日曜日。困るくらいの快晴の空。四月末とは思えない暑い日だった。

「くうっ。大雨が降ってくれれば行かなくて済んだのに」

 玄関先で地団駄を踏もうと天気は変わらない。というか、変わりようがないほどに晴れ渡っている。千鶴は全くもうと肩を落とした。しかし、もう予約してしまっている。相談は十三時に承りますと連絡があったと言っていた。もう逃げられない。

「千鶴。何をしてるの?」

 玄関先からなかなか動かない我が子に、母の千秋が首を傾げて訊ねてきた。それに、ちょっと聞いてよと思わず愚痴を零す。

「琴実に付き合って、お隣の願孝寺に行くんだけどさ。あそこの新しいお坊さん、なんか気に食わないのよね」

「あら、そうなの。綺麗な顔のお坊さんじゃない」

 すでに千秋も見たことがあるようで、いいわよね、イケメンと溜め息を吐いている。

「顔はね。でも、性格悪くて腹黒に違いないわ」

「まあ」

 しかし娘がボロッカスに言うので千秋は目を丸くした。というわけでようやく、この半月、言うに言えなかった舌打ち事件を千秋に打ち明ける。

「どうしてかしらねえ。何か嫌なことがあったのかしら」

「でも、私の顔を見てよ」

「女の子を見て何か思い出したのかもよ。あれだけのイケメンですもの。女性関係で何かあったとしても不思議じゃないわ。若そうだし、お坊さんになったのもつい最近って感じだし、ひょっとして女性関係が拗れて世を儚んでお坊さんに、きゃっ、可愛い」

 勝手に盛り上がるのは母の悪い癖だが、よくまあ、そんな妄想が出来るものだ。娘として呆れてしまう。

「ともかく、そんな女性にだらしない坊さんに相談しても、いい答えなんてもらえなさそうじゃない」

 千鶴はよりによって恋愛相談に行くのよと付け足す。

「あら、人生相談なんてやってるのね。でも、それならば住職の恭敬きょうけいさんが答えてくださるんじゃないの? あのご住職も渋くていい男なのよねえ」

「はあ」

 住職が渋くていいかは別として、そうか。あのお寺には他にもお坊さんがいるんだ。

 それに、あの若さで住職なわけもないか。見た感じ、二十代だったし。千鶴は少し気持ちが楽になった。

「住職さんに話を聞いてもらうんだったら、まだ何とかなりそう。何歳くらいの人なの?」

 渋くていい男と評価しているからには顔見知りだろうと千鶴は訊ねる。

「五十五歳だったかしら。あの方も色々と大変なのよねえ。この先のことを考えると、そりゃあ色男君の一人でも引き受けたくなるでしょうねえ」

「へえ」

 住職情報はどうでもいいとして、五十五歳か。何だかお祖父ちゃんに相談する感じになるなあ。

 そんなことを思いつつ、ようやく願孝寺に行く決心が出来た。千鶴はスニーカーを履くと外へ出た。

 その問題の願孝寺は家から道路を渡って二筋向こうの角にある。千鶴が家の傍の大きな道路を渡ろうとしていると、向こう側に琴実の姿があった。

「遅いぞ」

「ごめん」

 横断歩道を渡りながら謝り、千鶴は琴実の服装をしげしげと見てしまった。今日もスキニーのジーンズにTシャツと、さばさばした身なりだ。一方、千鶴はフレアスカートにカットソーという、女の子らしい格好。

「ねえ。がっくんが見てたのって、こういう格好?」

 千鶴は確認とばかりにスカートを摘まんでみる。すると、そのとおりと琴実は大きく頷いた。

「もちろん私もそういう格好は好きなんだけどね。いかんせん、バスケやってるせいか背が高くて、似合わないって思っちゃうのよ」

「ううん。確かに琴実はパンツスタイルが決まってるもんね。でも、似合わないってことはないんじゃない。あっ、ひょっとしてがっくん、琴実のこういうスタイルを見てみたいのかも」

 じっと見ていて、琴実に聞かれたら誤魔化す。その理由としてぴったりな気がする。しかし、琴実は納得がいかないようだ。

「それならそうと言えばいいじゃん。付き合い始めってわけでもないのにさ。知ってると思うけど、私たち、中学の頃からだらだら付き合ってるのよ。まあ、付き合った当初は一緒に受験勉強してくれる人が欲しいって程度だったけど」

「ああ、そうか」

 すでに交際三年目か。羨ましいと千鶴は素直にそう思う。しかし、それなのにどうして今更、こんな問題が浮上しているのだろう。謎だ。

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