第49話 非常事態(春菜)
月曜日の午後四時。私は今、「スイッチ」で働いている。
最近はプロモーションビデオの撮影があり、バイトに入る日が少ない。だけどマスターの計らいで、給料はいつもの月と同じぐらい貰っている。ありがたいことだ。
「スイッチ」のアルバイトは、私と茜ちゃんともう一人、女子大生の秋穂(あきほ)ちゃんの三人で回している。私のシフトが減っている分は秋穂ちゃんがカバーしてくれていた。
今日はもうすぐ茜ちゃんと交代して、私は仕事から解放される。この後の予定は無いので、今日はじっくり小説を書くことに決めていた。
私がラストスパートで仕事を頑張っていると、不意に店の電話が鳴る。
「ありがとうございます。『スイッチ』です」
(あっ、春菜さんですか? 茜です。すみませんが、今日遅れても大丈夫ですか?)
「どうしたの? 何かあったの?」
茜ちゃんの声が深刻そうなので心配になった。
(マナがトラブルに遭って……今、マナの家に居るんですけど、少し遅れそうなんです)
「トラブルって大丈夫? 怪我したの?」
(いや、体はなんとも無いんです。でもちょっと……)
体はなんとも無いと聞いて少しホッとした。
「時間は気にしなくて良いから、後で詳しく聞かせて」
(ありがとうございます。出来るだけ早く行きます)
電話を切った後、私はマスターに事情を説明し、茜ちゃんが来るまでバイトを延長した。
午後七時になって、茜ちゃんは暗い表情で店に来た。
「今晩家に行って良いですか? そこで詳しく話します」
「分かった、待ってる」
こうして、私は茜ちゃんと交代してバイトを終えた。もちろんマスターには、女の子のことなので深く追求しないようにと、釘は刺してある。
午後十時になり、茜ちゃんが家にやって来た。
「ええっ! どうしてそんなことに……」
茜ちゃんから詳しい事情を聞いた私は絶句した。
大勢の前で、好きな男の子に対する気持ちを他人から暴露されるなんて……。愛美ちゃんの気持ちを考えたら、お腹が痛くなってきた。
「で、愛美ちゃんの様子はどうだったの?」
「もう学校に行けないって、泣いてて……」
その様子を思い出したのか、茜ちゃんまで泣きそうになる。
「そりゃそうだよね……」
「撮影も無理っぽくて、それもごめんなさい、ごめんなさいって何度も……」
「良いよ、気にしないように言ってあげて、なんとかするから」
とは言ううものの、プロモーションビデオの撮影はクライマックスを残している。これ以上愛美ちゃんを撮れないとなると、大幅なシナリオ変更が必要になってしまう。
「斉藤君の方はどうなの?」
せめて相手役の方は撮影続けられるんだろうか?
「ああ……斉藤君はどうなってるかは分かりません。気にしている余裕も無かったなから」
「それはしょうがないよ。その場に柔道部の三人が居たんだよね。浜田君に聞いてみるわ」
私はスマホを手に取り、浜田君に連絡した。
(あっ、先生、こんばんは! どうしたんですか、こんな時間に)
「今日の美術部のことで教えて欲しいの。浜田君もその場に居たんだよね?」
(もしかして、直人君と香取さんのことですか? 確かに居ましたけど……)
直人というのはカメラの子か。
「相手役の斉藤君はどうだった? 彼もショック受けていたのかな? プロモーションビデオの撮影を続けられるか知りたいんだけど」
(確かに呆然としてましたね。撮影を続けられるかは、本人に確認しないと分かりませんが)
「聞くことは出来る?」
(僕は直接連絡する方法は無いんですが、誰かに聞いてみます)
「ありがとう。でも、絶対に他の人に話が広がらないようにしてね。じゃあ待ってるから、折り返し連絡ちょうだい」
私は浜田君との会話を終えて、電話を切った。
「どうでした?」
茜ちゃんが心配そうに訊ねてくる。
「斉藤君と直接連絡が取れないの。今浜田君が動いてくれてるわ」
その後は茜ちゃんから、愛美ちゃんの様子を詳しく聞きながら、浜田君の連絡を待った。
しばらくして、浜田君から電話が入る。
(結局、斉藤君と直接連絡は取れませんでした。でも、直人君が、自分が斉藤と連絡を取るって言い出して……彼も責任を感じているんですよ)
「そうか……彼に任せて大丈夫なの?」
(直人君は、何事にも諦めずに頑張れる男です。それは僕が保証します)
ここはあのカメラ君に任すしかないか。
「分かった。信じるわ。でも愛美ちゃんの件は絶対に他の人間に知られないようにって釘は刺しといてね」
(はい、それはもちろんです)
とりあえず、斉藤君との連絡はカメラ君に任せることとなった。私は浜田君との会話を茜ちゃんに説明した。
「愛美ちゃんには連絡を取り続けるの?」
「はい、明日も家に行くつもりです」
「撮影の件は大丈夫って言ってあげてね。それと、私に出来ることがあれば、何でも言って。愛美ちゃんの気持ちが一番大切だから」
「ありがとう、春菜さん」
茜ちゃんが泣きながら抱き付いて来る。
幸いなことに商店街のお店の撮影は終わっている。プロモーションビデオとしての役割はなんとかなりそうだ。第二部として編集し、そこまでは公開しよう。最悪ラストの無い中途半端な状態のままになるかも知れないな。
「とにかく今は斉藤君と連絡を取って気持ちを確認しよう。もしかしたら、愛美ちゃんと上手く行く可能性だってあるんだから」
私は茜ちゃんの肩をポンポンと叩きながら慰めた。
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