第22話 商店街を守る理由(1)(幸也)
「おはようさん」
「おう、おはよう」
火曜の午後六時半、保が店にやって来た。今日はオブジェのモデルのイラストを引き受けてくれた、北校の片桐先生が打ち合わせで店に来てくれることになっている。保は責任者として先生に挨拶したいと、店に来たのだ。
片桐先生は茜ちゃんに頼まれたのだが、俺は無理して引き受けていないか心配している。片桐先生が優しすぎて、生徒の頼みを断り切れなかったんだったら、俺からこの話は無かったことにするつもりだった。
「店は大丈夫なのか?」
「ああ、藤本さんが残ってくれてるから。挨拶したら店に戻るしな」
保はセルフサービスの水を自分でコップに注ぎ、カウンターの一番手前に座る。
「そうか……」
保は今回の商店街改善策の責任者として、地銀の支店長さんと一緒に支援してくれる企業に顔を出したり、チラシ業者とスタンプラリーの打ち合わせをしたり、いろいろ動いてくれている。自分が外に出る分、人件費も増えると言うのに……。
「お前のとこ、人件費が増えるだろ。俺も少し負担しようか?」
「なに言ってんだよ。幸也の店よりまだ儲かってる。心配すんなよ」
「そうか……すまんな……」
言葉通りとは思えない。保も俺も金銭的に大変なのは同じだろう。だが、実際俺にそれほど余裕が無いのは事実だ。
「でも、ありがとう。そう言ってくれるだけでも嬉しいよ。会合にも出ないのに、何か始めようとすると文句を言ってくる奴らもいるしな」
頑張っている人間の足を引っ張りたい人間はどこにでも居るって訳か。自分の店の為にも良いことなのに。
「裕子ちゃんに保が頑張ってくれているって言っといたぞ」
「えっ、なんで、わざわざ言うんだよ」
保は驚いて、飲んでる水を吹き出しそうになる。
「俺に隠し事するなよ。お前、裕子ちゃんが心配だから、店を始めたんだろ? 勇一が二十歳で死んで、十年以上経ったんだ。もう自分の気持ちに素直になったらどうだ? 勇一もそれを望んでいると思うぞ」
俺はとうとう保に以前から思っていたことを言ってしまった。
保は何も返事をしない。俺の言葉に間違いがないからだろう。
「すみません、たこ焼きください」
「あ、はい、いらっしゃいませ」
女性のお客さんが来たので、俺は接客対応した。注文のたこ焼きを仕上げ、また次を焼きだす。その間、保は一度も口を開かなかった。
「お前だって、裕子ちゃんが好きだったんだろ」
たこ焼きを焼き終わり、振り返ると、保が咎めるような口調で言ってきた。
「ああ、そうだな。俺も裕子ちゃんが好きだったよ」
「えっ?」
俺が素直に認めるとは思っていなかったのか、保は意外そうな声を漏らす。
「俺も好きだったけど、憧れに近い感情だったよ。恋人同士になるとか、将来を考えるとかは無かったな。お前や勇一とは明らかに気持ちが違ってたよ」
俺は保の反応を窺っていたが、少し視線を外して考え込むような表情のままで何も言わない。
「裕子ちゃんは、お前も勇一も、どちらも好きだったんだよ。でもお前が身を引いたから、勇一と付き合うようになったんだ」
「どうしてお前にそんなことが分かるんだ」
保が怒ったように俺を見る。
「分かるよ。岡目八目って言うだろ。俺は三人のことを客観的に見てたからな。
俺は今回の商店街を救おうと頑張るお前を見て確信したんだ。保、お前は勇一の代わりに、この商店街と裕子ちゃん親子を守ろうと思っているんだろ。だったら、その正直な気持ちを裕子ちゃんにも伝えてみろよ」
俺がそう言うと、保はまた視線を外して黙ってしまう。
「……茜ちゃんは勇一の娘なんだ。今さら母親に彼氏が出来たとしたら傷付くだろ」
しばらく間を置いて、保が呟く。保は俺の言葉を否定しなかった。
「茜ちゃんなら大丈夫だよ。あの娘はこの商店街のみんなに見守られて、健康に育っている。その商店街を守ろうと頑張っているお前なら受け入れてくれるさ」
「幸也……」
保が続けて何かを言おうとしたその時、店のドアが開く。
「こんばんは、失礼します」
入って来たのは片桐先生だった。
「あっ、いらっしゃいませ。奥へどうぞ」
俺は店に入ってすぐの場所に佇んでいる先生を中へ通す。
「すみません。本来はこちらからお伺いするべきなのに。それに営業中の時間になってしまって」
「いえ、全然大丈夫ですよ。少しでも早く取り掛かる方が良いでしょうから」
本当は定休日の水曜にした方が良かったのだろうが、片桐先生がこちらの事情を考えてくれて、少しでも早くと今日になったのだ。
「初めまして。私はこのイベントの責任者で、駅前の喫茶店「スイッチ」を経営している草薙と申します」
中に入って来た先生に保が名刺を差し出し挨拶する。
あいつが名刺を作っていたとは驚いた。俺は名刺など持っていないのに。
「あっ、ご丁寧にありがとうございます。私は県立桜元北高校の美術科の教師をしております、片桐と申します」
先生は保の名刺を受け取った後、名刺入れを取り出し、自分の名刺を保と俺に差し出す。
「私は菊池と申します。すみません、名刺を作ってなくて申し訳ないです。」
「大丈夫ですよ。菊池さんですね。増田さんからも聞いています」
気を悪くしていないようで、ほっとした。
「オブジェの責任者は菊池が担当しています。打ち合わせはこの菊池として頂けますか」
「はい、喜んで!」
「えっ、喜んで?」
余りにも明るい返答だったので、保も調子が外れたのか思わず聞き返す。
「ああ、いえ、凄く楽しみなので……」
「それは良かった。それから、イラストの制作費の件ですが……」
「いえ、と、とんでもない。もちろんボランティアでさせていただきます!」
「それじゃあ、申し訳なさ過ぎます」
思わず俺も横から話に加わる。
「いえいえ、最初からそのつもりでしたから、ご遠慮なく」
片桐先生の態度はかたくなで、引き下がりそうもない。俺と保は顔を見合わせた。
「ありがとうございます。実はこちらも予算が十分ではないので、そう言って頂けると大変ありがたいです。このオブジェの除幕式には招待させて頂きますし、なにか先生のお気持ちに応えられるように考えます」
保は先生にそう言った後、同意を求めるように視線を送って来たので、俺も無言で頷いた。
「本当にありがとうございます」
俺も先生に頭を下げた。
「お気になさらずに。私もこの駅を利用しますし、楽しみにしているんですから」
北校の生徒達が言う通り、片桐先生は本当に優しい女性だ。
「それじゃあ、申し訳ないのですが、私は店に帰らないといけないので失礼します」
片桐先生に挨拶して、保は店を出て行った。
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