第三十四話「ポリグラフ検査によってあなたのパーソナリティを推定する。血圧、脳波、呼吸が記録される。あなたはすべての質問に「いいえ」で回答する必要がある」



 その日、学院内の話題はとある噂で持ちきりだった。



 怪盗騒ぎの犯人は、やはりあの男ではないだろうか。入学してから一度も授業に参加しない、透明化魔術の使い手、ジーニアス・アスタ。

 彼がここのところ姿を消しているのも、実の犯人だからに違いない――と。



 その一方で、最近体調を崩したという大富豪の令嬢、ナーシュカ・イナンナのために、一人のメイドが派遣されたという噂も流れた。

 曰く、そのメイドは思わずときめいてしまうような甘い香りを漂わせており、姿勢に寸分の隙もない。

 曰く、そのメイドは生徒会風紀委員居室を何度も出入りして、ナーシュカの食事、衣装の世話から、すべてに至るまでサポートを尽くしている。

 曰く、そのメイドの見た目は、他のものに喩えようもないほどに美しく、完璧に調和している。



 両手に包帯を巻き、スカートのくせに異様に機敏な動きを見せるそのメイドの名前は――名無しのジーニャ。











「 お 兄 様 !!」



「ここでは姉さまと言え。せっかく滋養強壮剤の効果が抜けてきて、やや前かがみであればスカートを履いても男だとばれなくなってきたところなんだ」



「それ結局ダメじゃないですか!! というかうちの妖精たちがみんなしてすごい顔してるんですけど!!」



 ああもう何してるんですかお兄様は、と半分パニックを起こしておろおろしている妹をなんとかなだめる。

 今日もまた調査の続きである。続きなのだが、今日は聞き込み調査がメインとなる。



 現在、風紀委員たちが犯行の有力候補だと目をつけている人物に直接アリバイを聞きだすのだ。そしてそれを行うのは、ターニャと俺である。

 当然、俺が普通の見た目で出歩いてはまずい。かといって透明化魔術で隠れ続けるのも、もしかしたら風紀委員らに対策を練られている可能性があるので、少々考えものであった。

 そのための変装である。それも完璧なメイドに扮することができれば、よもや俺が化けているとは連想できないはず。



 RGB成分、勾配成分、テクスチャ成分それぞれを元にしたコードブック学習で"女性らしさ"を追求。

 各座標点を回転変換する際に、ヘッセ行列の逆行列を計算することでニュートン法を実現し、さらに出力データベクトルに量子ベースレンダリングを利用することによって、ポリゴン出力時と比較してデプスソートを省いて処理を高速化させる。

 クローキング領域展開の応用で、ウィザード級ミステリアス美女の画像を体に展開し、そのメイドは完成された。



 可愛さ・美しさモデルのパレート最適解集合を演算により実現する、"可憐さ"の化け物が生まれたわけである。



 ……という合理的なアイデアなのだが、妹は全然同調してくれなかった。

 先行きにさっそく不安を抱いているターニャに、リラックスするように色々と言い含める。今度パフェをおごってやるからとか今度世界迷宮でいいお店を見つけたから一緒に行こうとかなんとか色々約束を取り付けて、どうにかターニャも落ち着きを取り戻してくれた。



(……当然、生徒会長の篠宮さんもこの聞き取り調査の対象に含まれている。俺のカマかけに引っかからなければ、あるいは)



 マナマテリアルで編まれた手袋をはめて、それを透明化させて手になじませる。今から行う実験には、この手袋が必要不可欠なのである。











 ◇◇











「私の手を握って質問に答えて。あなたのパーソナリティに興味がある。場合によっては身柄を拘束する」



「(お姉さま! そんな質問じゃ誤解されますよ!)」



「ポリグラフ検査によってあなたのパーソナリティを推定する。血圧、脳波、呼吸が記録される。あなたはすべての質問に「いいえ」で回答する必要がある。動揺を抑えようとする無意識の行動もすべて記録されると思っていい」



「(お姉さま、被験者をベッドに寝かせたまま四つん這いに覆いかぶさって、なにをするつもりですか!?)」



「今からあなたの意識レベルを低下させるために催眠状態にする。目を瞑って楽にして。そうしたら、私が耳元でずっと囁く。自律感覚絶頂反応を誘発するかすれ声で、あなたの脳を掻きまわす。生理的反応から割り出される最適なウィスパーボイスで囁き続ける。あなたは段々、抵抗できなくなる。10、9、瞼が重くなる、8、7……」



「(お姉さま、それ本当に合ってますか!? というかそれまさか……!? まさか!?)」



 何も問題はない。昔ターニャにやったことである。

 ちょっと難しい本の読み聞かせの時や、夜眠れない時、この声が抜群に効いたことは実証済みである。ターニャが五歳のころからずっと続けてきたが、いつも目をとろんとさせて聞き入っていたので、きっと間違いはない。ここに魔力を乗せて囁いたら、それは立派な詠唱魔術であり、感染呪術となる。

 相手のアストラル体と自分のアストラル体の共鳴も、この距離であれば問題なく可能である。



「(私の質問に答えて)」



 髪もかかるような距離で、吐息のような声で囁く。相手の思考と感情の情報が、俺の演算領域に記録されていく――。











 ◇◇











「あーあ、私も科学調査に興味あったんだけどなあ」



 どことなく気だるそうな表情を浮かべたアイリーンは、そのままべったりと図書館の机に張り付いてため息をついた。

 まだ呪いが抜けきらないのか、時々目をぎゅっとつぶっては、こめかみあたりを痛そうに押さえている。

 アカデミア第二図書館の利用者の生徒たちはほとんどいない。自習にはもってこいの環境。だがアイリーンは自習のためにこの図書館にきているわけではなかった。



「ねえ、アネモイ……私、こんなので八賢人になれるのかな」



「聞いてどうするのだ?」



 気落ちしているアイリーンのそばに座っていたアネモイは、詩集を広げてそれを何となしに読んでいる最中であった。

 問いかけへの答えもぞんざいで、手加減のようなものはなかった。超然とした立場からの回答。弱さに対する寄り添いというものは、アネモイの感覚にはないものである。



「『出来損ない』と言われている私には、なるならないの問題ではなく、乗り越えなくてはならない問題だ。そうでなければ、私を育ててくれた人々に申し訳が立たなくなる。姫もそうであろう?」



「……そうだね。アネモイはいつも強いよね」



「私は弱いとも」



 ちらり、と胸元のロケットペンダントに目を落としたアネモイは、少しだけ口を噤んで、とある夜のことを思い出していた。

 もっと強い人間ならば知っている。生まれつき、アストラル体の属性欠落者であり、さらには呪術形成失調症および先天性文脈逸失者という困難を抱えながら、そんなことを微塵も感じさせない突飛な少年。

 未だに詳細の分からない摩訶不思議の魔術を使う、あのどこまでも真っすぐな彼こそが――。



「私は、まだ、何も乗り越えていないのだ。私は弱い」



「……ね、ね、そのペンダントって聞いていいやつ?」



 急に話題がころっと変わる。好奇心に輝くアイリーンのその目には、ばっちり胸元のペンダントが映っていた。

 まるで獲物を見つけた犬のような変貌。昔からアイリーンはこういうところがあった。先ほどまで湿っぽかったのに急に話題が変わって明るくなる性格。武骨な気質のアネモイからすれば、心が二つあるのではないか、といつも思うような豹変である。



「……む、その」



「彼氏? ね、ね、ちょっとだけでいいからさぁ?」



「むう、何がちょっとだ、その手はなんだ」



「ふへへ」



 先ほどまでの表情はどこへやら、獲物に飛び掛かるような姿勢でアイリーンが腰を落としたそのタイミングのことであった。



 えも言えぬ存在感が、その場の意識をそこに向けた。

 図書館の入り口から、「待たせたね」と優雅に闊歩する少年が現れた。

 金髪をたなびかせる、風格ある少年。法衣を身にまとった若き枢機卿。

 謎多きその少年の名は、特級指定魔術師、ルードルフ。



「こちらから呼びつけておいてすまない。少々前の予定が押していてね」



「……へーえ」



 どうせ女の子との密会だね、と隣にこっそり耳打ちしたアイリーンは、そのまま綻びのないよそ行きの笑顔で、油断なく表情を取り繕っていた。アネモイは特に何も考えず「お初にお目にかかる。アネモイだ」とだけ短く挨拶をした。



「安心してくれ。まだ未熟な君たちを、いきなり八賢人の遺跡に放り込もうとは考えていないさ。ここに来たのは他でもない。この指輪を渡しにきただけだ」



 場を和やかす冗談のような口ぶりだったが、内容は一切にも笑えるものではなかった。アネモイとはまた異なった方向で、この少年は超然としたところがある。

 図書館の机に無造作に置かれた指輪には、それぞれ特徴的な呪文と印章が刻まれている。

 椅子に腰かけながら、ルードルフはとても単刀直入に質問を投げつけてきた。



「指輪と言えばだが――どうだね、ジーニアス君には見込みがありそうかな?」



 その問いかけの端々には、まるで獲物を見つけた獣のような鋭い気配が潜んでいた。











 ◇◇











 やがて、もう一つの噂が立ち上った。

 くらくらするような甘い香りのする不愛想なメイドに組み伏せられて、耳元で囁かれる事件が多発しているのだという。

 しかもそのメイドの発するウィスパーボイスは、脳に浸みこむような、背筋をぞくりと震えさせるような響きがあるという。

 すべては、手を握られながらの出来事である。



 つんと澄ました無表情のミステリアスなメイド、ジーニャについては、ごく一部の界隈で繰り返し熱く語られることになるのだが、それはまた別の話――。











「――それで、私にもとうとう聞き取り調査の順番が回ってきたのですね。噂は聞き及んでますよ、メイドのジーニャさん?」



 この学院では、噂がとても早く広がる。すべては噂好きの石像ゴシップストーンのおかげであるが、それにしてもこの生徒会長はなかなかに噂に敏いようであった。

 取り調べを開始して数日。

 とうとう俺は、篠宮さんと対峙することになった。



「ジーニャさんは、体調を崩したわが校の風紀委員長のナーシュカさんのかわりに、この学院の盗難事件の謎をこっそり調査しているそうですね。ナーシュカさんの直筆付きで、特例で権限委譲されていると聞いています。ですが、いかにこっそり動いていようと、私の敏感な耳はごまかせませんよ」



 そう、エルフなだけにね――と得意げに耳をぴこぴこさせる篠宮さんを見て俺は確信した。

 まさか、こんなに純真で可愛い人が犯人であるはずがない。

 背後のターニャから剣呑な視線を受けているような気がするがそれはいったん無視をする。手袋を手に取った俺は、覚悟を決めて生徒会長の前に出るのだった。


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