臨終!!黒猫死す

 人類の幸福を掲げ病をバラまいた狂人は這いつくばるクロムを見て笑った。レンドを引き合いに出して煽ったところで、魔術を封じられた使い魔など恐れる理由がない。

 光り輝く怪しげな石の力によって魔術吸収すら出来ず、さっきまでとは打って変わって強力な魔術を詠唱し始めた。倒れるクロムに回避のすべなどあるはずも無く、電撃の茨が黒猫を取り囲んだ。全身を震わせる衝撃に身悶えしながらも、必死に逃げ道を探していた。


「お前は幸福に相応しくない。なぜなら、間違っているからだ。」

「意味が分からねえな。俺に間違いなんてねえよ。」


 化け猫を維持することすら出来なくなってきており、だんだんと元々の姿へと戻っていく。そんな彼の猫姿を踏みつけさらに石を近づけた。


 全身を焼かれ、得体のしれないものが駆けめぐる。それはもはや痛みと呼ぶことすら出来ない苦痛。ゆっくりと火に掛けられたかに熱く、痛み泣く皮膚をはがされるような強烈な違和感。目で見る限りでは自分自身の体に異変がないのだ。いつも通りの、夜のように美し毛並みしか映らない。


「罪を自覚しろ。お前は間違っている。正しさを知らない歪んだ価値観の下にさらされているから、自分が間違っていないように感じているに過ぎない。わからないか?」


 脈絡のない台詞。

 Dr.ウランが言わんとしていることが全く理解できなかった。目的もわからず、心当たりもない。そもそも、ただの使い魔であるクロムに「正しさ」だとか「間違い」だとかいう感覚があるはずもないのだ。


 ただの妄言として受け取ることは容易いだろう。むしろ、その方が正しいのだ。

 人に病を押し付けて、へらへらとした態度を崩さない狂人の言うことなど無視してしまえばいい。単なる使い魔風情でも理解できる正しさは、「Dr.ウランは異常者であり、敵である」ということ。その正しささえ持っていれば、十分だ。


「けど、それじゃあダメなんだよな…。俺は、あのDr.マギカの使い魔だからよォ!!正しさの証明ってことなら、決して逃げちゃあいけないんだよ!!」


 ヘロヘロの体で立ち上がった。ぼろぼろと炭化した抜け毛が落ちていき、みずぼらしく家畜らしい姿へとなるのも構わずに、毅然とDr.ウランを睨みつける。


「俺がやるべきはお前を倒すことじゃねえ。生き延びて、レンドにてめえのことを伝える。シルヴァとスズの安全を確保する。お前から逃げることだ!!」

「いまさら僕から逃げきれるとでも?亜空間転移も封じられているのに?」


 魔力の流れを強引に弄繰り回された空間では、魔術はおろか使い魔としての存在を固定させることすら難しい。逃げようとした瞬間に捕まえられるだろう。


「これは、奥の手だ。Dr.マギカと戦うときまで覚えておいた方がいい。親切なアドバイスだ。」

「な…!?姿が消えた。魔術は使えないはずなのにどうして…。」


 付近の魔力は完全にDr.ウランが掌握している。その証拠に、右手に持った謎の石は今この瞬間も爛々らんらんと輝き続けている。

 クロムの魔力が完全に掻き消えてしまった。奥の手というからにはよほど規格外で非常識で奇跡的な魔術であるかと期待したが、完全に拍子抜けである。だが、Dr.ウランは見逃さなかった。薄暗い路地から逃げ去るように黒い何かが動いていったのを…。


「なるほど、魔術を使うのではなく自分自身の魔力を殺したのか…。」


 魔力の無い生物で喩えるのなら、自身の心臓を止めることで仮死を演じるようなもの。一歩間違えればそのまま死んでしまうのは言うまでもないだろう。特に使い魔ともなれば存在のほとんどが魔力に頼っているのだ。


「自分から魔力を無くすなんて…。死ぬのが怖くないのか!?」

「あーあ。だからダメなんだよ。簡単に騙されるな。間違ってるのはお前の方だったなぁ…。」


 Dr.ウランの背後で黒猫の声が響く。確かにクロムは路地を抜けて大通りへと走り去った。だが、それはフード越しに見た『右』ではなく『左』に逃げていったのだ。


「その石ころ、そこまで範囲は広くないみたいだな。おかげで魔術が使えるぜ?」


 声だけを残しており、クロム自身はすでに亜空間を走り抜けて、レンドのいる総合病院にでも逃げおおせたことだろう。まさしく、してやられたというわけだ。


 障害物の無い虚無の空間から飛び出し、総合病院の前までたどり着く。さすがに様々な患者がいる院内で魔術をまき散らしながら走っていくのは心が痛む。

 使い魔である証の首飾りもついているわけだから、レンドの元までは容易く行けるだろう。特に注意されることもないはずだ。


「やはり、こっちに来たか。クロム……。」

「もう追ってきやがったか…。だが、ここで何かをしでかそうとすればDr.マギカが検知できるぜ?」


 亜空間から出たのも、病院の前であればレンドの検知魔術範囲内でありDr.ウランが謎の石を使ったとしてレンドが気付いて手を貸してくれると踏んでいるからだ。

 だが、予想に反してDr.ウランに焦った様子はない。


「もういいんだ。僕の勝ちに変わりはない。予定通り、お前を始末してからDr.シンスも殺す。お前たち二人を見せしめとしてDr.マギカを失脚させる!!全ては人類の幸福のために…。」

「あ…が…?なにが、起きた…!?」


 陽炎のようにDr.ウランが揺らめいたかと思うと、その瞬間にクロムの首は飛んでいた。はるか遠くで切り離された首なしの胴体が力なく崩れた。

 それは、あまりに一瞬の出来事で…。絶対的な結界による検知魔術を張っているDr.マギカですら、ほんのちょいとばかり窓を見ただけだった。本当に、その程度。


「あとは、Dr.シンス。あの女を殺せばいい。ファス・ナチュレとリチ・ドルグはすでに仕込みが済んでいる。いつだって殺せるからな…」


 薄れゆく意識の中で、自身の頭をもってDr.ウランがどこかへ行こうとしているのがわかる。


 ゴルディアとスズと三人でパズルを解くという約束を、果たせなくなってしまったことに思わず涙した。

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