有名!!ザ・ネーム

 さっきと同じように魔術の展開された第二治療室。本来ならば患者にも魔術師にも負荷がかかるために連続治療は行われないが、男の覚悟がこと切れる前に儀式を始めたかったのだ。


「お願いします!!」

『では、魔力を流す』


 黒煙が視界を塞ぎ、目の前に影が現れる。と同時にこぶしを握り締めて一直線に向かってきた。思いきり鳩尾を叩きつけられ、壁の方まで吹き飛ばされた。だが、不思議と痛みは無い。


「日に何度も呼び出して、何のつもりだ?」

「名刺を…返せ…」

「お前が捨てたんだろう?いらないんだろう?」


 すでに影の顔には目がついている。ドッペルゲンガーに成り代わられてしまうタイムリミットが迫ってきている。言葉を誤り時間を掛けてしまえば、Dr.マギカですら治せなくなる。

 徐々にドッペルゲンガーの黒い体躯が人肌に染まる。残り五分もないだろう。


「なぁ?こう何度も呼び出して対峙しなければもう少し生きられただろう?それとも死にたいのか…?」

「ち、ちが…「違わない!!!」


 一気に男の首を締めあげ、さらに壁へと押し付ける。殺すつもりはない。ただ、名刺を奪うだなんていうバカげた考えを捨てさせるためのブラフだ。


「お前が、名前を捨てたんだよ。自分の意志で!!逃げ出したんだ。だから俺が存在する。」


 奪った。といっても、必要ないと放り出したものを譲り受けただけ。誤解を恐れずに言うのなら、ドッペルゲンガーに非は無い。むしろ、名前を蔑ろにした男の自業自得だ。

 一度捨てたものを、誰かが拾ってから返せと言い出すなど、荒唐無稽な話だ。


「名前を返せというのなら、今ここでお前を殺す。名前を俺にくれるというのなら、俺がお前として生きて、お前をドッペルゲンガーにせず名無しとして生かすこともできる。選べ!!」

「……ッ!!」


 余りに魅力的な提案。この影は自分自身で、だからこそ嘘ではないことは分かっていた。

 思わず男は歯噛みする。少しづつ首を絞める手が緩んだものの、まだ完全に離そうとはしない。彼の言葉を待ちわびているのだ。

 ほんの少し、「Yes」と返事をすれば、それですべてが済む。


「残念だけど…、断る。あの名前じゃなきゃ、仕事が出来ないから……!!」

「意地を張るなよ。あの仕事にどれだけの価値がある。ろくにお前の話も聞かず、ただ時間と体力を浪費させるだけの無駄な仕事だろう?」


 男は思い出す。ほとんどパシリ同然に扱われ、結局契約が取れなかったあの日のことを。名前を捨ててしまったあの日のこと。

 決して話下手なわけではない。だが、口が上手い訳でもない。才覚も無ければ、信念も無い。


 ただ、惰性でやっていた仕事。たまたま就職できた会社。思い入れなんてない。


「僕の名前は、仕事のためにあるわけじゃない!!その名前に誇りがあるんだ!!」


 仕事を変えろというアドバイスには素直に従おう。しかし、名前だけは譲れない。他の人から奪った名前では成し遂げられない。


「あの世で、もう一度おばあちゃんに会うために、名前が必要なんだよ!!」


 ドッペルゲンガーから名刺を取り返し、大手を振って祖母に会いに行く。せっかく付けてくれた大切な名前を背負って、人生を終えたと報告したい。


「その名前は…僕のものだ!!」


 自身の首を絞める手を掴み、引き離す。影に触れられている首元が黒く変色し、代わりにドッペルゲンガーの首が肌色に染まる。Dr.マギカの魔術によって進行を抑えてはいるものの、タイムリミットは寸前であり、互いに触れあっている部分までは魔術でも止められない。


「なら…自分の名前を言えるのか!!もう忘れたんだろう?」

「……名前を…返せ!!」


 必死に睨みつけるも、それを嘲笑う。


「ほらな。もう自分の記憶からも消えかかっている。見ろ、俺の姿もほとんどお前になったぞ?」


 呼ばれなれたはずの自分の名前が思い出せない。大切だったはずの思い出が消えていく。


「大ヒントだ!!この文字が読めるか!?」


 目の前に突き出されたのは、奪われた名刺。当然、自分の名前が書いているはずだが、その文字はぼやけて読めなくなっている。ドッペルゲンガーの小細工などではない。

 ただ純粋に、捨てた名前を記憶から捨てただけ。


「もう見えないんだろう!?自分の名前を認識できなくなっているんだ!!ざまあみろ。名前を失うことがいまさら怖いか…?それはお前自身の過ちだ。しっかりかみしめろ!!」


『―――――』


 しわがれた女の声が、誰かの名前を呼ぶ。

 目の前の影?違う。通信機越しのDr.マギカ?違う。ならば彼の娘さん?違う。第一、もう誰も男の名を覚えてなどいない。


『……ル』


 名刺に刻まれた文字は、大好きだった祖母が書いた字。彼の就職が決まる前に、名刺を作ってくれたのだ。社名や肩書きを後から付け加える、名前だけの名刺。

 魔術印刷なり機械の力でどうとでもなる。それを知った祖母が、彼の名前だけを墨字で書いてくれた。


 晩年の遺書と同時期に書いたであろう掠れた文字。けれど、味があって暖かい。


「僕の名前は…」


『ダブル…。大きくなったね…』


「ダブル・シードだ!!」


 瞬間、影の体が崩れていく。魔術的により名刺を返したからだ。名前を奪い返された以上、いつまでもダブルの姿で居られない。


「ああ、クソ…。また、失敗…か…。」


 霧が蒸発するかのようにドッペルゲンガーは姿を消す。もう二度とダブルの前に姿を現すことはないだろう。


「ドクター…。終わりました。名前、返してもらいました」

「そうか。それは良かった。おめでとう…。」


 もう少しだけ、仕事を続けてみようと思うのであった…。


 ……To be continued?











「こんなキラキラネーム!!捨ててやるわ!!」


 一人の女が履歴書をビリビリに破り捨て、川の中にばらまいた。名前も読めないほどに細切れになり、水にぬれてインクが滲んでいる。


『あーあ。もっと強く願ってくれればな…』


 見間違いかとも思える程度に、彼女の影が伸びたような気がした。けれど、それは夜道を照らす街灯の光加減によるものだろう。けして、二重の影ではない。


 はたして、本当にそうだろうか?


『もう少しで名前が奪えそうだったのに……』


 ……To be continued

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