音楽を聴かない彼と、超絶異次元ボーカルの彼女

高橋てるひと

1.彼は音楽を聴かない。

 あの瞬間を、今だって彼は覚えている。


 偶然にも、彼は道端で彼女に出会った。

 正確には、彼は彼女の歌声に出会った。


 その歌は、まるで異次元の音楽だった。


      □□□


 あの日。彼が彼女と出会うちょっと前。


 そのとき、彼はカラオケルームにいた。

 彼は別に音楽が嫌いってわけじゃない。

 だからカラオケで歌うのは苦手でない。

 ただ、特に好きでもないというだけで。


 合コンの後の二次会のカラオケだった。


 こんなときのために覚えてる無難な曲。

 そんな曲を選んで、無難に彼は歌った。

 特に上手くもなければ、下手でもない。

 そうしている内に、二次会が終わった。


 そして、解散。


 合コンの結果は彼にはわからなかった。

 大成功だったのか、大失敗だったのか。

 合コンのルールを、彼はよく知らない。

 正直、彼にはいまいち興味がなかった。


「――悪かったな。無理に来てもらって」


 と、合コンに誘った友人が言ってくる。


『あと一人どうしても必要なんだ。頼む』


 と、その友人に言われて彼は来たのだ。

 友人は変な奴だったが悪い奴じゃない。

 あからさまな人数合わせだが了承した。

 二次会に行く気もなかったが流された。


「こっちこそ、あんなんで良かったか?」


 申し訳なさそうな友人に対し彼は言う。


「たぶん人数合わせって、バレてたけど」


「いーんだよ。そんなんバレたって別に」


 と、友人が手をひらひらさせて笑った。


「向こうも人数合わせの娘が一人いたし」


「いたか?」


「いただろ。あのすげー歌上手かった娘」


「いたな」


 背の高い、めっちゃクールな娘だった。

 彼女は本当歌が上手かった。

 つい昨日までバンドをやってたらしい。

 もっとも解散したらしいが。


「あの娘ぜってー合コンとか興味ねーわ」


「まあ確かに」


「どストライクだった。めっちゃタイプ」


「そうか。そりゃあ良かった」


 どうやら、合コンは成功だったらしい。

 少なくとも、目の前の友人にとっては。

 ならば来た甲斐もあったというものだ。


「じゃ、後で連絡取るのか。応援するぞ」


「しねえよ。そんなんするわけねえだろ」


「……ええと」


 ちょっと意味がわからないので、聞く。


「……何で?」


「あのタイプの女の子はな。連絡しても」


 と、友人は首を横に振って、彼に言う。


「『あ、付き合いで行っただけなんで』。

 って言って断ってくるに決まってんだ」


「いや、別に決まってないと思うんだが」


「いや言う。絶対言うね。賭けてもいい。

 っていうか、むしろ俺が言って欲しい。

 『私、そういうの興味ないんで』って。

 蔑んだ感じの冷たい声で言って欲しい」


「いや、お前の願望は聞いてないんだが」


「そういう女の子が俺は好きなんだよ!」


「お前は一体何のために合コンしてんだ」


 悪い奴ではないが、やっぱり変な奴だ。

 そんな話をしている内に別れ道に来た。

 彼の向かう駅は右。友人の方の駅は左。

 変な奴だが悪い奴ではない友人は言う。


「悪かった。カラオケとか嫌だったろ?」


「別に」


「だってお前って、音楽嫌いなんだろ?」


「嫌いってわけじゃなくて――」


 言いかけて、ふと、彼は上を見上げた。

 何かの音を聞いたように。


「どした?」


 友人に聞かれ彼は指を上に向け答える。


「コウモリ」


 彼が指差すその先に飛んでいる黒い影。

 カラスや他の鳥とは微妙に違う飛び方。

 こんな街中のどこに潜んでいたのやら。

 コウモリたちが、夜の空を飛んでいた。


「うへえ」


 友人が気味悪そうな声を上げ後ずさる。


「さっさと帰るわ。今日はまじ助かった」


 じゃな、と告げ足早に去っていく友人。

 その後ろ姿を見送った彼はふと気づく。

 上着から、イヤホンがはみ出している。

 それはたぶん携帯端末に繋がれていて。

 暇があれば音楽を聴く。彼とは違って。


 彼は音楽を聴かない。


      □□□


 バンドを解散した、次の日の夜だった。


 彼女はギターケースを背負い外に出た。

 何となく、そうしたい気分だったのだ。

 当たり前だが、ケースがめっちゃ重い。

 それも何だかいつもより重い気がした。


『ボーカル止めてギターに専念しない?』


 解散のきっかけは、そんな一言だった。

 彼女の友人であるベースの発言だった。


『てめーふざけんな。ならバンド解散だ』


 解散の直接の原因は、その罵声だった。

 ぶちギレた彼女の後先考えない発言だ。


『別にこのバンドに未練とか全然ないし』


 捨て台詞を吐いてその場を立ち去った。

 ただし、完全にボロ泣きで走り去った。

 後でメンバーからメッセージが届いた。

 暴言を吐いたのにすげー心配されてた。


 既読スルーした。


 それが前日のこと。たぶん彼女が悪い。

 というか、ほぼ100パー彼女が悪い。

 彼女自身もそのことは自覚はしている。


 ベースの発言にも問題はあったのでは。


 そう考えられなくもないがそれは違う。

 違う。

 もう少しだけ彼女を見ていれば分かる。


 歩き続けていた彼女がふと立ち止まる。

 夜空の月を仰ぎ、そして周囲を見回す。

 そして駅前に設置されたベンチに座る。

 何やら意味ありげだが特に意味はない。

 単純にめっちゃ疲れただけだ。当然だ。


 彼女は小柄だ。というか、ちっちゃい。

 高校二年生なのに最悪小学生に見える。

 とにかくちっちゃい。こう、全体的に。

 何故か怪力の持ち主だったりもしない。

 よってケースの重量に敗れた。当然だ。


 彼女はため息を吐いた。


 ケースにもたれ掛かりつつ彼女は座る。

 それを道行く人々がちらちら見ていく。

 理由はごく単純で彼女が美少女だから。

 道行く人々が思わず振り向く程度には。


 ため息を吐き終わった。


 そして。


 彼女は息を吸い込んだ。


 深く――深く深く、目一杯に吸い込む。

 ちっちゃい美少女でも彼女はボーカル。

 次に何をするかは、当然決まっている。


 肺が吐き出した空気を。

 喉が震わせて声に変換。

 声の連なりが歌になる――はずだった。


 そうは問屋が卸さない。


 なんせちっちゃい美少女のボーカルだ。

 みんなが期待しちゃうのも当然である。

 何かこう、透明感だとか。そういうの。

 あるい逆に、魂を燃やすような奴とか。

 大穴でロックでパンクでメタルな絶叫。


 残念ながら全部外れだ。


 彼女の喉が放ったのは「何か」だった。

 シの音しか出なくなった楽器のような。

 明後日斜め四次元方向へ向かうような。

 何か冒涜的という形容詞が付きそうな。


 誤魔化すのはよそう。


 要するにド下手だった。

 才能がどうこうのレベルじゃなかった。

 個性的、なんて言葉でも誤魔化せない。

 超ド下手な歌声だった。


 これでもうお分かりいただけただろう。

 ベース担当の友人の発言は正しかった。

 むしろボーカルやってたのがおかしい。


 その歌は、まるで異次元の音楽だった。

 もちろん、悪い意味でに決まっている。

 そして歌の届く範囲に被害が発生した。


 不運にも近くにいた会社員がすっ転ぶ。

 両親に手を引かれていた子供が泣いた。

 胃にトドメを刺された酔っ払いが吐く。

 野良猫が、しゃーっ、と威嚇し逃げる。

 飼い主と散歩していた犬が吠え立てた。

 カラスたちが恐怖に慄いて飛び立った。


 一瞬で、阿鼻叫喚の光景が生まれる中。


 その歌声を、一人の少年も聴いていた。


      □□□


 その少年が、彼だった。

 音楽を聴かない、彼だ。

 友人と別れて帰る途中。


 彼は彼女のその歌を聴いた――聴いた。


 思わず彼は二度見した。

 そして、立ち止まった。

 どころか、声を掛けた。


「あの――」


      □□□


「――ごめんちょっと」


 そう声を掛けてきたその少年に対して。

 ぎろり、と。

 彼女は相手を射殺すような目を向けた。


「何?」


 幾らちっちゃい美少女でもこれは怖い。


「今の歌なんだけど……」


 と、しどろもどろになっている少年に。


「ああそうだよ! ド下手だよどうせ!」

 

 完全な八つ当たりで彼女は彼に言った。


「悪いか!」


 開き直って叫ぶが、たぶん彼女が悪い。

 普通だったら逃げ出すところだったが。

 でも、少年は踏み止まってこう言った。


「――感動したんだ」


「へ?」


 彼女は少年に対して思わず聞き返した。


「え、何それ、新手のナンパ?」


「違う」


 その少年は、真剣な顔で彼女に言った。


「生まれて初めて、音楽で感動したんだ」

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