第2話 追放2
その日は珍しく、分厚く雲の立ち込める曇天だった。
(私の気持ちと同じね)
リーザロッテは自棄になって内心で吐き捨てる。正直曇りどころかずっと心の中は大嵐だ。
昨日のパーティーでまさかの宣言を受けたリーザロッテは、家に帰ることすら許されず王宮にある独房へと拘束されていた。着ているものも昨日のドレスそのままで、食事すら出されていない。まさに押し込められただけ、という形である。高貴な身分であるリーザロッテが……というよりも通常の犯罪者ですらもうちょっとましな扱いを受けるであろう扱いに、怒りよりも呆れるばかりだ。
重たいドレスで膝を抱え、リーザロッテがぼんやり窓の向こうの空を眺めていると、にわかに入り口が騒がしくなった。
「リーザロッテ」
「……お父様」
鉄格子の向こうに立つ偉丈夫にリーザロッテも思わず背筋を正す。
年の割に見事な金髪と鋭い碧眼を持ったリーザロッテの父は、実の娘に向けるとは思えぬ冷え冷えとした眼差しをしていた。
それだけで、彼がリーザロッテに対してどういった感情を抱いているか分かろうというものである。
父の口から威厳のある低い声がリーザロッテに落ちた。
「自分がしでかしたことの重大さは理解しているか」
「お言葉ですが、私はチュリエス家令嬢に対して苛めなど誓って致しておりません。彼女とは昨日が初対面で」
「真実はどうでもよい。あのときあの瞬間、お前はベールアメール侯爵家の名に泥を塗ったのだ」
リーザロッテの言葉を遮って、父が言う。
彼もリーザロッテがいじめをしたとは思っていないのだろう。そんな自由、彼女には無かったのだ。
けれど嘘でも何か気休めの言葉を欲していたリーザロッテの腹の底がずんと重たくなる。
「……申し訳、ございません」
絞り出した声はからからに乾いていて、聞こえたかどうかも怪しいほどか細かった。
色々な感情が混じり合ってどん底な気分のリーザロッテに、父は追い打ちをかけるように彼女を見下した。
「お前は我がベールアメール家の恥だ。今この瞬間を以て勘当する。お前にはもう、ベールアメールの姓を名乗ることは一切許さぬ」
「な……っそんな、あんまりです、お父様!」
「黙れ。もうお前に父と呼ぶ権利は存在しない。明朝なにがあっても、侯爵家は一切関与しない」
父はリーザロッテを切り捨てることで、一族から犯罪者が出たことを「無かったこと」にしようとしていた。リーザロッテの存在そのものの抹消だ。
ぐらりと視界が揺れる。あまりの衝撃の大きさに脳が処理を放棄しようとしていた。
上手くものが考えられない。にじむ視界の中、父の――父だった人の金髪だけがいやに目に痛い。
リーザロッテが呆然としている間に、その人は独房を出ていった。
「なにがあっても」
つまり、移動中にリーザロッテが魔獣に襲われて命を落とそうが、盗賊などに攫われようが、侯爵家は知らぬ存ぜぬを貫くということだ。しかも今回リーザロッテが向かうのは、北の森と呼ばれる魔獣蔓延る危険地帯だ。ここを経由する国外追放が事実上の死罪と呼ばれる所以は、この森の通過率が5割程度だからである。
しかも勘当され、ベールアメールの名を奪われてしまった。今やリーザロッテは平民と変わらない。
万が一生き延びて森を抜けても、生まれついての大貴族だった彼女が一人になって生きていけるはずもない。仕事も生活も何一つとして知らない令嬢の末路など悲惨の一言に尽きるだろう。
「……っ」
ひく、と喉の奥が震えた。
何故実の娘にここまで冷たくなれるのだろう。女とはいえ待望の第一子だったと聞いていた。なのに物心つくよりも前から、リーザロッテは父から褒められた記憶も共に過ごした記憶もない。
ただひたすら家の価値を高める駒として必要なことを詰め込み、同じ年頃の他の令嬢たちの話題にもついていくことを許されず、個人的な趣味嗜好を持つことを禁じられ、「第一王子の婚約者」という肩書に縛られ続けていた。
そんな彼女から「第一王子の婚約者それ」を取り去ったら、何が残るのか。
胃の奥が押さえつけられるようで、手足は鉛にでもなったかのように重く感じる。外聞もなく床にそのまま倒れこんでしまいたいが、煌びやかなドレスが邪魔でそれも許されない。
冤罪であるという主張も。
家族への説明も。
明日を生きる力も知識も。
今ここで感情のまま倒れこむことすら。
何の意識もせずに行っていたことが、実はすべて許容されて初めて出来ることなのだと、リーザロッテは生まれて初めて痛感した。
何も出来ない。
冷え切った独房の中で、リーザロッテはただ無力感に打ちのめされていた。
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