第3話 脱出1

 金属のこすれる音でリーザロッテは目を開けた。どうやら気づかぬうちに眠っていたらしい。


 とてもじゃないが眠れるような精神状態ではないはずなのに、本能とは恐ろしい。


 けれどそれはリーザロッテが生きようとする確かな証拠でもあった。




 ガチャガチャッキシッ




 鉄格子が耳障りな音を立てている。どうやら誰かが鍵を開けようとしているみたいだが、上手くいっていないらしかった。


 窓から光は漏れてこない。真夜中で自分の手すら見えないような真っ暗闇だ。




「…………」




 ごくり、とリーザロッテは息を呑む。


 とうとう追放されるのだ。てっきり夜明けに追放されると思っていたのだが、どうやらそんな慈悲すら寄越されなかったみたいだ。




 ガチャガチャガチャ……




 鉄格子の向こうも闇が広がるばかりで誰が立っているのか分からないが、王宮勤めの騎士だろう。ここにリーザロッテを入れたのは王子付きの近衛兵だったが、基本的に囚人の管理は専門部署の騎士がいる。リーザロッテも小耳に挟んだ程度だが、どうやら閑職の一種らしく不人気で、そのせいなのかあまり騎士の質もよろしくないのだとか。


 扉が開いた瞬間に髪を掴まれて引きずり出されたりするかも――こっそりと、リーザロッテは悪い想像を働かせて覚悟を決めた。




 ガチャガチャ……ガチャ……




 いずれにせよこの鉄格子の鍵が開いた時点でリーザロッテの運命は決まる。


 どう足掻こうが、彼女が生き延びる可能性は低い――――つまり独房から出た瞬間にリーザロッテは冥界への階段を下りるのだ。


 握りしめた拳はぬるついて気持ち悪かった。


 しかし。




 ガチャガチャガチャガチャ……




「……遅い!」


「ひぇっ!?」




 限界だった。


 折角ひとが覚悟を決めているというのに、その覚悟を踏みにじるかのように鍵が開かない。というか鍵を開けるのにやたら不慣れで、さっきからガチャガチャガチャと音を立てるだけ。正直リーザロッテはキレそうだった。


 耐えきれなくなって叫べば、なんとも情けない悲鳴が返ってきた。無駄にいい声なので情けなさも半端じゃない。


 その拍子にガチャン! と一際大きな音がして、鉄格子がわずかに揺れた。どうやら開いたらしい。


 途方もない疲労感を抱えたままリーザロッテが目を凝らすと、ほっそりとしたシルエットが見て取れる。背もかなり高そうだ。


 リーザロッテは先程までの悪い想像や死の覚悟を放り投げて開いた扉に歩み寄る。鎖で繋がれていなくて良かったと思った。




「何をしているのです!? 自らの職務くらい、迅速に行えるよう修練なさいませ! ……きゃっ!?」


「危ない!」




 急に動いたせいで足がもつれ、入り口のわずかな段差でつまづく。手足に力が入らずそのまま顔面から転ぶと目をつむったリーザロッテは、予想に反して弾力のある何かにしっかり抱き留められた。




(ん……あたたかい?)




 脳裏に浮かんだ疑問より先に、肩に回された腕が動いた瞬間リーザロッテは覚醒して慌てて体を起こした。腰が変な音を立てたがこの際無視する。




「な、ななななな……っ」


「大丈夫ですか?」


「大丈夫でしてよ!?」




 反射的に答えたせいで言葉尻が跳ね上がった。淑女としてはゼロ点の反応だが、生憎それを気にする余裕がリーザロッテには無い。


 王子の婚約者として厳しく育てられてきたリーザロッテだが、残念ながら婚約者とそれらしい雰囲気になったことは一度もなかった。触れ合うどころか顔すらほとんど合わせない状態だったのだ。当然父親と王子のマティウス、数人の使用人以外の男性と関わったことなどないリーザロッテの男性免疫は皆無に等しい。


 初めて感じた男性の体温と指先の存在感がリーザロッテの脳裏に焼き付いて離れない。


 悶絶するリーザロッテなどつゆ知らず、騎士は彼女の様子を見てほっとしたように息を吐いた。わずかに上体が揺れる。




「よかった。怪我したら大変ですからね」




 扉のそばから優しく手を引かれて通路へ抜け出したリーザロッテは、いまだふわふわする足元をなんとか踏みしめてその場に立った。いついかなる時も貴族の誇りを忘れるべからず、という精神は彼女の中に刻まれている。


 騎士の男は懐に手を入れてしばらく漁ると、その中から何かを取り出した。やがて握りしめられた彼の拳の中から柔らかな白い光が漏れだす。暗闇に慣れた目では少しだけ目に染みたが、それもすぐに馴染む。


「魔法石?」


「そうですよ」


「何故? ランプではないの?」


 魔法石は魔力に触れさせると一定の効果を発揮する特殊な石のことで、それ自体でも使えるが本来加工して使うものだ。そのため生活では魔法石を中に組み込んだ魔法ランプが一般的で、王宮でも使用されている。


 どこででも手に入るランプではなく何故わざわざ魔法石単体で持ち歩いているのだろうか。


 リーザロッテが明かりを頼りに騎士を見上げると、彼はばつが悪そうにそっと目を逸らして彼女に背を向けた。


「あー、ほら。ランプだと明るすぎるから目が痛いかと思いまして」


「お気遣いどうもありがとうございます。けれどここから森へと行くのですよ? そんな小さな石の明かりでは危険ではなくて?」


 心配するリーザロッテの言葉に、騎士はにんまりと口角を上げた。


 明かりで視認できるのは口元だけだったが、その笑みはどこかやんちゃ坊主を連想させる、無邪気で残酷なものに感じられる。


 すうっと背筋を冷やすリーザロッテと対照的に、騎士は穏やかだが楽しそうな声音で断言したのだった。




「大丈夫ですよ!」

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