第60話 物語の限界


 柄にもなく凄んでいた。だってそんな、とんだエゴイストだ。指摘されなくったって、己がなに様かは知ってるが、でも、わきまえてる場合か。


「そうだよね、ごめん。—————— その時の私は視野が狭かったから、青かったから、紙川くんもそれに免じて許してね。だって、高校を卒業したら、平坦な日常が押し寄せてくるんだって、社会に洗脳されてたからさ。だって、書店に、学生服から脱皮した瞬間、特別な時間が終わる、そんなジュブナイルが溢れてたからさ。私は、坂田と過ごした時間が終わってしまうのが、どうしても受け入れられなかったから。それほどまでに宝物さ」

「………………………………」


 でも、そんな愚かな宣言をした詩丘さんは生きている。。それは、―――――― 良いことだ。


「喧嘩して三日後だったかな。机の引き出しに短編が入っててさ。例の映画製作没案。最初は、仲直りの手紙かと思ったんだけど、それが金曜日。帰宅して土日で読んで、なんだこりゃ、みたいな。結局さ、その時から今日まで、なんでこんな話を机に入れた、とか、犯人や探偵が誰か、とか、分からず仕舞いだ。相当、苦しめられたよ」

「だから映画にして文化祭で解いてもらおうとしたんですね」

「そう、噂程度に聞けるかな、なんて期待して。利用してごめんね、いやごめんなさい、利用してしまって」

「全然いいっすよ。たかが文化祭、うちのクラスは無関心でしたし。それに監督の山崎も似たようなことをしてるんで」

「そうかい、でもいつか個別に謝っておくよ。それと、まだ続きがあるんだけど」

「今日は予定とかないんで。それに話したら楽になれるって言いますし」

「じゃあ続けようか。土日明けて月曜日、昼休みに先生に呼ばれてさ。—————— 泣いたよ、本当に唯一の友達だった。あれだけ説教しといて自分は一抜けかよ、と恨んだりしたし、自分の言葉が刺さったのかも、と後悔したりもした。あの人生はいかに退屈かってスピーチがね、刺さってしまったんだ。ならば、あの小説はお礼かな」


 『教えてくれてありがとね』と付け加えた。


 体内では沸々と煮えたぎるものがあるのに、背中はゾクリと悪寒が刺した。雨音が次第に膨らんで、会話の隙間を埋め始める。できればもっと降ってくれ。十分に冷やされた脳みそが、中に広がるニューロンが、いたるところで発火する。カルシウムイオンのやり取り。



 —————— 閑話開始



 オリジナル版では屋上の扉は開き戸だと明言されていた。それは歩き読みした段階で判明したことだ。そして坂田さんの件だが、新聞によると、どうやら事件発生時は、今の開き戸であったらしいことが読み取れる。しかし、屋上の推理で詩丘さんは、引き戸のトリックを不正解とした。それは彼女のストーリーでは、明確に開き戸になっているからである。ガチャガチャという擬音語で、わざわざ表現されてるのだから、間違いない。この点は、坂田さんと思わしき少女の事件と、大きく異なっている。

 つまり、詩丘さんは、まったく同じ事件の話にならないよう、わざわざ話にノイズを混ぜた、という仮説が生じる。なぜそんなことをしただろう。それは、彼女が思い出したくなかったからかもしれない。だがしかし、こうは考えられないだろうか。よく似た話の事件の解き方と、現実の事件の解き方が、リンクする可能性があると踏んだ。それがなぜ不都合になるのか、それは詩丘さんのみぞ知ることであり、安易な邪推は人を傷つけるだけだからここでは避けたい。


 ならば、置いておこう。


 次に鍵。真っ白い鍵。高峰さんが朝持ってた白いスペアと職員室の鍵掛けに掛けてあった白い屋上の鍵。記憶が音を立てて巻き戻る。

 ひょっとすると、ひょっとして、元来、白い鍵が本物で青い鍵がスペアだったのではなかろうか。ただ、新品の青い鍵が好まれたから立場が逆転したと。青い鍵は素材的に傷つきやすく酷使されたから古びて見えた。どうしてそんな推理を展開したか。屋上が解放されていたのが、引っかかっていたからだ。詩丘さんが開錠した可能性を、捨てきれないでいる。


 しかし、どれもこれも手持ちの証拠では不十分。新聞に載ってたのも、本当に坂田さんなのか知らない。自白に追い込む試みをしたくはない。そんな善意は、地獄の道に転りしものと同質だ。だから挑むのは、挑戦状だけでいい。それ以外は証拠不十分。



 —————— 閑話休題



 気が付くと辺り一面、幾千もの雫が光っている。まるで、露が数珠つなぎに引っかかった蜘蛛の糸が、降りて来るようなものだ。銀の陰鬱なさんざめきに囚われて、辺りは暗いのに、三百六十度が輝いて見える。太陽は雲間から優しく見ている中、みずみずしさが鈍さを持って俺を撃つ。


 全て解けた。


 だから坂田さんはあの短編を渡したのか。寸でで、たどり着けなかったのは、そういう意図があったんですね。犯人は誰か、探偵は誰か。しかと受け止めました坂田さん。あなたの言いたかったこと、あの日屋上で伝えたかったこと。『虚構には限界がある』。物語の限界。そして、不可能推理を!

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